インタビュー:<佐藤航平氏>創立時の空白の2年半を振り返る
文章講座を受け始めて6か月。
自分の興味があるテーマに関する人から傾聴し、インタビューにまとめるという課題を出される。
私は「インタビュー、やったことないし~」と思ってずっと避けていた。
いや、自分の自己開示ブームで、他人の話を聞く気分ではない、というのが本当のところだった。
しかし、自分の自己開示のタイミングは、必ず誰かに会って話した気づきで起こる。
書籍などを読んで考えさせられることもあるが、圧倒的に人と出会った際に自分にも学びがある。
自分のこともだいぶ整理でき、心の余裕も出てきた。
だからそろそろ他人の話を聞いてみようと思った。
文書講座の先輩方は、自分がターゲットとなるテーマを語ってくれそうな方をX(旧Twitter)などで見つけて交渉する、というハイレベルなことをやっている。
私はそこまでの気力はないので、facebookから自分の友達に「インタビューさせてくれぃー」とお願いし、数名が手を挙げてくれた。
大変ありがたい。
初のインタビューを受けていただいたのは友達の佐藤航平さん。
1時間半 お聞きした内容を以下にまとめる。
「“足跡をたどる”という言葉に惹かれて、インタビューを受けてみたいと思いました」
誰かインタビューをさせてほしい、文章を書くことは自分の足跡をたどる行為だ、とfacebookで呼びかけた私の投稿に興味を持ったようだ。
話したいテーマはあるか?と尋ねたところ、特にないとのことで、それではまず航平さんの足跡をたどってみましょうと、幼少期のことを聞いていった。
その前に航平さんとの出会いを軽く説明させて頂く。
航平さんとは とあるコミュニティで、最初はオンラインで知り合った。人懐っこいニコニコの笑顔でフレンドリーかと思いきや、中国への留学経験があったり政治について熱く語ったり、私が知らない難しい言葉もポンポン飛び出すインテリだったりと、私はすげーと若干引いた。しかし、人に対しても否定するようなことはなく、優しい柔らかな印象を持った。
実際にリアルであった際に、人見知りの息子の緊張をあっという間に解きほぐし、キャッキャとたくさん遊んでくれて、かなり大好きな友人となる。
食や自然、その歴史に興味があり、一緒に息子と3人で東京大塚にあるシク教寺院でランガル体験(無料食堂)に行った仲だ。
1989年生まれ。株式会社SOYMILの代表取締役で、国産希少品種大豆で作る無添加豆乳キットとブレンダー「SOYMIL」の開発・販売と、国産天然杉を使った都市型コンポスト「ROOF」という2つのサービスを展開する。国際文化アナリストでもある。
▼SOYMIL
▼ROOF(ROOFが目指す世界観(PR Times Story))
さて、幼少期の航平さんは転勤族で数年に1回は引っ越しを繰り返し、多くの日本各地の自然や風土を堪能していた。友達との別れも寂しいというよりは、新しい出会いにワクワクしている印象を受けた。また企画好きな性格はどこに行っても発揮され、小学校6年生の時には学校の授業の一環で、「竪穴式住居を作ろう!」と提案し、みんなで作り上げたことが祭りのようで楽しかったと語っていた。
そう、大人になった今でも航平さんは祭り事が大好きなのである。
また話が今年の航平さんに脱線するが、2024年5月には、「俺の祭りに参加しろ!」と一人赤い特攻服(「天下無敵・夜露死苦」と書いてあるやつ)を着てミカン狩りイベントを開催していた。(私と息子も参加した)
文字っつらで雑に書くと、実に危ない人だが、痛いやつではない。大変みんなに愛されていることを私が保証しよう。
話を航平さんの足跡に戻そう。
中学校の時には部活だけで夏休みを終わらせるのはもったいない、とCO-OP(生協)のチラシに入っていた中国へのホームステイ体験プログラムに興味を持ち、迷わず参加。そこから中国への興味が一気に花開いた。
大学では中国へ1年留学し、ちょうど上海万博(2010年)が開かれたこともあり社会全体が上向いていく空気感を肌で感じた。
卒業後、SMBCに入社し、その後ベンチャー企業で中国でのEC事業に関わったのち、M&Aによる事業譲渡を経験、2019年に今の会社の前身の会社を大学の恩師とともに立ち上げる、という人生経験豊富な現在35歳である。
彼のインタビューを行うにあたって、事前に何を聞こうか考えた。
本人が話したいことがあればそれを素直に聞こう。
幼少期の話でピンとくることがあればそれを掘ろう。
でも特になければ・・・私はずっと気になっていたことを聞こうと思った。
以前、私が元パートナーを許し、再会した話をした流れで、彼が話してくれたことがあった。
「許すって、難しいですよね。僕も実は起業パートナーだった人と喧嘩別れしちゃって連絡取れてないんです・・・」
喧嘩別れ。
私の中でも自分と重なったのだろう、そのことがずっと引っかかっていたのである。
シングルマザーの私が元パートナーと再会した話はこちら
「以前、今の会社の前身だった会社で喧嘩別れした人の話が気になっているんです。聞かせてください。」※今の会社は前身の会社から社名変更をしている。
航平さんは、当時を思い出しながらでよければ、と快諾してくれた。
2019年5月、航平さんは中国のEC事業の会社を終えて、日本に帰国しこれからどうしていこうか考えていた。そんななか、大学時代にお世話になった恩師と再会し、一緒に会社をやろうと意気投合した。
会社の代表は航平さん。そして、創業メンバーは恩師とその助手の3人だった。
ビジネスのアイデアを出す中で、中国で日本人学校に通う人に日本語を教えるサービスを展開するのはどうかという話になった。かつて留学生向けの日本語教育ボランティアに従事していたり、日本留学を志す中国人学生と接点を持ってきたので、日本留学をテーマにしたビジネスチャンスを肌感覚で理解していたし、社会的影響力のあるビジネスとして裾野を広げていける感覚があった。
直感的にこれはうまくいく、と思いビジネスを軌道に乗せるべくソフト開発等に着手した。
しかし、受託先のソフト開発会社選定への意見の相違や、取締役に入ってくれた人のバイト感覚の仕事への取組み方への不満が出てきた。売上を出していくという強いこだわりが無ければビジネスとして成立しないため、航平さんは何度もそれではいけない、もっとこうしたほうがいい、と声を上げた。
「私以外は皆本業がある中、片手間で仕事を手伝うような形で全然本気じゃなかった。みんなうまくいったら便乗する、みたいなノリだった」
また、悲しいことに代表は航平さんなのに、みんな別の方向を見ていた。航平さん自体も恩師に気をつかいながら進めていたと当時を振り返る。
「悲しかったんです。結局誰も、代表の僕を見てくれていなかった」
最終的には埋められない溝は大きくなり方向性がまとまらず、2021年初め、創業メンバーから株式をすべて譲渡してもらう形でこのサービスは閉じることとなる。
「僕の会社にとって、空白の2年半です」
航平さんは後処理を終えた後、会社名を変更し、冒頭に紹介したSOYMIL事業を始めた。悲しい経験だったと語りながら、これを通じて大事なことを学んだと教えてくれた。
「同じ方向を向いて協力していくこと。そのためには、まず自分が矢面に立って熱意を発信し、動いていかなければならない」
梯子を外された経験から出てきた言葉だ。
同じ方向を向く、とは、もっと具体的にはどういうことですか?と質問すると、
このプロジェクトを成功させたい、同じ未来を見たいと思ってくれることだと説明してくれた。
「プロジェクト」や「未来」という言葉の定義があいまいな気がした。
また同じ目にあってしまうのではないか?それでは脆さがある気がする。
そのプロジェクトや未来そのものではなく、その構想を描く航平さんの熱に共感してくれる人と仕事をしたい、というのが真実ではないか?そう質問した。
航平さんはハッとした顔で「確かに」とうなずく。
航平さんの熱に共感しなかったから、共感を生ませることができなかったから、前身の会社は火が消えていったのだ。
航平さんが起こす祭りは熱く勢いがある。
だけれども過去にも共通のコミュニティで祭り(イベント)を起こそうとして、一人ぼっちになっていたことがあった。
「どうして俺の祭りに参加してくれないんだ、ちっとも楽しくない、お前らが悪いんだー!」 とコミュニティメンバーの前で叫んでいた。
みんな呆然とした。
「え、どうしたの、言ってくれればよかったじゃん・・・」
航平さんは自分の祭りの火を起こす前に、自ら火を踏みつぶして消したのだ。
大人になった航平さんはぽつりと語る。
「もちろん僕も熱意をもっと伝えればよかったのかもしれない。僕にも落ち度がある」
そもそも手を組む相手として間違っていた可能性もある。
だけれども、火を踏みつぶさず失敗したけど楽しかった・学びがあったとすがすがしく終わらせることはできなかったか。その可能性があったかもしれないと、振り返る。
「あの時みんな逃げた」と繰り返す中で、最後に「僕も逃げたんだと思う」と認めた。
「実は今も人に任せるのが怖い。不信感がぬぐえない」
そんな自分を清算する覚悟を持って、今年春から正社員の採用を始めた。
過去の自分の悲しみを悲しみのままで終わらせないために。
一緒に祭りの火を起こしていく仲間を見つけたい。
いっそのこと、連絡を切った相手にコンタクト取って当時のことを腹を割って話してみたらどうですか?俺は悲しかったんだぞ!って。そう私は提案した。
「今なら当時のことを振り返って話せる気がする。お互い成長したはずだ」
航平さんは笑いながらうなずいた。
9月半ばにSOYMILの採用が一人決まった。
「給料が下がっても航平さんと働きたいと思った」そんな思いをもって飛び込んできてくれる最高の仲間と出会った。
しかし、祭りの熱に共感し、一緒に燃え上がってくれる仲間になる人に、空白の2年半を話せていない。
笑って自信をもって創業当時のことを語りたい。
反面教師ではなく、肥しの2年半として。
だから君が必要なんだと胸を張って笑顔で言える日は近いと感じた。
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