これらは類書と呼べるのでしょうか?
このところ、書店の店頭でちょいちょい見かける本に『ケアの倫理とエンパワメント』があります。
自己と他者の関係性としての〈ケア〉とは何か。強さと弱さ、理性と共感、自立する自己と依存する自己……、二項対立ではなく、そのあいだに見出しうるもの。ヴァージニア・ウルフ、ジョン・キーツ、トーマス・マン、オスカー・ワイルド、三島由紀夫、多和田葉子、温又柔、平野啓一郎などの作品をふまえ、〈ケアすること〉の意味を新たな文脈で探る画期的な論考。
というのが梗概ですが、「ケアの倫理」と聞くと真っ先に頭に思い浮かべるのは文庫クセジュの『ケアの倫理』です。
本書の内容紹介は以下のとおりです。
現代のネオリベラリズムの社会とは、自律した個人が競争しあう社会である。しかしそれだけで、社会は成り立つのだろうか。人間は、実は傷つきやすく、ひとりでは生きていくことができないため人との関係、他人への依存を必要としているのだ。「ケア」とは、人の傷つきやすさに関わることであるが、その活動はこれまで私的なこととされ隠されてきた。自律した個人が競争できるのは「ケア」する人が存在するからであり、「世話をすること」の概念を見つめ直す。その倫理は社会関係の中枢に位置づけられるものであり、配慮しあう世界をめざす。本書はアメリカで始まった議論をフランスの哲学的背景からいっそう深めた解説書となっている。
この両書、タイトルは似ていますが類書と呼べるのでしょうか? ただ、書店店頭を見ていますと、「ケアの倫理」をタイトルに含む書籍というのは決して少なくはないようです。
一番新しいところでは、『ケアの倫理と共感』というものがあります。
感情主義的な徳倫理学の提唱によって現代倫理学に新たな道を拓いたスロートが、本書では「成熟した共感」という観点を掘り下げることでケアの倫理を義務論や功利主義と並び立つ規範倫理学として展開。発達心理学に依拠しつつ共感概念を洗練させ、人間の情緒や関係性に根ざした道徳理解から行為や制度の正/不正、自律と尊重を論じる。
この本の梗概は上記の通りです。このあたりの分野にはからっきし疎いので、これら三冊を一緒に並べて売ってもらうべきなのか、何の関連も脈絡もない、似て非なる三冊なのか、あたしには判断できません。
やはり営業部員としてはもっと勉強しなければなりませんね。