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8月12日。あの事故を思う。

1985年8月12日に起こった日航機墜落事故。

なぜこの事故はこうも私の心から離れないのでしょう。飛行機に乗り、離陸を前にするたびにこの事故のことが頭をよぎります。毎年、この日はこの事故や当時のことをいろいろと思い出してしまいます。

私の胸にこれほどまでにこの事故が焼き付けられた理由はいったい何なのでしょうか。

事故翌日現場からそれほど離れていない群馬県の碓氷峠を車で通ったときに、上空を旋回するそれまで見たことがないほどの多くのヘリコプターを見たからでしょうか?

その後埼玉の実家に数日間滞在していた時に、入間基地と現場との間を行きかう自衛隊のヘリコプターを何度も目にしたからでしょうか?

実家の近所の警察官が現場応援に派遣されたという話を聞いたからでしょうか?

飛行機が重大な損傷をおこしてから墜落するまでの数十分間に、極限状態にもかかわらず家族に手記を残していた人がいたという報道を見たからでしょうか?

この事故の数日後から卒論の地質調査で東北の山に入り、話し相手もなく一人で調査をしながら、この事故の衝撃や思いを誰とも話せずに、なかなか咀嚼できずにいたことも、わたしの心に深く刻み込まれた原因なのかもしれません。

事故や災害で突然襲いかかる家族との別れ。少しでもそんな事故や災害による犠牲者を減らせるように日々努力されている方々を応援しています。


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