【遺跡探訪84】ワットアトヴィアで旅の安全を祈る(Wat Athvear 12世紀)
もうすぐ一時帰国します。おそらく7月最後になる今回の遺跡訪問は、地元の人がよくお祓いに行くというワットアトヴィアにしました。シェムリアップを北上したアンコール遺跡群ではなく、市街地から南下した遺跡です。
ワットアトヴィアは、他のアンコール遺跡群とロリュオス遺跡群からは離れていて、トンレサップ湖からアンコールワットに巡礼するときに途中立ち寄った宿場的な役割だったのではと言われています。
プサークラオム(クラオム市場)
市街地から南下し、クラオム市場を通りました。家からは一番近い市場なのでよく来ます。かなりのローカル市場ですが、意外にも外国人も多いです。この写真を撮影している横で、フランス人女性がនំដូណាត់(ドーナツ)を買っていました。
シェムリアップで一番大きい有名市場プサールー(ルー市場)のルーは「上」の意味で、それに対してプサークラオム(クラオム市場)のクラオムは「下」の意味なのだそうです。確かに地図で見ても街を挟んで上の市場と下の市場だし、あまりに簡潔な命名です。
西参道へ到着
オールドマーケットから南下する道を左へ曲がるとワットアトヴィアの西参道へ到着します。
寺院の100mくらい手前には少し高くなったテラスがあります。ここに、ユネスコの石碑風の案内板も建てられています。
以前は自転車などで寺院の右側を通れたのですが、入り口が変わったようで今はロープが張られていました。
特に係員の人もおらず特に誰もいなかったので、第一回廊に入ろうとしたとき、遠くから「ボーン、チョンチエットクマエテー?(あのー、カンボジア人?)」と大声で叫ばれました。
「カンボジア人じゃないです」とこちらも叫ぶと「日本人?」と聞かれました。よくわかったなあ。「チャー(はい)」と叫び返しました。
そうしたら係員が走ってきて、「あーごめんごめん、あなたが到着した時トイレ入ってた」と言うのでチケットを見せると「ここに住んでるんだね。アリガトウ。コンニチハ(←日本語)」と言って去っていきました。
ワットアトヴィアは同年代なのがアンコールワット、バンテアイサムレ、トマノン、チャウサイデヴォダ、ベンメリアなのだそうです(参考:下記リンク)。確かに、規模はバラバラであるものの、雰囲気がそれぞれ似ています。
上の写真は第一回廊を作りかけて中止したところだったようです。この遺跡は4、5回来ていて、今までこれはごく普通の門だと思っていましたが、門だけでなくアンコールワットのように回廊を作りたかったのですね。屋根もできておらず、石積みだけで途中で終わっていました。
中央祠堂
中央祠堂が一つ、囲むように経堂(ライブラリー)が4つのシンプルな作りです。
下の写真、吸い込まれそうです。手前が前室、奥が中央祠堂なのですが、手前から奥に行くには一度外に出ないといけません。
「アンコールワットと似ている」「ミニアンコールワット」か?
よく色々なガイドブックやブログ等で、ワットアトヴィアはアンコールワットに似ていると言われていますが、私はそうは思っていませんでした。
規模が全然違うことと、ワットアトヴィアは石積みで終わっていて未完部分が多く、アンコールワットのレリーフや彫像の魅力がワットアトヴィアには無いからです。
しかし、ちょっと引いてマクロの視点で見てみると、中央祠堂がありライブラリーがあり、回廊があり、テラスがあり、祠堂は塔になっているなど、やっぱり似ているのかなと思い始めました。
アンコールワットなどのアンコール遺跡群とは街から逆に位置することで、クメールルージュでEFEOによるアンコール遺跡群の調査が中断した際も、ワットアトヴィアでは比較的長く調査が続けることができたようでした。
お祓い、占いで地元で有名なワットアトヴィア
観光的にはあまりパッとしないことから、外国人観光客はあまり来ない遺跡です。しかし地元のカンボジア人や長年住んでいる外国人には有名な寺院で、何か良くないことがあると水をかけてもらうお祓いに来たり、大きな決断をする時の占いをしてもらったりするそうです。
現代の仏教寺院も隣にあります。
出家している僧侶も結構いるようでした。環境がよく、ここで生活するのいいなとさえ思いました。
シェムリアップ川は大規模な護岸工事を行なっていました。フェンスの隙間から見ると、川沿いの木がさっぱりなくなっていました…5年後に見える景色は全く違ったものになるのだなあ。