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世界史の中の六日間 なぜユダヤとキリストは屈託する?

六日間戦争と称された第三次中東戦争の折にレバノンに駐在していた著者によるノンフィクションレポであるとともに、当時の中東情勢の仕組みを体験的な視点から演繹的に解き明かす良著で、私自身、近頃は時事に疎いのだけれども、基本的な枠組みは今も変わらないように思える。イギリスの二枚舌外交の禍根の深さを思い知らされるような気がする。
なお、六日間戦争に連続するものとして、エジプトのサダトが第四次中東戦争を引き起こし、それをエジプトイスラエルとの和平へのプロセスを戦略的に考案したという視座が興味深かったが、より目を引いたのはレバノン内戦に至るまでの経緯であった。アラブの小国であるレバノンとしては、イスラエルに対抗する戦力はなく、また、キリスト教徒が過半を占めているために、内部に紛争の種を秘めている。その火種が爆発したのであったが、原因は直接的にはイスラエルによるものではなく、ヨルダン内戦(ヨルダン川西岸の奪還を目指す一派に対するフセイン国王の弾圧)により、パレスチナ側がいよいよレバノンをゲリラ活動の拠点にしたことで開始されたということである。周囲を大国に囲まれた国の宿痾のようなものを感じてしまう。
それにしても、なぜ、キリスト教徒とユダヤ教徒は屈託するのであろう。共通の利害(反イスラム、というより、反パレスチナ)があるとしても、両者が屈託するというのは容易ならざることのように思えるのだが。敵の友は敵というアラブの言い回しがある。この場合は、敵の友は友とでもいうべきか。或いは、キリスト教社会もユダヤイスラエル社会(欧米からの移民が主であろう)も近代社会を既に構築しており、そういう意味では、根深い宗教間対立以上に、パワーポリティクスの論理が勝るのであろうか。若しくは、イスラム社会が近代を経験している両者にはかなり異質・異形なものとして認知されているのだろうか。私にはいまだにその点がクリアになっていない。日本で馴染みのないイスラムが穿った見方をされるというのであればまだ理解はできるのだけれども。
なお、冒頭に紹介した本はいまなら格安。というか無料に近い(笑)


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