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埼玉県名発祥の地「埼玉 (さきたま)」

母の故郷埼玉県行田市には国の特別史跡に指定されている「埼玉 (さきたま) 古墳群」があります。古墳群は5世紀後半から7世紀中頃にかけて築かれた、前方後円墳8基、大型円墳2基、方墳1基並びに小円墳群で構成される古墳群です。狭い範囲に大型古墳が密集する、全国でも屈指の規模の古墳群だそうです。

ちなみに「特別史跡」とは、文化財保護法第109条第1項において「文部科学大臣は、記念物のうち重要なものを史跡、名勝又は天然記念物 (以下「史跡名勝天然記念物」と総称する。) に指定することができる。」とされ、同条第2項ではそのうち「特に重要なものを特別史跡、特別名勝又は特別天然記念物(以下「特別史跡名勝天然記念物」と総称する。)に指定することができる」と定められています。現在63件指定されています。

埼玉古墳群は2020年3月10日、国内63件目の特別史跡に指定されました。古墳群として指定されているのは西都原古墳群(宮崎県)、岩橋千塚古墳群(和歌山県)に続いて3件目、令和最初の国指定特別史跡になります。

『特別史跡名勝天然記念物及び史跡名勝天然記念物指定基準』では特別史跡の指定基準を「史跡のうち学術上の価値が特に高く、わが国文化の象徴たるもの」と規定しています。身近な史跡がこのように評価されたことがうれしいです。

かつては大型古墳の周りに陪臣の小型古墳があり、円墳35基、方墳1基からなっていたそうでが、昭和初期に周囲の沼地の干拓で取り壊されてしまったとのことです。その後、しだいに古墳群の歴史的価値が認められて保存・活用がすすめられてきました。50年以上にわたる関係者の努力に頭が下がります。

[埼玉県立さきたま史跡の博物館ホームページ 埼玉古墳群紹介]

現在世界遺産登録に向けて頑張っているようです。もちろん登録されればうれしいですが、登録の有無にかかわらず今後も埼玉の重要な史跡として大切にしていきたいですね。

[行田市公式ホームページ 世界遺産(埼玉古墳群)への取り組みについて]

ところで、現在、少し離れて古墳をみると、古墳の土台は周りの田んぼとほとんど同じ高さです。なぜこのような低地に古墳を作ったのでしょうか?

築地書館 日曜の地学1 埼玉の自然をたずねて[改訂版] (堀口萬吉監修) によると以下のように考えられています。

埼玉古墳群から6kmほど離れた行田市真名板の高山古墳では詳細なボーリング調査により、古墳の下部が3m 近く河川堆積物により埋没していることがわかりました。そしてその基盤は関東ローム層でした。羽生市小松では河川堆積物により埋没した古墳も見つかっているそうです。

このことから、もともと古墳は沖積低地に作られたのではなく、関東ローム層が露出する大地の上に作られたものと考えられます。その後、関東平野の沈降が起こり、利根川をはじめとする河川の堆積物が 3m 近く堆積して、古墳建設当時にあった台地と低地の境界がわかりにくくなったものと考えられています。

わずか1400年の間に、地形が大きく変化したのでしょうか。人地との歴史も自然の大きな力、変化の中にあるのだなと改めて感じました。


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