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日比谷

大学を卒業して社会人となって働き始めた場所は東京の日比谷でした。

この日比谷のオフィスには途中3年ほど国内研修や海外研修・赴任などの抜けがありますが、合計7年ぐらい通ったことになります。

入社当時、日本はまさにバブル景気に突入したころでしたが、私が入社する直前の1985年7月、サウジアラビアは原油需給のバランスを調整する「スイングプロデューサー」としての役割をこれ以上続けない旨の宣言を行い、10月からは「ネットバック価格」による原油販売を開始して、原油価格に市場原理が導入されることとなりました。

このサウジアラビアの政策転換によって、原油価格は大幅に下がることとなり、私が入社した年には石油開発会社はかなり厳しい状況となり、世のバブル景気の中で私が入社した会社はいきなりボーナスカットが行われるという事態となりました。

それでも、バブル景気の雰囲気の中で、金曜日になると日比谷から近い有楽町や銀座、新橋あたりに飲みに繰り出したものです。どこの飲み屋も大変な混みようで、なかなか席が空いているお店が見つからず、新橋、有楽町界隈を放浪していたことを思い出します。

入社して数年たったころに始まったUAEの広域地質スタディでは残業の嵐で、毎晩のように残業の合間に有楽町ガード下の小さな中華料理店に夕食を食べに行ったものです。

そのほかにも日比谷のオフィスの思い出は数多くありますが、私の海外赴任中に日比谷のオフィスは移転となってしまいました。

明日は家族で映画を見に行こうということになり、久しぶりに日比谷、有楽町に行ってきます。しかもいろいろ家族で見たい映画が重なって、映画館をはしごして2本の映画を見ることになりました。

映画館のはしごではないですが、入社したばかりの頃住んでいた三鷹では、駅前にあった名画座「三鷹オスカー」ではロシア映画名作3本立てとか、オカルト映画豪華3本立てとか、映画をたて続けに見たこともありました。

日比谷や有楽町にしろ、映画のはしごにしろ、明日はなんだか社会人になったばかりの若いころを思い出させる日になりそうです。

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