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TDLが舞浜につくられた驚愕の理由 その影に富士山が…【4/15は東京ディズニーランド開園記念日】


本日4月15日は、東京ディズニーランド開園記念日です。
1983年(昭和58年)のこの日、東京湾沿いの千葉県浦安市舞浜に「夢と魔法の王国」をキャッチコピーとした東京ディズニーランドが開園しました。アメリカ国外では初となるディズニーのテーマパークで、開園当日は2万5000人ものお客が訪れ、初年度は延べ993万人という驚異的な入園者数を記録しました。

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開演した頃はディズニーランドだけでしたが、2001(平成13)年には隣に東京ディズニーシーがつくられ、ほかにもホテルや複合商業施設なども続々と建てられて、一大リゾート施設・東京ディズニーリゾートとなり今日に至ります。現在はコロナ禍の影響で休園中ですが…。

今回は、そのディズニーランドについての意外な雑学をご紹介します。

京成電鉄がつくった

このディズニーランドは、オリエンタルランドという会社が運営しています。ディズニーだけに特化した会社ですが、なんとここを深堀りしていくと、意外な事実に突き当たりました。

このオリエンタルランドという会社は、京成電鉄と三井不動産の出資によって設立された会社だったのです。京成電鉄とは、上野や押上から成田空港などを含んだ千葉方面を結ぶ私鉄です。この鉄道会社が、沿線に観光地を! という思いで1960(昭和35)年に設立しました。

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オリエンタルランドが設立した当初は、事務所もまだない状態だったそうです。私鉄の子会社らしく、当時は上野にあった京成電鉄本社の5階の隅っこがオリエンタルランドにあてがわれた事務所スペースでした。
そのときに置かれていた机はわずか3つ。まるで個人デザイナー事務所のような規模ですね。さらに外部とのやり取りは京成電鉄の株式係の番号を通じて行なわれていたというから、もう京成色丸出しな状況でした。

オリエンタルランドの計画

オリエンタルランドは、浦安沖の海を埋め立てて商住地域を開発したり、一大レジャーランドを建設したりするために設立されました。浦安の漁民との交渉や埋め立て工事に着手し、並行してレジャーランドの計画を本格的に進めるようになります。

このレジャーランドという言葉からわかる通り、最初からディズニーランドが計画されていたわけではありませんでした。当初は独自のテーマパークを建設する予定だったそうです。しかし、欧米のレジャーランドに調査団を派遣して、各地の施設を見た結果、ディズニーランドをここへ誘致しよう! となったのです。そしてオリエンタルランドは1974(昭和49)年、アメリカのディズニー社に正式に誘致を申し込みました。
すると、ディズニー社の首脳陣が予定地の視察のために来日することになりました。

ライバル・三菱と競争

じつはこのとき、違うところで別の計画が進んでいました。
京成電鉄とともにオリエンタルランドをつくった三井不動産にとって、因縁のライバル企業である三菱グループが対抗馬としてディズニー誘致を進めていたのです。彼らは、三菱地所が所有していた富士山麓の富士スピードウェイ周辺の土地を建設予定地に定めていました。

じつは三井・京成のオリエンタルランドと三菱の一騎打ちでは、三菱のほうに分があると言われていました。それぞれがディズニー社と交渉をしていましたが、三菱側の交渉窓口が、ディズニー映画の配給会社である東宝で、すでにディズニーと取引関係があったからです。

そんな状況で迎えた12月某日、ディズニー社首脳部の視察の日がやってきます。
彼らは富士山麓と浦安の両方を訪れ、どちらがディズニーランドを建てるにふさわしいか厳密にチェックしました。

その結果、彼らが選択したのは浦安でした。不利と目されていたオリエンタルランドですが、ここで形勢が覆ったのです。それにしても、なぜディズニー社の人たちは取引関係にあった三菱を蹴ってまで、浦安を選んだのでしょうか。

じつはこの決定の理由のひとつに、日本のシンボルである富士山がありました。

富士山が見えないことが選ばれた理由

富士山は、日本で一番高い山であり、言わずもがな日本のシンボル的な存在です。裾野が広がったきれいな円錐形のデザインは私たち日本人にとってはなじみ深く、昔懐かしい銭湯の壁をはじめ、至るところで目にすることができます。

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私たちの感覚であれば、レジャーランドから富士山が大きく見えるのならば良いことのように思えます。しかし、ディズニー社にとっては、富士山が見えるということが、マイナス要素だったようです。

もし富士山麓にディズニーランドがあったとすれば、園内のほとんどの場所から富士山が見えることになります。しかし、それは富士山の存在が目立ちすぎて、ディズニーの世界観を壊してしまうのです。
もし、シンデレラ城の後ろに富士山がそびえていたら…
もし、ビッグサンダーマウンテンの岩山と富士山を見比べられたら…
もし、歌って踊るミッキーマウスの頭上で、富士山に夕日が沈んでいたら……
そうなれば、きっと「夢と魔法の国」ではなくなってしまいます。世界観へ没入できなくなって、入園者もみんな興ざめでしょうね。

ディズニーランドは、自然を排除した、いわば人工の楽園です。園内にも植物などはありますが、決して自然ではありません。アトラクションの背景として人工的に仕立てたもので、自然をそのまま使っていないのです。だからこそ、外の自然が一切見えない、浦安沖の埋め立て地が最適だったのですね。

普段何気なく耳にする東京ディズニーランドという名称。東京湾の埋め立て地という人工的な環境が、ディズニーをここにつくらせたと言えそうです。

参考資料:

『「夢の王国」の光と影 東京ディズニーランドを創った男たち』野口恒(TBSブリタニカ)
『10+1』(LIXIL出版)

Ⓒオモシロなんでも雑学編集部


富士山についての雑学もありますよ!▼


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