春雨だけどあまり濡れたくない。雨の中を歩くと思い出すNHK「みんなの科学」
「春雨じゃ、濡れて行こう」は月形半平太の粋な名台詞らしいですが、春のしとしと雨とはいえ、やっぱり濡れて歩きたくはありません。
しかし、ここのところの通勤途中の雨は、傘をさそうかさすまいか迷うような雨でした。雨の中を歩いていると思い出すのが、子供の頃NHK「みんなの科学」でやっていた実験です。
雨の中、傘をささずに歩いた場合、ゆっくり歩くのと早く歩く、あるいは走るのと濡れ方が変わるのかどうかという実験です。
実験を始める前に予想する時間がありました。いくつか予想とその理由が発表されましたが、その一つがこんなものだったと記憶しています。
例えは人が10メートル歩いて移動するとき、その人の体が横切る空間の体積はゆっくり歩こうが、速足だろうが、走ろうがほとんど変わらないはずだ。ある瞬間にその体積の中に存在する雨粒の数は変わらないはずだから、ゆっくり歩いても、速足で歩いても、走っても体に当たる雨の量は変わらないはずだと。
また、むしろ走ると、結果、雨が横殴りのように体に当たることになり、かえって濡れるのではないかとの予想もあったように記憶しています。
子供の頃の私は、この説明にすっかり感心してしまい、ゆっくり歩いても早く歩いても濡れ方は変わらないのかもしれないと思ってしまいました。今まで、雨が降り出したら走って雨宿りできるところを探していたのに、それは無駄だったのかなと思ってしまいました。
NHKの具体的な実験方法は忘れてしまいましたが、確か、雨を良く吸い込む服を着て、一定の強さで人工的に降らせた雨の中を、同じ距離、いろいろなスピードで歩いたり、走ったりして、服に沁み込んだ雨の量を重さではかっていたように記憶しています。頭に当たった雨はカウントされないように工夫されていたかもしれません。
結果は、ゆっくり歩いたほうが、服はより濡れて重くなっていました。つまり、普段の私たちの感覚どおり、走って雨の中を雨宿りに向かう方が、ゆっくり歩いて行くより濡れ方が少ないという結果だったのです。
実験の後も、その結果の理由についていろいろ議論があったように記憶しています。
体が横切る空間の体積は同じで、ある一瞬にその空間に存在する雨の量は同じだとしても、その空間に長くいれば、雨は次から次へとその空間に供給されてきます。ゆっくり歩くと人間の体が空間を占有していた時間も長くなるし、体が占有していた空間に存在していた雨の量も多くなるというような説明があったような気がします。
その時私が思ったのは、当たり前と思っていたことが、いざ説明しようとすると難しいことってあるのだなっていうことと、実験してみるって重要なことなんだなということでした。
雨の中を歩くと、よくこの番組のことを思い出します。