石油開発と硫化水素 (サワーかスイートか?)
南国 (私の現在の赴任先) で生産される石油や天然ガスには硫化水素が含まれているものがあります。
硫化水素とは硫黄と水素の無機化合物で、無色で腐卵臭を持つ気体です。一部の温泉では「硫黄の匂い」や「腐った卵の臭い」などと表現される独特の臭いがすることがありますが、多くはごく低濃度の硫化水素の臭いです。
腐卵臭があるといっても、それは比較的低濃度であれば感じることができるのであって、高濃度の硫化水素を吸い込むと嗅覚が麻痺して、臭いを感じなくなるといわれています。硫化水素があるのに臭いがない状態というのは極めて危険な濃度だということです。
硫化水素は人間にとって極めて毒性が高く、高濃度の硫化水素を吸い込むと、数呼吸で呼吸麻痺を起こし昏倒するといわれています。空気より比重が重いため、閉鎖された場所では下のほうにたまりやすい傾向があります。
ここ南国で生産される石油や天然ガスには硫化水素をほとんど含まないものや、かなりの濃度で硫化水素を含むものがあります。この違いは何からくるのでしょうか。
南国の石油・天然ガスの多くは、有機物を多く含む石灰岩が根源岩となっているのですが、その根源岩となる地層は一つだけではなく、いくつかの時代、違う堆積環境で堆積した地層が根源岩となっています。
高温で乾燥した地域の沿岸部の堆積環境は、海水の蒸発により、海水中の硫酸イオンの濃度が高くなります。さらに海水の蒸発が進むと岩塩 (塩化ナトリウム) や石膏(硫酸カルシウム: CaSO4・2H2O) などからなる蒸発岩が形成されます。高塩分濃度の沿岸・浅海部で堆積した根源岩、あるいは根源岩に隣接して蒸発岩が分布している場合など、そこから生成される石油や天然ガスには高濃度の硫化水素が含まれる傾向があります。
硫化水素を含む石油・天然ガスの開発・生産現場では、風向きや地形などを考慮した施設配置や避難経路の確保、センサーの設置、ガスマスクや空気ボンベステーションの設置など、安全確保の徹底が義務付けられています。また、硫化水素は腐食性が高いため、生産施設の金属腐食対策も重要で、これらにも大変コストがかかります。
生産・開発に携わる作業員は全員、硫化水素に対する安全教育と実習を受けなければなりません。硫化水素の性質、危険性、ガスマスク着用の仕方、避難の仕方等を習います。仲間が近くで倒れても、硫化水素中毒が疑われる場合には、無防備に助けに行くなと習います。実際に倒れた仲間を助けに行こうとして被害が広がったケースが数多くあります。
掘削現場では、未知の硫化水素ソースを掘りあてる可能性もあるため、現場でも突然の硫化水素の噴出を想定した訓練が頻繁に行われます。訓練とはいえ、ガスマスクを着用し、高い位置にあるヘリデッキへの避難訓練は非常に緊張感があります。
石油や天然ガスに含まれる硫化水素は一般にアミン処理などによって炭化水素分と分離されます。分離された硫化水素は地下に再圧入されたり、再圧入しきれない硫化水素からは硫黄が抽出されて販売されたりもします。硫黄は一部肥料などの原料にも利用されますが、大量の硫黄を安全に有効利用できる技術の開発が望まれます。
石膏ボードなど、硫化カルシウムとして建築資材などに使われる場合もありますが、廃材の処理などが適切に行われないと結局環境問題などを引き起こすことになり、難しい問題です。
石油業界では、伝統的に硫化水素を含む石油やガスを「サワー」と呼び、硫化水素をほとんど含まない石油やガスを「スイート」と呼んでいます。昔、掘り当てた石油の性質を知るために少量舐めて、その味によって硫化水素分の量を判定したことに由来するとも言われています。
硫化水素は「サワー」という言葉の雰囲気から感じるさわやかさとは全く違う、なかなか手ごわい相手です。