油層コアサンプルを使っての水飽和率の測定 – 重水 (D2O) の利用 –
福島第一原発処理水の海洋放出に関してトリチウムが話題になっています。原子核が陽子1つと中性子2つとで構成される水素は三重水素またはトリチウム (英: tritium、記号: T) と呼ばれます。トリチウムは半減期12.32年でβ崩壊する放射性同位体です。
一方、水素の安定同位体のうち、原子核が陽子1つと中性子1つとで構成されるものを重水素またはデューテリウム (英: deuterium、記号: D) と呼んでいます。
これら質量数の大きい同位体の水分子を多く含み、通常の水より比重の大きい水のことを重水と呼ぶことがあります。重水に対して通常の水を軽水と呼びます。水素の同位体である重水素(デューテリウム)や三重水素(トリチウム)を含むものだけではなく、酸素の同位体を含むものも重水と呼んでいます。つまり、水素や酸素の同位体によって通常の水よりも重い水が広義の重水です。
一方、狭義には化学式D2O、すなわち重水素二つと質量数16の酸素によりなる水のことを言い、単に「重水」と言った場合はこれを指すことが多です。自然界では、D2Oとしての重水はほとんど存在せず、重水はDHOの分子式(半重水)として存在します。 (ウィキペディア日本語版「重水」より)
トリチウムや重水という言葉を聞いて、石油開発で油層中の水飽和率を求めるために重水をトレーサーとして用いたことを思い出しました。
石油開発では貯留岩中の孔隙に占める水と油の割合が、油の正確な埋蔵量や油の貯留岩中の動きやすさを推定する上で大変重要になります。貯留岩の孔隙に占める水の割合を水飽和率と言います。水飽和率を推定するために、実際に地下から貯留岩のコアサンプルをとってきて、コアサンプル中の水飽和率を測定することがあります。
コアサンプル中にある水は、もともと地層中にあった水 (地層水) だけではなく、掘削中に泥水と呼ばれる流体を循環させている場合には、その泥水に含まれる水がコアサンプルの中に浸透してしまう場合もあります。私たちが掘削中に使用していた泥水は海水をベースにした泥水です。泥水がコアに浸透することによって地下にあった地層水による水飽和率よりも、水飽和率が高く測定されてしまう場合があるということです。
そこで地層水と掘削中にコアサンプルに浸透した泥水起源の水を区別するために泥水にトレーサーと呼ばれる物質を混ぜて、地層水と泥水起源の水を区別するようにしました。この時トレーサーとして用いられていたのが重水 (D2O) です。
油層のコアリングを始める前にトレーサーである重水 (D2O) を泥水に混ぜて、均質になるまで循環させてよく混ぜます。そしてコアリング中には泥水サンプルを定期的に採取し、後ほど泥水中の重水濃度を測定します。
コアを採集したら、現場ですぐになるべく泥水の浸透が進んでいないコアの中心部分から小さな筒状のサンプル (コアプラグサンプル) を抜き出して、それ以上泥水など不純物がコアプラグサンプルに浸透しないようにシールして、すぐにラボに送り、コアプラグサンプル中の水をすべて抽出します。
抽出した水の重水濃度を測定します。抽出したコアサンプルに含まれる水の重水素濃度と、泥水の重水濃度が分かっていますので、もともとの油層中の地層水の重水濃度が分かれば、回収したコアプラグサンプルに含まれる水のうち何パーセントが地層水で何パーセントが後から浸透した泥水起源の水なのか分かることになります。
ラボの専門家の話によると地層水中の重水濃度は一般の自然界の水とほぼ同じ濃度で、重水を混ぜる前の泥水の重水濃度とほぼ同じと考えられるとのことでした。一応、重水を混ぜる前の泥水サンプルも採取して、地層水の重水濃度と仮定していました。
実は私たちの開発していた油田では掘削中は海水ベースの泥水を使っていて、また、すでに油田開発のために油層には海水圧入を開始していて、純粋な地層水のサンプルを入手することが困難になっていました。
重水というトレーサーを使っても、実際の地層水の重水濃度に不確実性があること、また泥水がコアに浸透して置換された流体が地層水だけなのか、地層水も油も置換されているのかという疑問もあります。
私たちはそのような測定や推定の不確実性や問題点を理解しながら、コアによる水飽和率のデータだけではなく、様々なデータを統合して水飽和率、そして埋蔵量などの推定を行っていました。
今回の福島第一原発処理水海洋放出に関しても、私たちはデータにも予測にも慎重であるべきだと思います。科学データには様々なエラーや不確実性が潜んでいる可能性があります。わからないことも多いものです。予想通りにはいかないこともあります。安全神話が崩れた福島第一原発事故の現実を私たちは実際に見てきているわけですから。
処理水の水質や環境・健康に対する影響についてもさまざまな不確実性を考慮して、慎重に扱ってほしいと思います。「中学生レベルの科学だ!」などと机上の計算を信じて叫ぶのではなく、慎重に謙虚に考えてほしいと思います。それが科学・技術を扱うものの態度だと思います。健康や環境に不可逆な影響を与えてしまう可能性もあるわけですから。