沖縄の米軍基地反対運動を揶揄することは私にはできない
沖縄が日本の米軍施設や区域の大部分を押し付けられている現状を知るにつけ、沖縄県民が参加する米軍基地反対運動について、それがたとえ権力がある人から見て簡単にひねりつぶせそうな小さな運動に見えても、ネットやマスコミで影響力がある人から見て不器用な運動に見えても、私はその運動や行動を揶揄する気持ちにはなれません。
[沖縄県:沖縄から伝えたい。米軍基地の話。Q&A Book 令和2年版]
米国が日本の意思にかかわらずどこかの国との戦争の当事者となり、沖縄の米軍基地や施設がその戦争のために使われた場合、そしてその相手国が「敵基地攻撃能力」を有し、「敵基地攻撃」の正当性を主張した場合、沖縄の米軍基地や施設は相手国側から見た「敵基地」とみなされ攻撃対象にされることでしょう。
私たちは常に米国の戦争を支持できるのでしょうか?私たちは米国政府がいつでも日本や世界のために理性的に行動すると言い切れるのでしょうか?
米国は存在しない大量破壊兵器をあると言ってイラクを攻撃したことがありました。さらに前には日本への直接の脅威とは思えない北ベトナムを、沖縄の基地から空爆したこともあります。北ベトナムに敵基地攻撃能力があれば沖縄は「敵基地攻撃」の対象になりかねない事態だったのではないでしょうか?
沖縄の米軍基地は、最前線に位置する沖縄の人々を守るために必要だという議論もあるかもしれませんが、基地があることによってさらに沖縄の人々を危険にさらしているのではないかと私は大変危惧しています。
仮に日本を守るために沖縄の米軍基地が必要だという立場だったとしても、沖縄県の他の都道府県と比べた米軍基地の現状をみて、私は沖縄の米軍基地反対運動を揶揄する気になれるとはとても思えません。
外交努力を本当に真剣に行ってきたのかどうか。外交の失敗や間違った安全保障体制のつけを沖縄に押し付けていると思うと、私は心が痛いです。