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家族が「あれ」というそれ。わたしの暗黒期からみえたこと。

うっすらと空が明るみ始める頃、わたしは高速バスに揺られていた。
スタバのタンブラーに淹れたコーヒーを、やけどしないように、少しずつ口にしながら東京へと向かう。

今日はちゃんと定刻通りに着くかなぁ。
朝日が昇る窓の外を、ぼんやりと眺めながらあくびをして、もうひと眠りした。

つくばから東京までは、高速バスで1時間ほど。
時間はかかるけど、朝が苦手な私には二度寝するのにちょうどよかった。
問題なのは道路事情が読めないこと。高速道路で渋滞に引っかかってしまうと、2時間かかってしまうこともある。

仕事は8時半から東京で。
渋滞に巻き込まれても遅刻することなく出社するためには、6時半には高速バスに乗る。このねぼすけが、真っ暗な時間に起きて、身支度を整え、コーヒーを淹れてバスに乗り込む。
あの頃の1日はそうして始まっていた。

1. 高速バスの悪夢

初夏に監査法人を退職し、翌年の1月から関東を拠点にフリーランスとして働いていた。
会計士としてはまだ半人前だったけど、東京の業務委託の仕事を紹介してもらえたのだ。

もしやる気になったら連絡して。
退職する時にそう声をかけてもらってありがたかったけど、まさか連絡することになるとは思っていなかった。仕事はせず、自分らしく、のんびりと、田舎暮らしを満喫するつもりでいた。

けれどやむにやまれず、結局すぐに会計士補の資格を活かした仕事に就いた。

東京駅に着くと、出社までの時間潰しを兼ねてカフェで朝食をとる。そして出社時間になると、高層ビルの窓ガラスに反射する、まぶしい朝日に目を細めながら出社した。

新しい職場は当時未経験の金融機関だった。それでも人が優しかったのと、今まで本気で仕事に取り組んできた甲斐もあって、すぐに慣れた。

監査法人と違って女性が多い職場。ランチタイムになると、女性社員で集まって社食に行き、お喋りをしながらお昼を食べる。
わたしもその女子ランチに混ぜてもらって、経験豊富な女性陣に、お悩み相談に乗ってもらったりもした。
そういうのが新鮮で、なんかOLっぽくて、楽しかった。世の中の女性たちはこんなランチタイムを過ごしてるんかぁ。って。

仕事が終わるとまた、ひとり東京駅から高速バスに乗りつくばへ向かう。

わたしは昔から乗り物酔いするし、独特の匂いがするバスが特に苦手。
バスに乗車すると、まずエチケット袋の存在を確認する。エチケット袋見ただけで、ちょっとオエって気持ちになる。
不安が不安を呼び、オエってなる。
おまけに帰りのバスは夜。お酒を飲んで酔っ払っている乗客もいるわけで。

帰りの高速バスの中ではよくコブクロを聴いていた。
でも、どんな気持ちで聴いていたのか。帰宅してからはどんなふうに過ごしていたのか。いま思い出そうとしても、あんまり思い出せない。
よくないことは記憶から消えていく。わたしの脳は本当によくできている。

つくば行きの高速バスに乗る必要がなくなってからも、あの、帰りの高速バス乗り場の夢を、何度も見た。
夜のバス乗り場で、どこに行けばいいのか、切符をどこで買えばいいのか、どのバスに乗れば良いのかわからなくて東京駅をさまよっている夢。いつも結局、バスには乗れずに目がさめる。
よっぽどバスが嫌だったのか。つくばに戻るのが嫌だったのか。それはよくわからない。

2. 暗黒期があったのさ

なぜ突然つくばに住んで、東京に通っていたのか。
それを説明するためには、ある話をしないといけない。

『わたしをつくるごはんと、わたしのつくるごはん』をnoteに書き始めた時、その部分ハナシはどうしようか、というのが最初に引っ掛かった。
自分の人生をごはんの記憶とともに書き始めると、読んでくれた姉からも、「あれ、書くん?」と聞かれた。

そう。それ。

家族が、「あれ」というそれ。

わたしの暗黒期。

心の奥深くに押し込んで、厳重に蓋をしてある記憶。消しゴムで消せるのもなら消してしまいたいけれど、「あれ」があったから今のわたしがある。 

しかも、暗黒期の中の、あのごはんの記憶は、今考えるとけっこう面白い。
渦中にいる時は踏んだり蹴ったりでも、後から振り返ると、悲しみの感情はひとつもないし、そして笑えるのだ。

今回思い出して多少嫌な気持ちにはなったけど。

人生のどん底って思うような経験をしたって、ゆっくりと起き上がり、そして続きの人生を再び歩み出す。そうすれば、その頃のことを、漫画のようだと笑ってしまえる日が必ず来る。
「あれ」は、それを教えてくれた。

どん底ってほどどん底でもなかったけど。
姉は心配しすぎておかしくなってたけど。

まぁ、明らかに1番底ではあった。
当時の記憶なんかもう消えてくれと思っていたし、写真も一枚も残っていない。

でも、書こうと思う。
「あれ」もわたしの一部だから。
そしてこれがなかなかに笑えるから。

3. 秘策を実行に移す

監査法人から逃げ去る事を考えていたわたしがたどり着いた、最善の秘策、寿退社。
その秘策を実行に移せるチャンスが訪れたのは、社会人3年目の春だった。

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