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優しさ連鎖に巻き込まれ。
「ああ、小さい頃からよくテレビで見ていたあの子、俳優さんがもう主演を張っているんだな~。やはりキャリアも長いからそういうのも相まって……」と、テレビ画面の年齢をふと見る。「あれ? 同い年?」となる。そういえば、私はもうすぐ30代だ。心はまだ10代で止まっているのに、私の背番号はいつの間にか大台に乗り始めている。
そんな事を悠長に思っていたが、周りは結婚や出産などという声がそういえばよく聞こえてくる。私にそういう風はまだ吹いていないようだが、そろそろ考えなくては。でも、私は柔軟でないから、すぐに受け入れて「はいはいやります」とはならず。むしろ、少しばかり疑問すら抱いている。
私より上の世代夫婦は、まぁそれなりに仲良くはやっている。でも、何だか楽しそうに見えない。いやそもそも誰かを喜ばせる余興でもないのだから、そんな楽しく見える必要もない。だが、少しくらい夢があってもいいんじゃないかなとは思っている。よく結婚は墓場みたいな事を聞くが、それだけじゃないんだというところもあると信じたい。だって墓場なら、こんなに子供が生まれて繋がれていくだろうか。少なくとも希望、何かしらの幸せやメリットがあるから、ここまで世界は繋がれているんじゃないのか?と、壮大なテーマで一応、置いてみる。
でも、実際はお互いの文句なり喧嘩なり。それを聞かされて育ち、刷り込みをされ、「じゃあ幸せになります!」となれるならば、それもいいと思う。うん、私は考えすぎなのかもしれない。まぁ勢いで?という気持ちも分からなくはない。この歳になってまでとなると、やはりウジウジ考えて手も足も出ない状態というのは確かによくあるから。結果的に今現在「じゃあ、それなら何故? しなければならない?」という方程式になっているので。こんな考えの人間が量産されたら、困る人も多かろうと思う。しかしこう言うと、自分がしたくないからゴニョゴニョ言っているんだろう?となってしまうかもしれない。あくまで今回はそういう話ではない。ただ、ある意味こんな人間が「しない」を選ぶ事が優しさでもあるような気もするというお話の……つもり。
私はもし叶うならば。「自分の子供には出会ってみたい」と、現時点では思っている。何故出会ってみたいのかと問われれば、とても長い話になりそうでならないかもしれない。ここをあえて簡略化して言うならば、自分を頼ってくれる「本気の相手」が欲しいのかもしれないと思った。いや、今だって一応あちらこちらに相手は居る。それは家族も該当するし、見方によっては他人も。いやいや「本気」って、喧嘩でもするのか?「本気」と書いて「マジ」的な何か?と思われるかもしれないが、結構そのような雰囲気かもしれない。
今、こうして自分の中のモヤモヤをこんな大々的につらつらと書いてみてはいるが。これだけの事を想っているというのを人に伝えていくのは到底難しく、ましてや私は恐ろしくコミュニケーション能力が欠落していて、これだけ書けているから……と思っていても、これを口から放出するのは困難を極める。きっと時間や余裕がないからとかって、嫌な大人みたいに、色んな理由を付けてもいるだろうが。だからって、何かを諦めて良いというワケでもないのだが、どこか諦めてしまっている自分が居る。「どうせ伝えても伝わらないよな~」みたいな。
そして、こう見えて相手の人生を考えている。「今これを言ったら困るよな」、「多分何か言われるだろうな」といった気持ち。そこから要らぬモヤモヤや遠慮が生まれてしまって。まぁそんなに言うほど色んな事を我慢してきたわけでもないし、やりたいことをたくさん遂行させてもらった人間がとやかく言うのはおかしいかもしれないが。一応、相手のことを想いやっての行動なりであって、「本来はもう少しこうなんだけどな~」みたいなのはタンス奥にしまっているような、そんな感覚。いや、これに関しては自分の中でだけかもしれないけど。結局のところ、本当の想いや感情を上手く波に乗せて相手に伝えることができずな日々。
考えてみると、周りに居る皆がそうなのかもしれない。相手を想って言わないだとか、手を出さないだとか。こんなわざわざ「人間だから」で片付けられることを延々語っているだけなのかもしれないから、周知の事実をこんな風に書くなよと思われるかもしれない。だから社会の中で問題になっていったり、複雑化しているんだよと言われそうな。
実際私がそう思い願っていても、私が生み出すかもしれない子供の存在もまた人間、のはず。子供が遠慮してしまえば、私と同じような結末を辿って、多々色んな事を思い。いつかこういう風につらつら書くような子に育っていくのが我が家系の宿命かもしれないとも。まぁそれはそれで見てはみたいという好奇心をくすぐるが。それじゃあ対等に話すこともなければ、さっきの私が望んだ「本気」じゃないかもしれない。
いやいや「ん? ちょっと待って」となる。「そんなに誰かと話したかったのか?」、「熱く語らうことを望んでいたのか?」……うん、確かに頼られるというより頼る人ではあるかもしれないが、ちゃんとお話してくれる人や機会は山ほどにたくさん。多分、私自身がほとんどそれに応えれずに逃げてしまっていただけ。これは相当罪深いが、それもこれも「自分に自信がないからかなぁ……」という言い訳を述べてみる。「自信があれば今頃こんな風に……」と、恵まれた環境下に居るのに、これ以上何を言うんだと言われそうなくらいだが。何となく育ってきた中で、自分と相手にある熱みたいなものが違うな~と感じてきたのだと思う。相手は平熱や微熱なのに、こっちは高熱でフラフラしている状態のような、少し重きを置いて話していることが「なんか違う」みたいな、そんな感じ。でもそれは相手も同じように思っているだろう、というより「コイツに話しかけても意味ないな」って思われるかものほうが一番何より怖い。いや、怖いは失礼か。怖いと言うより、その「意味ないな」まで至り考えさせてしまったみたいな過程なりが、どうせ無意味なのに時間を費やさせてしまった、という意味で申し訳ない……
それくらい、自分と話す……いや、話してもらうということに対して、何かしらのコンプレックスというか、こんな自分なんかに?みたいなところを常々感じていて、それを感じずにそのままぶつけてくれる可能性があるのは、私を何も無い状態から見つめてくれる子供というところに考えが至ったのかもしれない。とはいえ、うーん。これは自分のエゴなのかもしれない。自分の為に、ばっかりになりたくはないし、だけど、出会ったらそれはそれで何か気付きや自信も出てくるかもしれない。淡い期待に少しばかり身を寄せても、罰は当たらないかな。
もしかしたら長い時間を共にする上で、子供が私を「自分に向き合ってくれる熱いおばさん」という認識さえあったら。「学校でこんなことがあって~」とかも友達感覚で話してくれるのかなとか、でも思春期だったら難しいだろうなとか。でも、私がそれに合う熱を探し当てれる能力がないかもしれない。いくら子供が常に居る仲間的な認識になってくれるにしても、その子の全部を知るのは難しいだろうし。子もまたそんなにこんなおばさんを頼りたい、熱く話をしたいだとか思わずに、はたまた話し相手なんて要らないよとか思うかもしれない。だって、人生には「まさか」というのが存在するようなので。そんな叶わぬかもしれない期待で本当に出会って話したいのかというと、「うーん、どっちでもいいな」という結論。ただ、漠然と「子供が欲しい」という感情だけでいられない自分が居るというだけの話。
結果的に子供の先の未来を考えたら、今よりもっと生きづらい世の中になるかもしれない。正直、私もどこまで支えていけるかも分からない。そんなんで一番ツラいのは「生まれて来なきゃ良かった」という気持ち。出来ればそう思ってほしくない。こう思うのも実際、私がついつい何度も思ってしまったからというのもあると思う。これは親に対しても申し訳ないなと思わなければならないけれど、そう思わせてしまう何かも良くない。それが何かっていうと、色々あるとは思う。どこかにそういうマイナスな塊みたいなのが時々降ってきては邪魔をして、「想ってはいけない」と思えば思うほどツラくなってしまう。だったら「想ってもいいよ」って胸張って言えるようなおばさんになりたいなとも。子はきっと親のあれこれを潜在的に感じて、きっと傷つけたくなくても傷つけてしまうほどの何かがあると思うから。もう私を殴っても何をしてもいいし、嫌だと思ってもいいからと、あっけらかんと言えちゃう強いママになりたい。元々は親が子のことで言い合う姿を見たくて生まれてきたんではないはずだし、もちろん他人と喧嘩するために生まれてきたのでもない。かといって、人を幸せにする為に生まれてきたんでもなく。例えば自分の為とか何か別の大義だってあるかもしれないんだから、こっちの幸せだとかそんなんも考えなくて良いよって。でも、そう言えるほど強くある自信や余裕が今はない、無理だよというだけの話。
もしも……という話しか今は出来ないが、これだけ考えてもまだ手の届かぬ場所で問題が起きたり、想定外の事が起こるかもしれない。でも、此処に記している意味もよく分からない。こんな時間を割いてわざわざ書くことなのかなと、自分が一番思っている。だけどこう見ると、やっぱりどっかで考えが及んでいるというか、先の未来に居るかもしれない子の事を考えるなんて、大人になるもんだなぁ……と。いや、その前に考えることがあるだろうよ!というツッコミもなくはないが、きっと親もこうやって色々考えて支えてくれているのかな、なんて思ったりもする。でも、こういう風に相手を想うのは結構疲れるし、そういうのを思わずには居られない部分もあるけど、あくまで自分が一番で。これは今の私にも言えるし、未来への私にも言いたいし、やっぱり子にも伝えたい。相手を想う優しさも勿論、絶対に大事なんだけど、自分までも置いてきぼりにしないでよねって。
色々語ってはみたが。こういう風にあまり述べたことがないせいもあって、かなり支離滅裂な事を言っているかもしれない。けど元を辿れば、人が交わってくれなければこの世界は無かっただろうなという結論に至る。某100円ショップ内で流れている「あったらいいな」とか、SNSの「こうすればいいかもよ」という知恵袋的なのとか。人が通じ合ってきているからたくさんの足し算なり引き算?の方程式ができていくし、そこに間違いも正解も出てくるけど、それを繋いで形にしていくから今に繋がっているのだと思うから、これはある意味、目に見えない優しさ選手権? いや、連鎖的なのかなと。そこに私は属さず「皆ありがとう~」という気で居るだけな気もするが、まぁ私はそういう居ても居なくても良いお立場なのだろう。
時には悲しいことも起こるし、ふと怒りが込み上げるようなことも多々起こる。特に子供関連のニュースは、自分が意識しているせいか、とても目に入りやすい。特に子供の死ほどつらいものはない。死ぬために生まれてきた訳じゃないのに、誰かの手によって失われてしまう。もしかしたら、そんな悲しいことが身近に起こるかもしれない。そう思うと、色んな事を乗り越えていくのはしんどいし、その乗り越えられる自信がないから、ここで終止符を打たなくてはといけないんじゃないかとも思う。
いよいよ周りも私も結婚、出産だとかそういうのに支配され始めた。いや、支配だなんて言ってはいけないのかもしれない。人が作ってきた「目に見える幸せ」は、どうであれ「人の為」にあって、誰かを不幸にする為に作られたものではないと分かっている。だけど残念なことに、日々あちらこちらで悲しいことは起こる。辿れば「じゃあ出会わなければ」、「知らなきゃ良かった」となるけど。だったら、何もしないほうが誰も彼も幸せにやれるのかっていうと、それも違う気がする。そういうのもひっくるめて考えてしまい出すと、もうどうにも止まれない。
親は子が独りで生きていけるように、寂しくないように、自立をさせようとする。その為に学校でお友達を作るように促すし、結婚相手や子供を作れとも言う。これも一部の考えてはあるけれど、ひとりって意外と寂しいし、誰かの何かで出来ている世の中でもあるから。何でも良いけど、できればそうあったほうが世間からの見栄えとかも良いのかもしれない。だからイジメも受けにくくなるかもよ~みたいな雰囲気なのかもしれないけど、それはあくまでそういうひとつの考え、その親や世間が考えた一部の優しさであって。私はその優しさを受け取らないで横にずーっと置いてきたかもしれないし、その横で少しばかり今は息を切らしているのもあって、何か真面目に意味だとかを考えすぎてしまっているんだなと……いや考えなくてはならないんだけど、もう少し肩の荷を下ろさないとなとも思う。堅苦しくなったって誰も得はしないし。多分、もっと私達より前の先人たちもガヤガヤ言ってくるのもきっと、この先を走って生きる私達を見た優しさなのかもしれない。
人生っていうのは分からないけど、現時点ではそういう風に考えているし、未だに自分の年齢だとか目先の事に対してしかと向き合えていないけど。でもこれが自分で、生まれた意味がこんな事するためとも思ってはないけど。ただもし考えるのであれば、親から受けたこの優しさ。そして世間が目をかけてくれている婚活だったり、育児の支援だったり。私はそういう見えないところの愛情だったり、苦労だったりをすぐにギフトとして残念ながら今は受け取れない。社会に何の貢献もしていなければ、関係ない人間である私が文句などを騒ぎ立てるのは本当にみっともない事かもしれないけど。
ひとつひとつの事柄にはきっとどこかに誰かの優しさがあるんだって事は、今一度身に留めておく必要があるなと思う。そして、私がまだ出会っていない相手や我が子に対しては一応想っている事があるし、今こうなっているのは、私なりの優しさだと胸張って言えればいいけど。そんなカッコいいものでもなければ、要らない優しさかもしれないから。とりあえずまぁそれなりに理由があるんだよと、周りにも自分にも言い聞かせる。
うん、やっぱりこのままマイペースに進もう。ごめんね、色々期待してくれている方々。申し訳ない、これが今の私ができるバカな優しさなのかもしれない。まだまだ時間はかかるかもしれないけど、私だってぷらぷらとしていたくはないから、考えて……今はタイミングを狙っている生意気ガールということで。うーん。優しさは形を変えて、結構転がっているのかもな。「あれ?」……よし、もっと気付きを30代は得たい!という目標の話になってきている?