見出し画像

私は自分を凄い人間だと思いたかった

私は出来る人間だと思いたかった。

すごい人間だと思いたかった。

でも同時に「自分はダメな人間なんだ」とずっと思っていた。


今でもよく覚えているのは、小学2年生の時にスラムダンクにハマった。

しかし主人公桜木花道の名セリフの「天才ですから」という言葉に、小学2年生の私は「なんて恥ずかしい言葉を言えるんだろう」と思っていた。

素人なのに。

バカにされてるのに、なんであんなこと言えるんだろう。

そう思った私は
「恥ずかしいことは言ってはいけない」
「バカにされるようなことは言ってはいけない」
「自分を天才だなんて思ってはいけない」

そんなふうに解釈してしまった。

でもどこかで、「天才ですから」と言いたい、そんな生き方をしたいとずっとずっと思っていたように思う。

私の生き方はいつも完璧を求めていた。

普段のテストもそうだし、
小学校高学年のときは、期末に担任の先生が1年間に習った漢字全てを出すという謎?のテストがあり、500問とかあるものをひたすら全部覚えて行った。

「完璧でいないと」
「間違えてはいけない」
「クラスで1番でないといけない」

小学生ながらずっとそんなことばかり考えた。
だから、毎日3~4時間は勉強してたように思う。

しかし中学生にあがり最初の挫折を味わう。

「英語」

全くわからなくて、近くに教えて貰える人もいなくて、
塾も行かなかった私は、ただひたすら自分の勉強をした。

それでも苦手意識が拭えなかった。

初めての英語。
英語の先生はグループになり、クイズ形式で問題を解きみんなの前で発表し、チームで点数を競わせるという「楽しい授業」をしようとしてくださってたが、
私は「間違えることが怖い」「恥をかきたくない」の気持ちしかなくて、全く楽しくなかった。

むしろ英語がもっと嫌いになった。

それでも必死にやればまだ1番は取れた。

しかし高校生になって

「人生で初めての赤点」を数学で取った。

さらにはわたしがどんなに必死になっても、勝てない子が出てきた。

親から見たら、「1番になれないなんて当たり前のこと」だ。
世界は広いのを知っているから。

しかし私は、
恥をかきたくない
親やみんなからすごいと言われたい
その一心で小学生から生きてきたから、勝てないことにどう対処していいのか、わからなかった。

わからなかった私が出した答えは「諦める」だった。

『どうせ、頑張っても無理』とい、頑張ることを諦めるようになった。

自分がやりたいことがあった。
歌を歌いたいとか、
舞台に立ちたいとか、
実は高校生や大学生のときそんな事をおもったことがあった。

でも、
自分は背が低いし、可愛くないし、無理無理と思った。
東京にいくのは怖いし、お金かかるから親に迷惑がかかる。

海外に行ってみたいと思ったこともあった。

でも、英語は苦手だし、そんなお金なはいと自ら諦めてやめた。

そう。誰にも相談しないで自ら諦める癖がついた。

親にお金が無いとか、
人のせいにして諦める材料にした。

いま、
今の自分を振り返ると、なんであのとき相談しなかったんだろう。

そう思った。

そしたらもっともっと自分は羽ばたけただろうか。

そんなことを思う日もある。

でも、そう思う自分の横には、
それでもまだ今があって、
やりたいこともやろうと思えばできる環境にいる。

確かに諦めてきたものもあるけれど、
本当に、本当に諦めていいのだろうか?

ちゃんと、
諦めの思いとともにある、
さらに奥にある本音を、また、隠してしまっていいのだろうか?

願いは叶わないこともあるけれど、
最初から諦めて本音を言わないこととは違う。

そう思ったら、なんだか気持ちがざわめくと共に、少しだけ前に進めるような気がした。

自分を凄い人だと見せたくて、
そう思ってもらいたくて、完璧を求めて生きた。
でも挫折したとき、見放されるのが怖くて、
人に相談することもせずに、自ら諦めて道を閉ざしてきた。

これもわたしの選択。

しかしこれを書いてて泣けてくるというのだから、どこか 人に聞いてもらいたかったのかもしれない。

親のせい、人のせいにするんじゃなく、
ただただ私の迷い、不安を聞いて欲しかっただけなのかもしれない。

それに気づいたのだから、素晴らしいなぁと思う。

そしていまは、相談できる人がちゃんと居てくれるのだから、
昔の私に「大丈夫だよ」と言って話してみようと思う。

強くいなくていいんだ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?