父親とのキャッチボール
私は本格的に学校の部活などで野球をやったことはありませんが、野球が好きです。子供の頃は放課後毎日のように友達と野球・ソフトボールで遊んでいたこともありました。
まあまあ野球・ソフトボールができるんじゃないかと思われていた時期もあって、学校対抗のソフトボールの選手に選ばれたり、少年野球チームに入っている友達からチームに入ってくれないかと誘われたりしたこともありました。
ただ人からびしびしものを教わるのが苦手な私は少年野球チームの誘いは断っていました。
幸い就職した会社には比較的ゆるい野球部があり、誘われるまま野球部に参加し、それ以来ほそぼそと会社のクラブ活動で野球を続けています。海外赴任先の南国にも会社の野球チームがあり、そこでもこの年齢になるまでゆるく野球を続けることができました。
そろそろ会社引退の年齢ですし、帰任になったら野球を続けることは多分ないと思うので、この赴任をもって実際にプレーする野球人生は終わりかなと思っています (まるでプロが引退するような発言。。。)
私が野球を好きになったのは父の影響が大きかったと思っています。
見るからにスポーツ音痴な父親は、それでも私が小さかった頃 (小学校低学年ぐらいまで) 休日よく、「キャッチボールしようか」と誘ってくれて、自宅の庭でキャッチボールをしました。こうやって投げてごらんなどという指導はなく、ただただ「もっと思いっきり投げていいよ」と、小さかった私に思いっきりボールを投げさせてくれました。
たまに父親と一緒にテレビでナイターを見たり、「巨人の星」を見たり。。。
ある時一度だけ、後楽園球場に実際に野球を見に連れて行ってもらいました。巨人軍には王、長嶋、堀内、柴田、高田、土井、黒江などという選手がいたころです。
それから野球入門みたいな本を買ったり、友達と野球・ソフトボールなどで遊ぶようになり、いつしか父親とキャッチボールをすることは無くなりました。
社会人になってベトナム赴任中にホーチミンのホテルでたまたま映画「フィールド・オブ・ドリームス (Field of Dreams)」を見る機会がありました。ネタバレになるので詳しくは述べませんが、その時は、医者が境界線を越えた場面で思わず涙腺が緩んでしまいました。
南国赴任中、休暇で日本の実家に滞在していた時に、これもたまたま存命中の父親も含む家族と一緒にテレビでこの映画を見たことがあります。この時は父親とのキャッチボールの場面がベタな描写に見えて気恥ずかしく感じてしまい、父親もわたしもなんとなく「けっ」と言う感じで見ていた気がします。
それから時がたち、父親が亡くなった後しばらくしてからまたこの映画を見る機会がありました。もちろん、医者の場面もうるっと来たのですが、父親が生きていた時には気恥ずかしく感じていたキャッチボールの場面で、なぜか自分の父親とのキャッチボールを思い出してしまい、涙が止まらなくなりました。
なんだか、ベタな感じなのに、現実離れしたストーリーなのに、悔しいけれど涙が出てしまう。私にとってはそんな映画です。
父親とのキャッチボール。なんだか気恥ずかしいけど懐かしい、思い出すと父親との会話やふれあい、話せなかったこと話したかったことにまで思いが広がるそんな光景です。