2つの自由
彼は「~からの自由」の重荷に耐えて
いくことは出来ない。
彼らは消極的自由から積極的な自由へと
進むことができない限り、
結局自由から逃れようとする他ない。
エーリッヒフロム『自由からの逃走』
エーリッヒフロムはドイツの社会心理学者で、
ナチスドイツを支持した背景の真理を分析した
『自由からの逃走』で知られています。
今回はそこから「自由」について考えてみたいと思います。
春から大学、社会人、家族と住み慣れた土地を離れて、
一人暮らしを始めた人もあるでしょう。
自由な生活への期待と不安が入り交じった、
複雑な気持ちかも知れません。
これまでは小学校から高校、
きほん決められたレールがあったけれど
これからは自分で道をつくっていく。
「自由」という言葉に夢やロマンを感じる人も多いでしょう。
その「自由」といっても2つあるとフロムは言っています。
消極的な自由「~からの自由」
積極的な自由「~への自由」の2つです。
まず「~からの自由」について考えてみましょう。
~に入るのは私が束縛されていると感じるものです。
「校則」「門限」「両親」「会社での人間関係」
「交際相手」などなど....
私たちを縛る縄は色々あります。
ストレスを感じたり、窮屈だったり、
やりたいことができないのは、
そんな縛りがあるからで、縄さえ断ち切れば
「自由」な生活が始まると思うでしょう。
でもここで「~からの自由」はやがて
重荷になってしまう言われています。
なぜでしょうか?
「自由」とは「自らに由る」と書くように、
「自分はどうしたいのか?」「何を作りたいのか?」
もっと言えば「私は何のために生きているのか?」
というテツガク的な問いを自ら考えることです。
問題を発見し、考えるには力が必要です。
「出る杭は打たれる」周囲の空気を読んで合わせていく
「ことなかれ主義」が日本人の特徴と言われますが、
独りで同調圧力に耐え考えるのは、
重荷を背負って歩くようなものです。
熱意をアピールしし過ぎたり、夢を語ると
「意識高い系気取ってる」と冷めた目で見られたりもするでしょう。
「~から自由になりたい」縛る縄から逃れた先には
自ら考える「自由」があります。
積極的な自由「~への自由」です。
先を見ず、縄をとくことだけに一生懸命だと
「自由の重荷」に耐えられず、
結局また自由から逃げるしかない、
縄の種類が変わるだけで、また縛られることになります。
全体主義が多くの人が支持されたのも、
孤独で虐げられていると感じる時、
これを信じれば大丈夫という価値観を与えてくれたからでしょう。
こんな投書を新聞で見かけました。
大学生 (兵庫県 21)
高校までは何に対しても「正解」がありました。
教科書の問題は解答ページに、取るべき行動は校則に、
他の細かいことはすべて先生が答えをくれました。
勉強して、良い大学へ行って、素敵なパートナーを見つけることが、
私にとって正しいことだと思っていました。
だってほら、親も学校も社会も、私にそうなることを望んだでしょう。
だから私はそれを信じて疑わず、そうすれば必ず幸せになれるとさえ思っていました。
しかし大学や社会に出ると突然、
正解のない問題ばかりが降りかかってきます。
何が正しいか、何が幸せか、自分で見極めろと言われます。
私なりの正しさって何だろう。私にとっての幸せって何だろう。
自由の海に放り込まれて戸惑う、
正直な声だと思います。
消極的な自由「~からの自由」
こんな考え方は古い、こんな人と一緒だから窮屈、
こんな学校だから楽しくない、
こんな上司だから認められない、政治がダメ...
と縄をウラムところから
積極的な自由「~への自由」
わたしにはこんなアイデアがある、夢がある
こうすれば今の逆境をプラスに変えられるかも...と
何のために生きていくか、考え、未来を切り拓いていきたいですね!
考えるヒントをみなさんとシェアしていきたいと思います。
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