若者に何度も救われました。
油田開発は時間のかかる事業です。だから操業の現場でもない限り、そんなにばりばり働くことはないかというと、そうでもありませんでした。社会人生活の中で日本国内で勤務していた十数年は結構残業の多い日々でした。
例えば南国の操業会社から請け負った地質スタディ。スタディは始めると、きりがないところがあります。しかも世界のスーパーメジャーに負けたくないと意気込んで始めたスタディは、自ら手を挙げて始めたとはいえ、長期戦の残業続きでした。
油田開発の利権をめぐっての国際競争入札では、世界のメジャーを相手に勝ち抜くために、短期間で技術評価、経済評価、廃棄物処理、安全で安定操業提案、国民の教育に至るまで、産油国の要望に応える提案書を作成するまで、目の回るような忙しさになることもあります。
今の時代、残業を続けることは決して正しい仕事のやり方ではありませんが、小さな会社でしたし、会社としても試行錯誤の繰り返しでしたので、上からやらされているという感覚よりも、自分たちのチームで世界のメジャーと勝負をしようという意気込みの方が強かった感じもします。
しかし、意気込みはあっても残業が続くとさすがに疲れも出てきます。
私はそのころ、朝は始発駅からの電車に乗って、座わって少しでも睡眠時間を稼ごうとしていました。しかし、本来、終着駅の2つ手前の駅で降りて乗り換えなければいけないのですが、ぐっすり眠りこけて終着駅まで行ってしまうことが何回もありました。
そんな時、たいてい声をかけて起こしてくれたのは、制服を着た高校生たちです。男性、女性にかかわらず高校生たちは、私がだらしなく眠りこけているのを見るに見かねて、声をかけてくれました。車庫だか、折り返しだか、行ってはいけない場所に連れ去られる前に、彼ら、彼女らは、私を現実世界に引き戻してくれました。
私は腰を痛めて、しばらく杖をついて通勤していたことがあります。その時は、とても長時間立っていられず、シルバーシートのマークがある入口に並んでいたのですが、私が電車に乗り込むと、本当にスマートにさっと席を譲ってくれる若者が多く、助けていただきました。夜遅くでも、ほとんど毎回、さっと席を譲っていただきました。
自分の経験からすると、しらないおじさんに声をかけたり、さっと席を譲ることはなかなか勇気のいることだと思います。そのようなことがさりげなくできる若者が多いことがとてもうれしく、ちゃんとそんなことを学んでいるのだなと感心していました。
その後、元気になった私は、助けてくれた若者を見習って、できる限りあの若者たちのように行動するように心がけています。
南国では自動車で10分ほどの通勤時間ですが、日本の都心部では、多くの人が長時間の通勤通学で苦労されていますね。ぎすぎすするのも分かりますが、そんな中、私を助けてくれた若者に、私は明るい未来を見出しています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?