全額奨学金でエンジニアとなった同僚のカンボジア人女性、Cさんの話
先日お茶しておしゃべりしたエンジニアCさん、別れ際に彼女がプノンペン出身でないことを知りました。私は勝手に彼女はプノンペン出身だと思っていたので驚きました。
プノンペンは東京のように、首都なので全国から仕事を求めて人が集まります。会社のカンボジア人スタッフも半分くらいは地方出身者なので、可能性としては十分にありました。けれども、彼女の流暢な英語は都会で外国人コミュニケーションに慣れているからだろうと、プノンペン出身だと思い込んでいたのです。
「私、バッタンバン出身なんです。だから本当はプノンペンみたいな人が多いところでなく、シェムリアップのような時間がゆっくり流れる街の方が好きなんです」と言っていました。
バッタンバンの名物料理から出身校の話へ
バッタンバン出身者、待ってました!
私の好きな街なのです。アート系のNGOが多く、フランスの建築がかなり残っていて、歴史が複雑だったために比較的クメールルージュの影響を受けていません。食事も安くて美味しい。
いろいろ聞きたかったものの、私の興味のために質問責めにするのも良くないなと、話すチャンスを待っていました。
5年前にバッタンバンに旅行した時の記事です。
そして我が家が今回の年末年始をバッタンバンで過ごすことになり、それをCさんに報告すると、喜んでくれてバッタンバンの美味しい店リストを送ってくれました。
「バイサイチュルク(味付けポークのせご飯)はカンボジアで一番美味しいと思っています。プノンペンより格段に美味しいので、是非食べてみてください。中心部の高校の周りにたくさん店が出ていて呼び込みしていますよ、私の出身校なんですが」とのことでした。
その高校の名前を聞くと、前国王の名前がついていて、「名門校だったんじゃない?」とCさんに尋ねました。すると、まあそういう感じですね…と照れながら色々教えてくれました。
高校に行けなかったかもしれない
Cさんは中学の成績優秀であったものの、高校でかかるお金は家族にとって負担だったそうです(公立高校は無償であるものの、学用品や制服、交通費などはかかる)。
そこでバッタンバンで活動するフランスのNGOの奨学金に申し込み、家族は1リエルも出さずに州の名門高校で教育を受けることができたとのことでした。
そこでは理系教育に力を入れていたようで、彼女は物理コースだったようです。
「それはすごい」と言うと、「いや、悪くはなかったけど、本当は化学や薬学を学びたかった。家の経済状況を考えたら、可能な選択肢で頑張るしかなかったんです」と言っていました。
NGOガール
「私NGOガールなんですよ。高校もNGO、カレッジもNGOのフルスカラシップ(生活費なども出る全額奨学金)が出るところを選びました。報告会でフランス人と話したり、高校生の時から外国人と話すことは普通だったんです」
ああ、なるほど、そういうことだったのか。プノンペンとシェムリアップでは外国人や外資企業が多いため、英語でコミュニケーションを取る事に皆慣れています。でもそれ以外の街では、ちょっとしたことでも英語が通じないんだなぁと思っていました。
「もしかしてそんなに長いことフランスNGOに関わっていたのだったら、フランス語話せるの?」と聞くと、いや全く、と笑っていました。「高校の先生には、フランスの同じ奨学金で来ている生徒は誰もフランス語話せないのか、と笑われた」と言っていました。
カンボジアでは、以前はフランス語は重要だったようですが、もう現代ではフランス系の団体もフランス語には拘らず、世界での英語の実用性を考えて英語で教育する方向に向かっているんだなと思いました。
こんな優秀な女性が同年代だったら
元々同じチームでの働きぶりから、Cさんはかなり優秀だとは思っていました。しかしバックグラウンドを聞いてみると、こんなパワフルガールが自分と同年代だったら、自分がのほほんと学生時代を送っていたことを考えると、自信を無くしてしまっていた可能性もあるし、そもそも出会っていなかったかなとも思います。
新興国で働く醍醐味は、このようなところにあるのかもしれないなあと思いました。
(あるいは、彼女が私と同じ年齢だったら?それは紛争の時代に生まれ、生き延びたとしても教育を文字通り全く受けられずに40, 50代になっていた可能性もあります。時々出会う、私と同年代で文字も地図も読めないトゥクトゥク運転手になっていた可能性もあります。そう考えると、生まれた時代と場所の運もあったり、色々な要素が絡み合って人の一生は方向づけられるのだなと思ったりします)