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お蕎麦と迷えるギャル会計士

公認会計士になると決めたのは、大学2年生の夏。
公立の中学校から大学附属の高校に推薦で進学していた私は一度も受験勉強を経験することなく大学生になっていたから、これが人生で初めての受験勉強だった。
周りに流されないように仲の良い友人との連絡を断ち、大学にも行かずに専門学校に朝から晩まで缶詰状態で勉強する毎日を過ごしたのだから、自分でもよく耐えたと思う。
受験勉強の極意は如何に自分を騙すかだ。


1. 公認会計士を目指したわけ

正直、公認会計士がどんな仕事かとか、何も考えていなかった。
会計士になれば、お金持ちになれると聞きまして。そんな感じだ。

2年上で当時大学4年生の先輩が、確か大学内初の現役一発合格を果たして話題になった。大学職員のお姉さんがその先輩と私をどういうわけか特別に繋いでくれて、現役一発合格の先輩から勉強方法と思想を教わり、のちに私も現役一発合格を勝ち取ることになる。
先輩は就職後も、新人会計士のお仕事事情をちょいちょい教えて励ましてくれた。

「今ハーゲンダッツって高くて買えないって思ってるでしょ?あれ、会計士なったら食べ放題やから。いくらでもハーゲンダッツ買えるよ。」

などと吹き込まれ目を輝かせては、それをモチベーションに変えて頑張った。
今から考えると、何かもっと他に良いのなかったんかいなと思う。
先輩も食いしん坊なのか、私が食べ物のことしか覚えていないだけなのかは今となっては謎だ。

2. あこがれの女性がくれた言葉

ほとんど行かなくなっていた大学だったが、私の会計士試験合格を後押ししてくれた女性との出会いがあった。
髪の長いとても綺麗な方で、教授がお休みの日の講義に代打登壇し、彼女自身の生き様を語ってくれた。20代の頃はこんなことをしていた、30代はあんなだった。40代になったら。。。と話が続くので、え?!40?!この美女が40代なの?!と驚いたのを覚えている。

素敵な女性だなぁ、と思いながらぼんやりしていたら、当てられてしまった。
「何か向かっている目標はありますか」

公認会計士試験現役一発合格という確かな目標に向かっていた。でもそれは、合格率の低い国家試験。みんなの前で言うのが恥ずかしかった。
言うまいと思ったけれど、美女の微笑みに心が緩んで「公認会計士を目指して勉強しています」と話してみた。
彼女は初対面でたった1時間講義を受けただけの私に、「あなたなら大丈夫、絶対に合格します」とはっきり答えた。なぜそんなことが言えるのか。とりあえず誰に対してもそうして励ますことにしているのか。よくわからなかったけれど、彼女からもらったその言葉は、不思議と強い根拠があるように聞こえて、最後まで私に自信とパワーをくれた。
あこがれの人の言葉の力は尊い。

あの日講義で聞いた話を、今もう一度聞けたらなぁ。

3. 運命のお蕎麦ランチ

会計士試験に合格したら、東京で働こうと思っていた。
会計士業界は、試験が終わると一斉に就職活動が始まる。私は夜行バスに乗り込んで、東京の監査法人の説明会に参加した。
帰りのバスが出るまでの時間に、六本木で小籠包を食べようとしたら目玉が飛び出るほど高くて何も食べられなかったが、オフィスから東京タワーが見える東京の街は、京都に戻る頃には憧れの地になっていた。

しばらくして、なぜか私は大阪の監査法人のインターンシップに参加していた。
大阪で働く気はなかったし、インターンシップも面倒だから参加しないつもりだったのに。インターンシップのお知らせを見つけた母が申し込めとうるさく言うものだから、とりあえず申し込んだら当選してしまったのだ。
今から考えると、母は私が東京に行ってしまうのが嫌で、なんとか大阪で就職させようと必死だったのかもしれない。

インターン最終日、所長がオフィス最上階の日本食レストランでお蕎麦のランチをご馳走してくれるということになり、観光気分で席についた。
所長とのランチで周りのインターン生は緊張しているように見えたが、私は大阪事務所に就職する気がゼロだったから怖いものなしだった。
会話が途切れ、なんでも質問していいと言うから、まるでゼミの教授にでも話しかけるような舐めた口調で質問をする。
「あ、じゃぁ。大阪事務所はもう採用終わってしまったと思うんですが、追加採用の予定はあるんですか?」

当時の大阪事務所は就職氷河期真っ只中で、採用がとても厳しかった。大阪は東京に先んじて、合格発表前に内定を出すシステムだったので激戦になり、大阪希望なのに内定が取れていない友人が沢山いた。だから聞いてみた。友達のために。

「なに?あなた、内定取れてないの?」
ん?なんか話の方向がおかしいな?とは思いつつも、「はい、私大阪受けていないんです」と答えておいた。
まだ追加採用すると思うよ。とのことだったので、これは受験仲間に朗報、収穫ありだわ〜と思い帰宅した。

夕食どきに自宅の電話がなった。
お昼に最上階でお蕎麦をご馳走してくれた所長かららしい。驚いてそわそわする母から受話器を受け取る。
「合格したらうちで採用してあげるよ。インターン生を採らないわけにもいかないからねぇ。」てなことを言っている。
いやまって、ちょいまち。私希望してない。なんでそうなる。

そうか、昼間の質問のせいか、と理解した時には遅かった。
まぁまだ合格すると決まったわけじゃないし。と、ひとまず平和に会話を終わらせることにして、
「あっ、ありがとうございますぅ。」などと適当に返し、電話を切った。
その日の母の喜びようは、それは凄かった。そりゃそうだろう、母の狙い通りの結果になったのだから。

思い描いた路線と違う方向に走り出したことに気づいていても、軌道修正せず乗っかってしまうところは、この頃から始まっていたわけで。

4. 迷えるギャル会計士

母の筋書き通り、私は大阪の監査法人に入所した。
2004年12月、まだ大学を卒業しないうちに、私の最初の社会人生活が始まった。
21歳の女子大生会計士補誕生。

当時、現役合格はまだ少なかったし、セカンドキャリアで会計士試験を受ける人も多かったから私は同期の中で最年少、同期最年長は確か29歳だった。
大企業を辞めて会計士試験に合格し、就職氷河期に内定を勝ち取り入所してきた職業経験ありの優秀すぎるアラサーと、同じ土俵で働く環境に身を置くことになったのだ。もう、200%の全力でぶっ飛ばす以外に戦略はなかった。

なんでそこに張り合おうとしちゃったのか。
それは自分でもよくわからない。

比較的早い段階で、精神の限界と迷いが訪れた。
めっちゃ無理しちゃってたから。
経験豊富なアラサー同期に相談に乗ってもらううちに、迷えるギャル会計士と呼ばれるようになった。そして20年経っても同じ悩みを抱える私は一つも進歩がない。
迷えるママ会計士。ギャルがママになっただけ。

お蕎麦をご馳走になって、私の会計士としての仕事人生はスタートした。
でも2004年から2024年まで、ずっとひとつの企業で働き抜いてきたわけじゃない。それどころか履歴書の経歴欄が足りなくなるくらいの転職を経験した。

追い詰められたら意外とあっさり逃げ出すのだ。なのにすぐに忘れてまた舞い戻る。数年ごとに繰り返すそのサイクルにもそろそろ飽きたところで、4年前、フリーランスに転身した。

フリーランスになれば、これまでうまくいかなかった見えない何かから全て解放される。そんな気でいたんだけどなぁ。

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