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逃げ出す為に考えついたとっておきの秘策

会計士受験を控えた私は占いにはまっていた。
ズバリ言うわよ、の細木数子氏の占いに。
自分の星の本を買ってきて人生の命運を左右する会計士試験受験年の運勢を占う。

2004年、大殺界。
わたしの星はその年大殺界だった。

まぁ、占いやから。と自分をはげます。でも、彼女の提案で海砂利水魚から改名したクリームシチューはよく売れているし。おさる→モンキッキーへの改名はよくわからなかったけれど、とにかく今年は大殺界やしあかんかもな。と思わせるくらいの影響力が当時の彼女にはあった。

結果、合格。
なんや、大殺界でも合格できるんやん。と思った。

1. 認められることの快感

監査法人での仕事は、たぶん、意外と性に合っていた。監査は奥深くておもしろかったし、出来るようになってくると次は未知の領域を任せてもらえるようになる。
新しいことを吸収していくのが楽しかった。

ある上司は、超多忙のなか時間を取って、新人のための勉強会まで開いてくれた。先輩達がやっている、難しそうな領域をこっそり教えてもらう時間は貴重で、そしておもしろかった。

頑張りの甲斐あって、2年目の春、念願だった監査チームに入れてもらえた。そして信頼する上司がひとつの子会社を丸々任せてくれた。
ひよっこ2年生に1社、小さくても任せてくれるなんて、嬉しかった。これはもう、頑張るしかない。
そもそも120%くらいで頑張っていたけど、フルスロットル200%出力。
今考えると、上司は私のこと育てようとしてくれていたんだなぁ。と思う。
だって自分だったら2年目の子に1社渡すなんてしないから。

私はいつも彼の向かい側の席にすわり、眉間にしわを寄せながらノートパソコンと向き合っていた。時折、「すごい顔してるけど何かあったら言えよ」とか、「もっと楽しそうな顔してやれよ」とか声をかけてくれる。そういえば、あれやったのかとか、これじゃぁダメだとか途中でダメ出しされることは一度もなかった。
包容力?忍耐力?何がそうさせるのかよくわからないけど、とにかく器の大きいオトナな上司だった。

先輩に相談したり、ない頭を捻ったりして、粘り強く取り組んだ。
そうしたら、1年後に思っても見ないほど仕事の成果が出た。
一度怪しいと思ったら離さない、そんな私のことをオトナな上司が「デカみたいやな」と言った。

私にとってそれは最高の褒め言葉だった。
スラムダンクのふくちゃん(陵南高校の福田吉兆)がホメられてふるふるしちゃうやつ。心の中はあんな感じ。
優秀だとか、こう見えて仕事は出来るとか、色々と褒めてもらえることはあったけど。こう見えて。
「デカみたい」というその言葉は、なにか特別なバッジをもらったような感じがした。今でも思い出すと誇らしい気持ちになる。

2. ご褒美のごはんたち

頑張っていると、たまにご褒美がもらえた。
忘れられない、山口県で生まれて初めてのふぐフルコース。
女性の優しい先輩と2人の出張で、それはいつも気遣ってくれる上司がくれた、仕事というよりは完全にご褒美だった。てっさ、焼きふぐ、唐揚げ、てっちり、雑炊、そしてひれ酒。
古き良き時代の監査には、そんなお楽しみがあったのだ。
仕事の事は覚えていないけれど、あの夜のひれ酒はおいしかった。

上司が「デカみたいやな」と言ってくれた現場の打ち上げは、高級レストランのフレンチディナーフルコースを用意してくれた。
会社からあんなディナーを食べさせてもらったのは後にも先にもこれ一回だけ。まぁ普通はないと思う。オトナ上司が用意してくれたチームへのご褒美だった。

夜景の見えるレストランで、理想の監査チームなメンバーに混じって、ご褒美のディナーを頂く。

もう、おいしくて、そしてパンがやたらとおいしくて。

これはお肉までにお腹いっぱいになるやつ、とわかっていても、あのパンはやめられない。
案の定、メインディッシュの良いお肉が出てきた時にはお腹いっぱい。満腹で食べられないなんてありえないから、何とか胃袋に押し込んだ。

おいしいレストランって、パンが驚異的においしいから、嬉しいけど困る。

3. キャパと期待のギャップ

成果が出始めると、周りが今後の活躍をさらに期待してくれるようになる。
目には見えない、だけど確実に大きくなっていっているその過度な期待は、重圧になっていった。

もっと頑張りたいけど身体がついていかない。

はっきりいって、私なんてのはもともと大したキャパがないのだ。それが最大出力で突撃し続けていたら、まちがいなくエンストする。
仕事内容は性に合っていても、それをこなすだけの器を、残念ながら持ち合わせていなかった。

どえらい仕事についてしまった。
そう気づいた。そして、受験前にはまっていた細木数子氏の占いを思い出す。

大殺界。
あぁ。そうか、そういうことか。
大殺界だから合格したんだ。逆に。

わたしみたいな極小キャパシティの奴が就いてはいけない職種に就いてしまったのだと、なんだか妙に腑におちた。

もう逃げ出す方法を考えるしかなかった。

逃げ出すための都合のいい理由がないか考えはじめた。

会計士のお仕事って、出産子育てとの両立難しそうですよね。私この先やっていけるかな。
という話を先輩女性にしたら、生き急ぎすぎだとなだめられた。作戦失敗。
そりゃそうだ。私はまだ24歳。若かった。

その先輩は結婚式の前夜10時でもオフィスにいるような人だった。まだ両親への手紙を書いていないの!とか言いながらドタバタと帰っていったから、彼女はもう少し急いだほうがいいと思ったけど。

とにかく、なにか正当な理由を探していた。
誰も引き留めることが出来ず、円満退職できる何かとっておきの方法を。

そして見つけてしまった。

これしかない。
寿退社。
わたしはそれを目指す事にした。

わたしが追い詰められた時に考えつくことなんて、マジでろくなんもんじゃない。

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