私は何も信じていない。
10月の半ばに、那須シズノさんのご指導のもと、熊本の阿蘇で行われた「神楽と古典フラフェスティバル」にて奉納の舞にも参加しました。
2泊3日の集中稽古。
そこには全く踊ったことのない人たちもいるけれど、皆何か魂レベルで共振するものがあるのだろう。何かしらをキャッチしてそこに集まった人たち。
シズノさんはいつもながら全身全霊で私たちを導かれる。
感じて動く。
それがダンス。
シズノさんのパワフルなバイブレーションに触れ続けて、五感を研ぎ澄まし続けて、祈りを捧げる。
自分という存在を超えて、大いなる存在を感じる。
世界にこの祈りが届くと信じる。
共に舞台に立つ仲間を、自分を信じる。
できると信じる。
これまでも何度か、それはどういうことなんだろう?と、分からないままにも体験を繰り返し、その度に様々な体験を受け取ってきた。
今回のお稽古の最中も、様々に自分の内側で話す自分のエゴの声を聞きながらも、一生懸命に本番に向かった。
その祈りの舞を終えて、参加者全員での直会も終えて、全てが終わった時に、一人お手洗いに入った瞬間、大粒の涙がボトッと床に落ちた。
なぜか、大泣きしたかった。
皆のもとに戻り、帰る挨拶をと、この場のオーガナイザーである橋本和泉さんと少しお話しをし始めて、今すごく泣きたい。そう言ったら、和泉さんはカウンセラーでもあり、意識を扱うプロフェッショナルでもあるので、その場で、私を泣かせてくれた。
泣きじゃくった。
吐くように泣いた。
さっき涙が落ちた理由は分からなかったけど、この時和泉さんに、「なんで泣いてるのか一言で行ってみ。」そう言われたら、すぐに答えられた。
「私は何も信じてない」
自分にガッカリした。
でも私は何も信じてないのだ。
大いなる存在も、共に踊る仲間も、相手も、そして自分も。
これまで出逢った、私に愛を教えてくれた全ての人たちにほんとうに申し訳ないと思った。
こんなにもたくさんの愛に出逢ってもまだ「何も信じていない」と言う自分に絶望した。
シズノさんからも、いつも「信じること」のパワフルさを教わってきた。
でも私は何も信じてないのだ。
そのあと、和泉さんが
「信じなきゃいけない」と言った時の体感覚と
「信じられなくてもいい」と言った時の体感覚を感じさせてくれて
前者は頭に意識が上がるけれど、後者はハートに響く。
「そのハートの響くところにいつもいるんよ、それがななちゃんの本当よ」
そんな言葉を言ってくださった。
そしてその「信じられなくてもいい」
その言葉を言うと、まためちゃくちゃ泣けた。
泣いて泣いて泣き尽くして、目を開けたら、
そこに残っていたみんなが私のことをただ優しく見守っていてくれた。
世界はほんとうにいつも優しいところなのだ。
信じなきゃいけないと信じてきた。
でももう信じられなくてもいいのだ。
信じられない時があってもいいのだ。
もちろん、信じられてもいいのだ。
スピリチュアルなことにも興味があって、目に見えないこの世界の色々なことにも異常に興味を持ってきた。
その実態を知らないまま死んでしまったら後悔すると思って、これまでヒーリングとかそう言うものも学んだりしてきた。
でも私はそれらの一切を身につけていない。
うん、信じてない。笑
全然信じてない。笑
だけど、正確に言うと、ヒーリングとかリーディングとかそう言うものを信じていないと言うよりは、私にそれをできる力があると言うことを信じていない。
いつか信じられる時がきてもいいけど
今は信じられなくていいのだ。
何も信じられない時があってもいいのだ。
何も信じられなくていいのだ。
みんなありがとう。
橋本和泉さんのブログ
https://ameblo.jp/ayasofya-izumi/