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アル中だけどギャンブル依存はなかった父と競馬の話


例のアレで、「ギャンブル依存症」に世間の関心が向いている。

3年前他界したアル中の父は、ギャンブルはしていたけど、それに関しては依存症ではなかった、と思う。

父はパチンコはしなかった。競馬だ。
その話を書いてみようかと思う。


依存症とはどういう程度を指すのか、どのように脳が働いているのかなど、ニュースを受けて精神科医たちが解説しているのも聞いたけど、ギャンブル依存症は大金を失うという点ではアル中よりも厄介かもしれない。
父がギャンブル依存症でなくて、心底良かったと思う。

ただし、母の妹である叔母から、父はギャンブル依存症の疑いを持たれていた。


母方の祖父が他界した時、すでに母は脳卒中で倒れており意思疎通は困難だった。
叔母は、祖父が母に残した遺産に父が不当に手をつけていると怪しんでいた。

私は父の行動からして、それはないと否定していたけれど、実際に違ったとちゃんと分かったのは父が突然死した後だ。


父が残してくれた預金通帳を見て、あぁやっぱり違ったと。
あんな親でも、濡れ衣を着せられていたことは悔しく思うもんだ。
今でも仲が良く、母が倒れてからは二人三脚で歩んできた叔母だけど、父への悪口雑言に対してはなかなか引っかかるものがある。

死んだ途端に、「可哀想な人だった」と評価が変わっている。
あんなに悪口ばかり言っていたのに。
私も言ってたけど。
娘は言っていい。
言いたくなる気持ちは父を見てればじゅうぶん分かる。
でも親の悪口は、やはり娘だけが言う特権なのだ。
それはそういうもんだ、と思う。


とはいえ、私は父を庇うことなんてできない。

叔母が一番落胆した瞬間はあの時だろう。

母方の祖父が他界した際に、みんなが病院に集まった。
少し遅れて来た父の一言に、場が凍りついた。
「馬券を買ってきたから遅くなった。」 

叔母の顔に怒りが滲んだ。叔父も心底呆れた顔をした。
私にとっても、この男の血が流れていることを、人生で一番恥ずかしいと思った瞬間だ。

母方の祖父と言っても、父はいわゆるマスオさん状態で同居をしていたし、もともとは祖父が近所の交番に勤務していた若い日の父を気に入り、母の結婚相手とした。
完全に祖父の目は狂っていた。

ただ、ASDの息子を持った今、おそらく父は同じ発達障害を持っていたと確信している。
場の空気に沿わない発言をしてしまうのだ。


叔母の怒りはもちろん、それだけで形成されたものではない。
父は義両親である祖父母の面倒を完全に放棄した。鬱を理由に全てから逃げた。
父も病気だったのだから仕方ない、そう言えるのは、やはり死んで美化しようと思えば可能だからだと思う。
当時は私も父のことで頭を抱えていた。
縁も切りたかった。
でも、切れなかった。
結果的には、つかず離れずでいれたことは良かったのだと思うが、それは父もまた、長生きはできなかったからであろう。

話がそれた。

父はパチンコは絶対しなかった。
パチンコは儲かるわけがないシステムなのだと言っていた。 

父は徹底して競馬しかしなかった。
「競馬は統計学だ」とよく言っていた。
きっと同じようなことを言っている競馬マニアは多いと思う。
彼にとって、競馬は学問であった。

Excelなんて使えない父は、大量のノートに手書きでレースの結果と思わしきデータを書き込んでいた。
異様さは感じていたが、妻は寝たきりで施設にいるし、私との関係だって温かいものとは言えない。
趣味も友達もない。
そんな彼に唯一残された楽しみであり、私からしたら大金を使ってる様子はなかった。

それに、元気だった頃の母は、競馬には寛容で、G1のような大きなレースの際には母自身もいくらか馬券を買ってもらっていた。

だから、難癖つけるようなことはしなかった。

一度、父の部屋で見つけて思わず笑ってしまった本がある。
『武豊で小遣いを3倍にする法』
表紙には馬に乗った武豊を囲み、喜んでいるおじさん達が描かれている。

チラッと目を通したところ、確実に当てるには「ユタカ」を上手く選んでいくしかない、というユタカ信仰の勝ち方を教える手法で、いかに武豊という騎手が偉大であるかを思い知らされた。


自分で謎の統計を行い、競馬書籍で知恵を得た父は、毎週一回、今はなき実家の自転車圏内にある場外馬券場に行く。


私はあまり近寄りたくなかったが、場外馬券場の付近は異様なオーラがある。
大量の低所得層であろう中年男性もしくは高齢者がひしめき合い、そのどの人も同じに見えてしまうというか。纏っている全てのオーラが同じ。
彼らがゾロゾロ歩いている列は、なんだか巨大な暗い渦のように感じていた。


私の主人は隣県の出身だが、まだ私と出会う前にたまたまその場外馬券場の近所のアパートで一人暮らしをしていた時期がある。

どうして、あんなに気の悪い場所を選んで住んでたのか分からないが、安かったし当時勤めてた会社に通いやすかったようだ。

だから、今でもなんかの拍子に「場外みたいな場所だね」とか、「場外みたいなオーラがあるよね」といった表現が伝わるという、どうでもいい利点がある。 

結局、父は結果として見れば競馬とは良い付き合い方をしたのだろうと思う。

この話は今はしないが、父は亡くなったその日も馬券を買っていたようだ。


母が倒れてからは幸せなんて感じることはなかったであろう父が、アルコールには溺れても、ギャンブルには溺れなかったのは何故だろう。

人の弱さとは、どこに向かうのか。
何に溺れていくのか。

私は自信がないので、パチンコにも競馬にも近付いていない。



そんな私が一度だけ、場外ではなく、普通に競馬場に向かったことがある。
双眼鏡をぶら下げて、まだ小さかった息子と夫とともに。
競馬場というのは、年齢層が広い。
CMの影響もあってか、若者やファミリー層も多く、なんなら子どもがちょっと遊べるような場所もあった。

この時私が双眼鏡で見たかったのは馬ではなく、ミュージカル界のプリンス山崎育三郎だ。
当時、実写映画版「美女と野獣」の吹き替えを担当した育三郎にのめり込んでしまい、いそいそと出かけたのである。
何の用事で育三郎が来たか忘れたけど、
小柄なジョッキー達の中で背が高くスタイルの良い育三郎を双眼鏡で脳裏に焼き付けた。

せっかくなので、1レース買ってみたけど、ビギナーズラックがあるはずもなく。
ただ、レースが始まった時の男たちの地響きのような歓声、そしてレース終了時の地の底のような呻き声は、圧倒されるものだった。

帰りに駐車場から出るのに1時間もかかり、もう絶対に来ないと旦那が怒ったので、それ以来行っていない。二度と行くことはないだろう。

私と競馬が出会うことは、おそらくもうない。

それでも、テレビで競馬のニュースが流れるのを見かければ、父を思い出してはこれからも少しだけ切ない気分になるのだろう。


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