プノンペンの1940〜60年代タウンハウス
プノンペンに初めて来た2015年、当時住んでいたホーチミンではもうかなり取り壊されていた、フレンチモダニズムの影響のあるタウンハウス(長屋形式の集合住宅)がまだそのまま残されていることに驚きました。ポルポト時代に街が壊滅的になってもそのまま建物は残り、人が戻ってきたことを考えると感慨深いです。
私は専門家ではなく、ただの街の散策好きなので、詳しいことは少しずつ調べようと思っていますが、そうこうしている間にも(ホーチミンのように)どんどん建物が壊されていくと思うので、今現在2022年6月時点で撮れる写真をアップして、今の時点で分かることを纏めてみようと思っています。
当時の街の中心だった、セントラルマーケットと7マカラ区にタウンハウスが集中
日本人を含む在住外国人が考える現在のプノンペンの街の中心は、コンドミニアムやショップが多いBoeung Keng Kang1(ボンケンコン1)あたりではないかと思います。しかしカンボジア人に聞くとそれより少し北の方で、セントラルマーケットを中心に街が広がっているとの認識のようです。
地図を見ても、セントラルマーケットから放射線状に道路が広がっている7マカラはフランスが整備したのだなと感じます。
他の地域は一軒家、タウンハウス、コンドミニアムが混在しているのに対して、7マカラ区は区内がほぼタウンハウスでできています。特におすすめが弧を描くst.109で、細い路地に4階建程度のタウンハウスが両脇に並びます。1階は店になっていて、食堂・バイク塗装、ミシンショップ、雑貨屋などを見てまわるのも楽しいです。
その他のエリアのタウンハウス
下のリンクはFacebookページですが、このKhmer Architecturalというグループの投稿にプノンペンのフランス系の建物と年代がまとまっています。コロニアル建築も、モダン建築もあります。
1937年にセントラルマーケットが建設され、その後マーケットを中心に街が広がっていったようです。
今のところ知っている情報を書いています!また分かり次第、更新する予定です。個人的に興味のあるマニアックな内容でしたが、読んでくださり、ありがとうございました。