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子供の頃、時報代わりに聞いた武甲山の発破

埼玉県秩父市と横瀬町の間には秩父のシンボル的な山、武甲山があります。

武甲山は炭酸カルシウムの含有量が98%以上という非常に良質の石灰岩 (セメントの材料) が採れます。

武甲山での石灰岩の採掘は1917年 (大正6年) から始められたそうで、1965年ごろから大規模な採掘がおこなわれています。

ウィキペディア「武甲山」(2022年8月31日) によると、山頂付近での採掘の影響もあり、標高が数十m低くなっています。

1900年(明治33年)の測量では標高は1,336メートルを記録したが、山頂付近も採掘が進められたために三角点が移転させられ、1977年(昭和52年)には標高1,295メートルとされた。元の山頂付近は1980年9月頃に採掘のために爆破されている。2002年(平成14年)に改めて三角点周辺を調査したところ、三角点より西へ約25m離れた地点で標高1,304mが得られ、国土地理院はこれを武甲山の最高地点と改めた(国土地理院の発表日時:2002年11月8日(金)14時00分)。そして、地図上では1,295mの三角点と最高地点1,304mの両方を表示することとした。

武甲山は石灰岩の山として有名ですが、実は石灰岩でできているのは山体の北側半分で、南半分は緑泥石などの緑色の鉱物を含む緑色岩からなります。従って石灰岩の採掘は山体の北側で行われています。

私が子供の頃に住んでいた埼玉県入間郡鶴ヶ島町 (現在の鶴ヶ島市) からも武甲山は見えました。武甲山から鶴ヶ島までは直線距離で約27kmありますが、お昼の午後12時半ごろ、よく発破の音がドドーンと聞こえていました。この音は子供の頃、私たちにとっては時報代わりになっていました。

山体の形が変わるほどの採掘がおこなわれてきた武甲山ですが、地元の方たちの思いはどうなのでしょうか?武甲山の石灰岩は戦後の産業の発展に間違いなく貢献してきたと思います。一方で、人間の手で自然を大きく変えてしまったことも事実です。

鶴ヶ島市の隣の日高市には太平洋セメント株式会社埼玉工場があります。武甲鉱山と太平洋セメント社埼玉工場の間には、国内最長級の地中式長距離ベルトコンベヤが敷設されています。スチールコードベルトコンベヤ6 基を繋いだもので総延長は23.4㎞にも及ぶそうです。

武甲山の発破は今でも鶴ヶ島まで鳴り響いているのでしょうか?小さいころからなじみのある武甲山、実はまだ登ったことがありません。南国赴任が終わったら、ぜひ登ってみたいです。


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