幸せを感じる瞬間って
学生の時に選んだ仕事に20年、縛られるように生きてきた働きマンが、自分の幸せを見つめ直すnoteです。
きっと、仕事で悩んでいる人はこの世の中に沢山いらっしゃるのではないでしょうか。思えば私は社会人1年目からずっと迷える子羊でした。
わたし、このままでいいのだろうか、そんな思いを抱え続ける同じ境遇の方に読んでいただき、何か一つでも背中を押せることがあれば嬉しいです。
1. 心を映し出すキッチン
2024年夏、キッチンが異常に荒れ始めた。
キッチンカウンターは物であふれ、システムキッチンの換気扇には、それで換気できるんか?ってくらいの油っぽい埃がぎっしりと詰まっている。
キッチンの背面にあるカウンターも、物と埃と食べ物でいっぱい。
その気になれば数分で片付く場所だし、ささっと外して洗えるお掃除楽々な換気扇フィルターなのに掃除ができない。
本当に簡単なことが、出来なくなっていた。
わたしの好きなキッチンがおそらくこの10年で一番、荒れていた。
自分の中でも、これなんかやばいと思い始めてはいた。
仕事のPCの前に座ると心臓がバクバクして仕事が手につかない。
頭にモヤモヤがかかって、同じようなことをぐるぐるぐるぐる考え始める。
あれ。わたし結構仕事できる人って思ってたけど、周りからもずっとそう持ち上げてもらってきたけど、全然あかんやん。思い違いやったわ。
そんな思いに支配され始めていた。
はい、ストレスMAX SOS状態。
フリーランスになって今年で4年目。4月から新しいクライアントのとあるプロジェクトに就いていて、クライアント側のプロジェクトリーダーが私とめちゃくちゃ相性が悪い人だったのだ。
自他共に認める寝坊助のわたしが。子供の寝かしつけでほぼ寝落ちするわたしが。もう諦めて10時には寝る生活を送っていたわたしが。夜、眠れなくなった。
その合わない人とどうすればうまく仕事ができるか、この押し付けられた困難な仕事をどうすればうまく仕切れるか。いや、ここはもう一度頑張ってこのタスクは断るべきか。
そんな思考に支配されて眠れない日が続いた。
幸いお盆シーズンがやってきて、クライアントは長期夏季休暇に入ったからわたしも休暇を取ることにし、とにかく、一旦休める。そう思ったら風邪をひいた。
休暇に入ったら発熱。私の仕事人生であるあるすぎて、ようやくさとったのだ。
これ、あかんやつ。キャパ超えて無理してるやつやわ。と。
幸い熱は翌日に下がり、いつも患う喘息も発作が起きなかった。
1年前の夏、姉に連行された喘息のクリニックに1年間真面目に通い続けた成果が出たのだ。
母と姉は、体を休めることを第一にして、今回の帰省は延期しようと言っていたけれど、私はどうしても帰省したかった。
こども達が夏一番のイベントとして楽しみにしていることもあるけれど、自分がこのままじゃやばいと思ったから。
眠れない夜からの解放を目的に、家族揃って帰省した。
2. それでも逃れることのできない仕事
仕事で悩んでいることを姉に話して、その日は久しぶりにぐっすり眠れた。
姉は私と違って、日頃から深く深く考えを巡らせている人で、感覚だけで生きてきた私にとっては「そんなこと考えて生きてんの?!」と思うくらい深い。
くれるアドバイスも深過ぎて、3回くらい聞いてようやく理解できることもある。結局理解できないこともある。
そんな姉が、ピザポテトを食べながら、本気で心配して何時間も話を聞いてアドバイスをくれた。
そして、夏季休暇は無情にもすぐに終わる。
また自宅でPCに向かい、ぐるぐると考えを巡らせる日々が始まった。
心臓がバクつく。それでも、立ち向かってみた。
「そりゃあんたの仕事や!!」と思っていることを、
私にはできません。と断ってみた。
向こうは何をどう受け取ったのか、さらなる無理難題を押し付けてくる。
普段なら雪崩式に受けてしまうところが今日の私は違う。
再度ハッキリと、できませんと伝え、会話は終了。
そして数週間後、受託業務の契約は終了することになった。
ば、ば、ば、ばんざーい!!!!
3. 4時間生電話
この契約が終了することになって、ようやく周りが見え始めた。
どしたん!!!ってくらい埃が詰まった換気扇のフィルターを取り外し、あふれ出す寸前まで溜まった油受けを慎重に外す。
未だかつて、これほどまでに油受けに油を溜めた人間がいただろうか。
そう思わずにはいられない、満タンになったドロドロの油を捨てて、キッチンも、心も、すっきりした。
そして私のことを心配してくれていた姉に電話で報告する。
この20年、仕事に飲み込まれている私の生き方を陰ながら応援し、励まし、時には「そんな仕事今すぐ辞めろ。」と言い放つ姉は、これまでもずっと、私が自分の幸せな生き方を見つめられていないことについて、深い考えを巡らせてくれていたらしい。
最近また輪をかけて仕事に打ちのめされているわたしに、どうやって伝えればいいのか真剣に考えてくれていたようだった。
「自分が何をしている時に幸せを感じるのか、もっと考えたほうがいい。」
というテーマで4時間語り合う。
姉の深く熱い思いは届き、私には新しい光が射した。
ここから、私が本気で自分の心の声を聞く作業が始まる。
正直、明らかに「切られた」という事実は少し心に引っかかっていた。
もうこの契約は終了してもらいたかったし、今すぐにでもこの仕事はお断りして脱走したい気持ちではあったものの、「切られる」というのはフリーランスにとっては致命的だし、気持ちのいいものではない。
自分から契約終了を申し出るのは出来そうにないから、先方から終了を言い出してほしいと心から願っていたものの、初の「切られる」経験に心がざわっとする部分はあった。
夫は「Reputationは大丈夫なの?」なんて言ってくる始末。
全然英語しゃべれんくせに。
そんな気持ちも、姉がくれた4時間分の知識と新しい考え方を身につけた私は見事に蹴り飛ばして、今とこれからと向き合うことにした。
4. 幸せを感じる瞬間
4時間ロングラン電話の中で、姉が聞いてきた。
「幸せを感じる瞬間ってどんなとき?」
口縫われちゃったん?って感じにもごつくわたし。もごもご。・・・・・。
幸せを感じる瞬間が、即答できない。イメージできない。だって深く考えたことないから。そんなことを深く考えていなかったから、決して好きとは言えない仕事を20年もやってこれたのだけれど。
落ち着いて考えてみると、そういえば私にもあった。幸せを感じる瞬間。
1年前の夏、何年振りだろうか、姉と甥っ子たちが新幹線に乗って3人で遊びにきてくれることになった。
1日は姉が仕事に行ってしまうので、甥っ子たちを預かることになっていたから、1人で4人の子供を連れて出かける自信もなく、家で楽しめること、私が楽しませられることを考えた。
「何作ろう!何好きかな?何やったら喜んで食べるかな?」(ワクワク)
パンケーキ、ヒレカツにハンバーグ、おやつは焼き芋とみんなで手作りクッキー。
4人の子どもたちの好物を作ると、それはもう美味しそうにモリモリ食べてくれるのが嬉しいし、楽しかった。後々甥っ子から聞いた話では、私は料理している時めちゃくちゃ歌を歌っているらしい。
完全に無意識。
えっ、めちゃめちゃ唾飛んでるやん。大丈夫やった?
料理中に歌っているなんて気づいていなかったし、日常すぎるのか家族から言われたことも一度もない。だけどわたしは、料理しながらご機嫌MAXで歌を歌いまくる人だった。
甥っ子からの気づきで、そういえば、料理が好きやわ。と知ったわたしは、姉の勧めでInstagramに料理の動画を投稿をしてみることにした。
iPhoneをカメラスタンドに固定して、動画を回しながら料理する。
撮れた動画を再生してみて、あぜん。
「なにこれ、めっちゃ歌ってるやん。」
自分でも驚くくらい、かなりのご機嫌。幸せ感じちゃってる瞬間の自分が、iPhoneの中にいた。
料理って、結構待ち時間があるからなのか、そこにはゆったりした時間が流れる。
そういえば土井善晴先生が本か料理番組で言ったはったわ。
「料理って暇なんですよ」みたいなことを。
その暇な感じが好きなんだと思う。
梅酒作る時の梅仕事とか、干し柿作るために、ひたすら皮剥いて消毒する作業とかも好き。心が落ち着くし、おいしいものが得られる喜びも味わえて最高だと思う。
一方、好きって言えない仕事に縛られて働く時間は、常に何かから追われて全力疾走。他者からの評価も、戦闘服着てきてるとか、チャキチャキしてるとか、キレキレとかそんな感じで。
私のオリジナルキャラと真逆な働きマンキャラを作り上げ、心の幸せとは遠い場所で多くの時間を過ごしてきた。
幸せを感じる瞬間を、もっと感じて生きていったほうがいいよね。
ごはんがくれる喜びと幸せを味わいながら。
5. わたしをつくるごはん、わたしがつくるごはん
どうやら私は過去のことをよく記憶しているらしい。
昔の話をするといつも母は「そんなことよく覚えてんな。あんたの記憶ってすごいな。」って言う。
私の中の記憶はその時の場面が写真のように残っていて、その記憶写真と前後のストーリーが紐ついている。
そして面白いことに、その記憶にはほとんどの場合何かしらの食べ物がくっついているのだ。これが本当に不思議。
これまでに経験した、一つ一つの些細な出来事とその記憶は、その時口にしていたごはんと共に私の中にあり、このわたしをつくっている。
あの時食べ物が側になかったら、この記憶なかったんちゃうかと思うくらい、だいたいの出来事に何かしら食べ物がくっついている。
そしてこれからもきっと、食べ物ベースの記憶が増えていって、未来の私を作っていくと思う。
わたしをつくるのは、紛れもなくごはんなんだ。
記憶と食べものが密接に繋がっていることと、料理が好きなことは一本の線で繋がっているかもしれない。
親友が漫画みたいだと笑う私の人生と料理について、ここにまとめていこうと思う。
きっとそれが新しい道への第一歩。