わたしには今日しかない

新年のごあいさつをするには随分日が経ってしまいましたが、ようやっと2017年一発目の更新です。昨年の9月から「毎日書く」という目標を掲げはじめたnote。昨年は大変お世話になりました。年の暮れが近づくにつれ徐々にサボり癖が発症してしまいましたが、本年も細々と続けていきたいと思っておりますので、何卒よろしくお願いいたします。

12月21日を最後にかっきりやめていました。そして現実逃避をしているうちに14日になってしまった。

12月22日、元上司の危篤を知らせる連絡がありました。以前の勤め先で何から何まで面倒をみてくれた人です。たった5つしか変わらない彼の仕事ぶりに、何度励まされたことか。わたしの旗印のような存在でした。会社から帰る電車で、くも膜下出血を発症。椅子に座り、眠るように意識を失ったため、発見されたときには心肺停止からかなりの時間が経過しており、肺の7割が水浸しになってしまったそうです。つまり、二度と自分で呼吸することができないのです。搬送先の病院にかけつけましたが、ほぼ脳死の状態とは思えないほど健やかな姿。久しぶりにいっぱい寝たわ〜と、いまにも目を覚ましそうです。声は聞こえているということだったので、次の食事の約束を一方的にして病院をあとにしました。亡くなったとの連絡がきたのは、翌々日のクリスマスの日でした。

生死を冷静に考える間もないスピード感に、これはオバケになる人がいても仕方ないなとかそんなことを考えていました。わたしが同じ状態になったとしても、オバケになるだろうと思った。死んだことにも気づかないかもしれないし、未来に投資しっぱなしで全然人生楽しんでねー!とか言うと思う。きっと、彼もそうだと思う。

毎日をどうにか生きていると、ついつい未来に思いを馳せてしまいます。「こんな風になりたいから、少しずつでもがんばる」。願掛けのような目標設定は、とても心地が良いものです。つらく苦しい一日に大きな意味をもたせることができるし、現実と目標の差が大きいほど、毎日がキツイほど、夢のような未来へ近づいているような気がしてくる。しかし、命は突然ブツっと中断されてしまいます。やる予定、話す予定、作る予定、会う予定。数え切れない予定を残し、お詫びも言い訳もなし。やり直しもなし。

胸に引っかかり続けているのは、亡くなるちょうど一ヶ月前にもらった彼からの電話を無視したことです。彼とは夏ごろ、飲みの席で大げんかをしました。彼に甘えきっていたわたしは、まだ怒っているというポーズをとるため、その連絡を無視しました。呼び出し音が止まったあとで届いたメッセージには「元気か?そろそろコピーのしごと、頼んでいい?」とありました。それも無視してしまった。一年後には普通にもっと自信がついて、胸をはって会えると思っていたから。

成長した姿を見せるまで会えない。対等に話せるようになるまで会わない。そんな言い訳を並べ、意図的に会わずにいる人がたくさんいます。いま言わなくていいか。明日もっと時間があるときでいいか。そうやって飲み込んでいる言葉があります。夏までにはやりたいなと思っていること、来年あたりにできればいいかと思っていること、いつかやってみたいと思っていることも山ほどある。もう夜中だけど、1月14日をまだまだしゃべり足らない。今日すらまともに暮らせていないのに、いつかのことばかり考えている。

今日が終わっても、次の今日があるかわからない。明日があるのは偶然なんだ、人間ってそういう風にできているんだと痛感した年末年始でした。新年一発目、少し辛気臭くてごめんなさい。

でも、わたしには今日しかない。今日を使い切らなくては。明日にお釣りを残さない。今日が一番未来。

今日しかない。と思って2017年を生きていきます。

また明日。

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