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歌ってみたという謙虚さと創造性
ニコニコ動画で始まり、YouTubeでさらなる発展を見せた「歌ってみた」ですが、この「してみた」という日本語表現を最初に言い出した人は凄いなと思います。
言葉・表現そのものに、興味深い日本らしさが含まれている気がするからです。
「~してみた」という形式の意味
「~してみた」という表現には、「試しにやってみる」というニュアンスがあります。これは、自己表現に対する謙虚さや遊び心を反映しています。
歌ってみた文化では、自分の表現を絶対化せず、試行錯誤の一種として視聴者に発表する姿勢があるように思います。
加えて「してみた」という表現は、自身の行いが完成品ではなく、成長のプロセスであることを示唆しています。
この試みの精神は、なんというか「経験を通じて自分も学んでいきますよ」といったプラグマティックな考え方にも通じているように見えます。
自己表現
「歌ってみた」という表現自体には「私が作った」や「私が演じた」という自己主張があまり含まれません。単純に「歌う」という行為そのものに焦点が当たり、「自己主張が抑止」されていると考えられます。
ちなみになんですが。
英語だと、coverで統一される感じでしょうか?日本でも「カバー」という言葉は昔からありましたが、多くの場合はプロが歌唱、編曲するものだったと記憶しています。
模倣と距離
模倣とは、ある意味では学びや成長、新しい表現の基盤です。歌ってみたはオリジナルを「模倣」するという行為ですが、その本質は、単にオリジナルを忠実に再現するだけではなく、新たな表現として捉えられます(この理論、どこかで見たことがあるのですが、誰か教えていただければ幸いです)。
歌い手の技術や表現は、オリジナルとの間に明確な「差異」が存在します。声も歌い方も、性別やキーの取り方も異なるため当然といえば当然ですが、これにより、歌い手の歌ってみたは単なる模倣ではなく、個性を発揮した新たな創造物となります。
また、「歌ってみた」は、「本格的に歌った」というよりも、「試してみた」という距離感を含んでいます。この表現により、オリジナルの権威に挑むのではなく、親しみやすさやつながりを重視する姿勢が伝わります。
この差異は、オリジナルをただ真似るだけでは到達できない創造力を発揮します。歌ってみたは「オリジナルを再現する」という一見受動的な行為が、実際には能動的で、創造的な行為でもあると考えられます。
共同体的な文脈
「歌ってみた」という表現は、楽曲の所有権や作者性を重視しつつも、楽曲を「みんなのもの」として共有し、楽しむ文化を示しています。この表現には、視聴者も「試しに歌ってみる」と働きかけ、「参加」を促します。
視聴者は、歌い手の個性とオリジナルの違いを認識し、それを独自の解釈で受け取ります。この点で、歌ってみたは、歌い手とリスナーの間のインタラクティブな関係を作り出すことに一役買っています。現在では歌い手のYouTubeの移行によってプロフェッショナル化が進みましたが、ニコニコ動画時代では動画コメントが流れながら、歌い手であるファンと聞き手であるファンが交流するコミュニティとしての意味合いが強かったように思います。
未完成であることの美学
「歌ってみた」という表現は、歌い手自身が「未完成」であることを受け入れる姿勢を示しています。これは、不完全さにある種の美を見出すという考え方ではないでしょうか。「侘び寂び」?
一方で、「歌ってみた」はプロの歌手とは異なり、「アマチュアであること」の魅力を強調します。この不完全な状態がリスナーとの距離を縮め、より親近感を生む要素となっています。
これらのことから「歌ってみた」は、アマチュア同士のコミュニケーションとして大いに活用されていたなということを思い出した次第です。
皆さん、お好きな歌い手は誰でしたか?
自分はよっぺいです。
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