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noteでやりたいもうひとつのこと。「わたしがつくるごはん」

人生の岐路に立つって、こんな感じか。
これまでも何度も岐路ってのに立ってきたつもりだったけれど、今回のはちょっと違う。なんていうか、心が震える。目がじわじわっとしてくる。
そして、ちょっと震える。
憧れと、希望と、恐怖。そういったものを感じて、そしてなんだか笑えてくる。


休業してはじめの1ヶ月

2024年秋、ずっとやってきた公認会計士の仕事を休業して、わたしは新しいことを始めてみた。自分のこれまでの人生を振り返り、自分のこれからの生き方を見つめてみること。なぜかわたしの中の記憶を司っている「ごはんの記憶」をnoteに書き出して、わたしが幸せを感じる瞬間を見つけ出すこと。

なんだか幼少期の記憶まで出てきてしまって、まだ社会人生活の初めの方しか書けていないのだけれど、これまでにすでに大きな発見と得たものがあった。

なんと、文章を書くのが、楽しい。
姉に勧められるままに始めてみたnoteだったけれど、自分でも意外なのだけれど、楽しくて、楽しくて。「こんな世界があったんだ」と、心が躍るような、いつもの風景が一段明るくなるような、初めての感覚を得た。
書きたいことが、たくさんある。
表現したい気持ちが、たくさんある。

今まで自分の心の中で大切にしていたことが、言葉をまとって自分の前に現れてきてくれると、それがなんだか嬉しくて。恥ずかしいけど、そうなんです。
ぼやっとしていた霧みたいだった記憶が、文章になって形となって現れてきてくれることで、今まで見えなかった景色が見えてくる。そこから知ったこと、気づけたことがいくつもあった。

そして、ほんとうにありがたいことに、思ってもみなかったくらいたくさんの方が、わたしのnoteを読んでくださり、スキしてくれて、コメントをくださったりする。
こんな幸せすぎる世界があったなんて。
わたしには縁がないと思っていた文章の世界への扉が、わたしの人生の岐路にも存在してくれたのだと喜んでは、いやいやわたしみたいな人間にそんな扉開けられっこないよ、と思い直す。それでもやっぱり書きたくて、時間を忘れて書いてみる。
そんなふうにして休業してはじめの1ヶ月を、過ごした。

わたしにとっての料理

時間がないから、忙しいから。子どもの世話があるから。仕事で疲れているから。朝寝坊だし、あかんたれやし、面倒くさがりで出不精やから。
そうやって、理由をつけて、やりたいことは諦めて、仕事して、お金を稼いで、預金残高をみて、ほくそ笑む。危うく、わたしはそうやって人生の時間を過ごし、死んでいったかもしれないと思うと、これまた怖くて震える。

実はほんの数年前、料理を外注していた時期がある。
買い物して作ってくれて、タッパに入ったおかずを持ってきてくれるやつ。
トップの写真はその時のもの。

料理好きが聞いてあきれる。
料理が好きなのに、仕事に追われて料理をする時間すら節約することを考えて、自分が幸せを感じる瞬間を他人に外注してしまった。
なんてあほなんだろう。

3ヶ月ほど外注して、みたことのない家庭料理に触発されて、やっぱり自分で家族に作ってあげたくなって結局外注はやめたけれど、生きがいになり得る部分を外注してしまうほど追い込まれていたのだから、本末転倒はなはだしい。
「その仕事を抑えて、料理しなはれ!」
と、全力で伝えたい。あの頃の自分に。

noteにいくつかのごはんの記憶を書いてみて、なんだかんだ、どの話からもみえることは、「料理がすきなんだね」ってこと。
こんだけ書いてみなわからんものか?繊細なわりに鈍感力がすさまじい。
そして、書いてみたことから得た、完全なる新しい発見と気づき。「書きたい。もっと書いてみたい」ってこと。
この二つを大切に育てる、休業2ヶ月目がこれからはじまる。

これからnoteでやりたいもうひとつのこと

やりたいこともさることながら、わたしにはやらなければいけないことがある。
小4の息子の中学受験伴走と、小1の娘の癇癪対応だ。
どちらも簡単じゃない。むしろ仕事しながらこれふたつ、やれるん?という内容。

となると、わたしの休業は、受験伴走開始にもGOOD、娘への寄り添いにもGOODで一石二鳥、いや一石三鳥なわけで、この絶妙なタイミングでわたしをストレスMAXに追いやってくれた例の合わないクライアントには、大感謝しなければならないということになるかもしれない。

まず小4息子、2年生の時に学校でイロイロと嫌な思いをさせてしまったことがあって、それが強烈すぎたので、本人の希望もあって中学受験を予定している。
スポーツはてんでダメ、筋力も持久力も本当にないけれど、勉強だけはよくできるメガネくん。素直すぎる男で、むしろそれが心配というところもあるから、母として持ちうるすべての力を注いで、希望の中学に続く道をサポートしてあげたい。
あのとき、学校で起きていることに気づいてやれなかったせめてもの罪滅ぼしという気持ちもある。
罪滅ぼし伴走。

そして、中学受験は持久戦。健康なからだづくりが何より大切。
なのだけれども。
きみはなんで受験するの?という質問に「メシ!」と即答する息子は、いま、正直かなりぷにぷにしている。
おながセルライト。おなかのセルライトでぷよぷよできるくらいぷにぷよ。
これは、あと2年半後は、どすこいに「ごっつあんです」と言われる予感しかない。そうなってくると、健康を害し、中学受験どころじゃなくなってくるから、まずは食生活を改善してぷよぷよをすっきりさせてあげたい。
こちらも、罪滅ぼし伴走。
なぜなら、ぷにぷよの原因はわたしにあるから。

息子は2年生くらいまでは、痩せていた。
特に幼少期は成長曲線を外れるくらい痩せていて、「とにかく食べさせなければ」という思い込みにとらわれて子育てしてきた。
思えば、第一子が2,460gと小さめに生まれてきて、はじめから焦っていた。
母乳を飲ませる前にスケールに乗せ、母乳を与えてからもう一度スケールに乗せて何g飲んだか測る。そんなことをした日もあった。
順調に体重が伸びてくれるかどうを、異常に意識していたと思う。
なのに息子ときたら、ある日突然ミルクを拒否。何度トライしてもベーッと吐いてしまうようになり、ミルク母乳混合育児派だったわたしの気持ちを差し置いて、頼りなさすぎる母乳一本、左右で二本か?とにかくミルクなしの育児を強要されてしまった。当然体重は伸び悩んだ。

離乳食が始まっても、保育園に入園しても、ずっと息子はガリガリだった。その上保育園生活が始まると、思考停止するくらい毎週のように発熱して体調を崩し、その度に食べられなくなるから、息子に食べさせることについて、思い悩む日々をすごしてきた。
そんなこんなで、気づいたら「ちょっとでも食べてほしい」とか「体調崩した時のために脂肪を貯めてほしい」「たくさん食べてくれたらはなまる」な気持ちを小4になるまで持ち越してしまったのだ。

結果としてセルライトバディを付与してしまっているのだから、どう考えても原因はわたしの変化しない強迫観念にあって、これこそ、いま、わたしの手でどうにかせんとしている。
わたしがつくる、家族のためのごはんで。

これまで書いている「わたしをつくる、記憶のなかのごはん」とともに、これからは「わたしがつくる、家族のためのごはん」のことも合わせてnoteに書いていきたいな。という思いでいます。
それは、なんてことのない日常のごはんと家族のことになると思いますが、いま確かに、家族のためにわたしがつくるごはんのこと。そこに込めた思いや、そのときの困難、よろこび、少し照れるような愛、なんかを日常のごはんにのせて、noteに書き残していきたいと思いました。
「わたしをつくる記憶のなかのごはん」と、「わたしがつくる、家族のためのごはん」をマガジンとしてまとめていきますので、よろしければこちらのマガジンの方もフォローしていただけるととても嬉しいです。


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