ことわざ「豚に真珠」の意外過ぎる由来とは?
私たちは、普段はあまり意識しませんが、たくさんのことわざに囲まれて暮らしています。
たとえば、達者な人もたまにミスるという意味の「猿も木から落ちる」「河童の川流れ」「弘法も筆の誤り」や、どんなに価値のあるモノでもその価値がわからないと意味がないという意味の「豚に真珠」「馬の耳に念仏」「猫に小判」などがありますね。
今回は、この「豚に真珠」ということわざについての雑学です。
由来は新約聖書だった!
ことわざは、私たちに古くから伝わっているものです。そのため、全部のことわざが日本か、または古代中国に由来があるのだと思われがちですが、じつは違うところが発祥のことわざもあります。
それが「豚に真珠」です。
この言葉の起源は、なんと『新約聖書』!
そのなかにある「マタイによる福音書」の七章六節にその由来となるセリフがあります。イエス・キリストが教え諭すシーン――
神聖なものを犬に与えてはならない。また、真珠を豚に投げてはならない。おそらく彼らはそれを足で踏みつけて、向き直ってあなたがたに噛みついてくるであろう。
これが、「豚に真珠」の由来だったのです。
なんだかこのセリフを読むと、ことわざの意味と違うニュアンスのように感じますね。
では、どんな意味でキリストはこのセリフを言ったのでしょうか。
わかりづらいが同じ意味
難解な喩えですが、じつはことわざとそんなに変わらない意味です。
豚は、当時のユダヤ社会においては汚らわしい動物とされてきました。『旧約聖書』の「レビ記」で、豚は汚れた動物なので食べてはならない、とされているほどです。いまでもイスラム教の人は豚を食べることを禁じられています。
それほど汚らわしい存在の豚は、高価な物の価値などわからないだろう、という考えからキリストは、真珠を与えても、豚にはそれが高価で貴重なものとはわからず、平気で踏みつけるだろうと言います。
そしてキリストは、この豚に真珠を与えるという無意味な行為にたとえて、「真珠のように尊い教えを授けても、相手に理解できなければその値打ちがわからない」と言っているのです。
つまり、物の価値ではなく教えの話だったのですね。「馬の耳に念仏」だったらわかりやすかったかもしれません。
この喩え話がヨーロッパのことわざとなり、さらに日本に伝わって、今日に私たちが「豚に真珠」と言うようになったわけです。
こんなところに由来があったとは、まさに「目から鱗」ですね。あっ、これもことわざでしたね。
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Ⓒオモシロなんでも雑学編集部
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