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日本人も関わりが深い!アユタヤ遺跡と日本人村の歴史を探る
こんにちは!
夫婦で仕事を辞めて世界旅行をしている旅暮らしのナナワッティ・ななみです!
今回は、タイ・バンコク近郊の「アユタヤ遺跡」を訪れ、その中に残る「日本人村」について深掘りします。
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日本からの観光客にとって、アユタヤ遺跡は単なる遺跡ではなく、実は私たち日本人とも深い繋がりを持つ場所なのです。
この記事を通じて、日本とアユタヤの意外な歴史的な関係について知っていただけたら嬉しいです。
1、アユタヤ遺跡とは!?
アユタヤ遺跡は、1351年から1767年までの約400年間、タイの中心地として栄えたアユタヤ王朝の跡地で、現在は世界遺産に登録されています。
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このアユタヤ遺跡は仏教寺院の遺跡群として有名ですが、実は3つの視点からこの遺跡を見るとより一層この遺跡群を楽しむことができます。
① 上座部仏教の寺院
アユタヤの王たちは上座部仏教を厚く信仰していました。その結果多くの仏教寺院が残っています。
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現在もなお、タイでは仏教が国教となっており、多くのタイ人が上座部仏教を信仰しています。
②他の世界遺産との関係性
アユタヤ遺跡では、隣国カンボジアの遺跡であるアンコール王朝(現カンボジア)の建築様式を見ることができます。
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アンコール王朝(カンボジア)は、アユタヤ王朝によって侵略され陥落したという背景があります。
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そのためアユタヤ遺跡では、かつて栄えたアンコール遺跡群(現カンボジア)の影響を受けた寺院も見ることができます
そして、アユタヤ王朝はビルマ(現ミャンマー)によって滅ぼされました。その痕跡として、現在のアユタヤ遺跡では頭部のない仏像が散見されます。
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ちなみに、アユタヤ遺跡を代表するこちらの仏像。
ビルマ軍(ミャンマー)によって切り落とされた仏像の頭が、木の根元に取り込まれ、このように木に覆われてしまっています。
各国の歴史のピースが、それぞれ繋がるのもまた面白いポイントです。
③交易都市として栄えた
アユタヤは交易都市としても非常に発展しました。つまり、世界中から商人たちがやってきて商売をしていたということです。
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ポルトガルやオランダ、イギリス、中国、イスラム商人、そして日本人など世界各国から商人がアユタヤへ訪れ、居住する人も増えていました。
実際に居住エリアを示しているのがこちらの地図です。
日本人村の近隣には、ポルトガル人村やオランダ人村がありました。
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ちなみに、その頃の日本はこんな様子でした。
⚫︎江戸時代が始まり朱印船貿易が盛んに行われていた。
⚫︎スペイン人やポルトガル人がキリスト教を布教し始め、国内ではキリスト教の弾圧が始まっていた。
⚫︎戦国時代が終わり、多くの武士が職を失っていた。
「絵踏み」や「長崎の出島」「オランダ商館」など、日本史の記憶が薄っすらと蘇ってくるのではないでしょうか?
さまざまな要因や時代背景が重なり、アユタヤには「日本人村」ができたのです。
2、アユタヤ・日本人村について
一体、どんな日本人が住んでいた?
江戸時代初期は、多くの日本人がさまざまな時代の変遷に立っていました。
日本で職を失った武士や朱印船貿易をしている商人、キリスト教の信者たちが長崎の出島から出国して、アユタヤへ移り住んでいきました。
当時、日本人村に住んでいた人口は約8,000人と言われています。
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アユタヤへ移住した代表的な人たち
日本人村の資料館では2名の日本人が紹介されていました。
1人目は、山田長政という人物です。
日本で職を失った武士たちは、アユタヤ王朝の傭兵(お給料をもらって働く兵士)として働いていたそうです。
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2人目は、ポルトガル人と日本人の間に生まれたターオ・トーンキープマーという女性です。
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両親ともにキリスト教を信仰していたため、日本国内でのキリスト教弾圧の動きから逃れるためにアユタヤに移住してきたそうです。彼女はポルトガル人村に住んでいたそうです。
様々な理由を持って、アユタヤ・日本人村へやってきたことがよくわかります。
なぜ、日本人村は消滅したのか?
約8000人もの日本人が住んでいたアユタヤ・日本人村でしたが、その歴史は長くは続きませんでした。
江戸幕府は、1635年に鎖国令を発布しました。
つまり、日本人の海外への渡航・海外からの帰国が禁止されたのです。
この鎖国令によって、新たに日本人がアユタヤへ渡ることはできなくなりました。そして、アユタヤに住んでいた日本人は日本に帰国することはありませんでした。
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その結果、長年の時を経て日本人村に住んでいた日本人はタイ人に同化していったといわれています。
これはあくまで個人的な推測にすぎませんが、タイにはいろんな顔立ちの方がいるように感じます。日本人っぽい顔立ちの人もいたり、西洋っぽい顔立ちの人もいたり。
「タイ人=こんな顔!」というイメージが私の中では醸成されていない理由は、かつてアユタヤで多国籍間の交流・交際があったからかな…?と推測します。
3、アユタヤ遺跡と日本人村へのアクセス方法
アユタヤ遺跡群の観光
アユタヤ遺跡群の観光は、トゥクトゥクをチャーターすることをお勧めします。
私たちが事前に調べていた相場は3時間・500TB(約2,000円)。しかし、実際に駅前で提案された価格は4時間・1,200TB(約4,800円)でした。
あまりの金額の違いにびっくり。。。
交渉の結果、私たちは4時間・500TB(約2,000円)でチャーターすることが出来ました。最終的には1時間延長して、5時間・600TB支払いました。
アユタヤ観光を終えて、電車待ちをしていると現地のおばさんが声をかけてきてくれました。
「日本人?トゥクトゥク借りた?いくらだった?」と。
現地のおばさんが教えてくれた情報によると、最近は日本人には結構な高値で営業をかけている人たちがいるとのことでした。
やはり、当初提示された1,200TBは相場を遥かに超えていたようです。ちなみに、駅から少し離れると適正な価格での乗れるようです。
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私たちは駅前で交渉をしたので、実際に正規価格エリアが存在するのかは確証がありませんが、一度駅から離れてトゥクトゥクを探してみるのは手かもしれません。
日本人村への行き方
日本人村は、アユタヤ遺跡群から少々離れたところにあります。そのため、トゥクトゥクのチャーターでは時間が足りませんでした。
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私のおすすめは、トゥクトゥクチャーターの最終地点を駅にするのではなく「日本人村」にすることです。通常トゥクトゥクのチャーターは、「駅から出発して駅に戻る」というルートが定番ですが、どこで降ろしてもらうかは自由です。
駅まで戻ってしまうと、時間的にも金銭的にもコストがかかってしまうので、私たちは「日本人村」で降車しました。
駅に戻る際は、配車アプリ(Grabなど)を使って、駅に戻ると効率よく回ることが出来ます。
⚠️注意⚠️
ただし、市街地と違って配車アプリに登録している車の母数は少ないので、手配できるまでに時間がかかる可能性もあります。電車の出発時間などには注意が必要です。
また場合によっては、トゥクトゥクの運転手が「追加料金を払ってくれたら、待ってるぞ!」という交渉をしてくれる可能性があります。
私たちは、じっくりと見学したかったので断りましたが、トゥクトゥクのおじさんに待ってもらうのも手かもしれません。
ポルトガル人村やオランダ人村を訪れる予定がある方は、トゥクトゥクで追加料金(1時間100TB前後のはず)を払って、短時間でサクッと回る方が良いかもしれません。
4、さいごに
以上、アユタヤ遺跡と日本人村の歴史を探ってきました!
いかがだったでしょうか?
私はこれまで2回、アユタヤ遺跡を訪れてきました。
1回目は、学生時代にインスタ映えを求めて(笑)
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2回目は、夫婦で歴史を学んで!
![](https://assets.st-note.com/img/1730863581-OH5eow3dKuBzUMsFDGrvgINW.jpg?width=1200)
間違いなくどちらも楽しい旅でしたが、今回の旅はより深い時間を過ごすことが出来ました。
いかに歴史を理解した上で、遺跡を訪れることが楽しいか。
その楽しさの一部を本記事と通じて伝えられていたら嬉しいです。
タイの壮大な歴史と、異国で生きた日本人たちの跡を感じられる旅。
アユタヤ遺跡、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか?
本日も最後まで読んでいただきありがとうございます!
旅の記録、特にnoteでは心で感じたことを記録していこうと思いますのでぜひフォローして次の投稿も読んでいただけると嬉しいです!
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