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30歳過ぎ、独身女、年越しネパール。


1日目 移動+市内散策

空港という場所は、新幹線や鉄道などの交通機関とは一味も二味も違った「旅感」を演出してくれる。特に国際線は玄関口に足を踏み入れれば国境に沿って歩いているような気がしてくる。電子ボードはアルファベット、漢字、ハングル文字で案内表記され、飛び交う声は全く聞き取れず、チェックインに並ぶ人たちの服装は夏服と冬服とが混在している。

小さな地球みたいだと思う。

どんな旅になるのか楽しみだ。

明け方の成田空港

ネパール航空は搭乗2時間半前の朝7時時点で長蛇の列。まさか並びながら本を読み始むことになろうとは。たくさん持ってきて大正解だった。

  • 吉本ばなな|哀しい予感

  • 多和田葉子|地球にちりばめられて

  • クオ・チャンシェン|ピアノを尋ねて

どの小説も素晴らしくて、主人公たちはそれぞれに喪失を抱えていた。ひとりで寂しい私にはぴったりな作品たち。ばななさんはいつでも最高。

フライト時間はおよそ9時間、時差はマイナス3時間で、さほどつらくない移動だった。機内食は何が入っているのかよくわからないカレーと、変に甘いケーキだった。




窓の向こうに見えるのは土埃か、大気汚染か、はたまた靄か。小学校の乾いたグラウンドで舞い上がる土煙のようなものが、この街全体を覆っている。のど飴とマスクを必ず持ってきて欲しいと申し込み時に念押しされたのがよくわかる。こりゃあ吸ってはいけない類のものだ。

てっきり窓が汚れてるのかと・・・


空港には16時ごろ着き、現地の人にホテルまで送ってもらった。今日はあまり観光に力を入れず、カトマンズ市内に早めに着いてお店巡りをすることにしている。急に天気が悪くなったように見えたので「雨が降りそうですか?」とドライバーさんに話かけてみたところ、ニコニコしながら「ネパールではね、これは晴れてるっていうんだよ笑」と教えてくれた。たしかに、冬は乾季なので愚問だった。

降りそうなんだけどなあ


車窓から見えた街並みはザ・南アジア。早速見たい景色が目に入ってきたので気分が良い。クラクションが街中で共鳴し古いビルの窓を揺さぶっている。バイクが道路の隅々までみっしりと渋滞して走る様子は、川の氾濫する流れを想起させた。

ネパールもsuzukiなんだね

驚いたが、これだけの交通量がありながらネパールには(ほぼ)信号と横断歩道がなく、たまに警官が手信号をしているぐらいで、道を渡るときは覚悟が必要だ。



晩ごはんを探そうとそこら辺のお店をウロウロしてみたところ中華料理が非常に多い。チベットからの難民(チベット動乱)が影響しているのだろうか。あのヒマラヤ山脈を乗り越えて1万人以上が流れ込んできたらしい。今日は試しに現地の中華にしてみた。

餃子のたれはカレーソース。
やはりカレーから逃れることはできない。味は悪くないというか、基本的にマイルドで日本人にも受け入れやすい味付けだった。日本のインドカレー屋はほとんどネパール人が経営しているというウンチクが、今ようやく食べ物と一緒に腹に落ちた。

緑の野菜は救い


店員さんにこれは地元の料理かと聞いてみたところ

「ただの中華」

と言われてしまった。残念、、間違えたようだ。現地のチベット料理というのは中華ではないらしい。明日以降でリベンジするしかないな。




アジア最貧国という情報から治安も非常に悪い印象を持っていたが、カトマンズ市内のタメル地区(Thamel)は活気に溢れ、若者たちが行き交っている。日本と違ってあまり飲んだくれる人がいないのは信仰のせいだろうか。民芸品マーケットの露店が立ち並び、幾何学的な模様と赤・紫・黄・青のカラフルで美しい原色が、薄汚れた家々を華やかに仕立て上げている。

カーペット屋は不動のポジション
ヤクはミルクもウールも大活躍
路地を迷い歩くのが楽しい
スーパードンキーコングにでてくるバナナみたい

ウロウロしていたらあっという間に2時間経ってしまった。あしたも早いので21時ごろには部屋に戻った。

夜は10分に1回は停電が起きる。
ドライヤーは10秒で切れる。
自然なことらしい。




2日目 ヒマラヤ遊覧飛行+ナガルコット

今日も5時起き。
旅のメインの一つはヒマラヤ遊覧飛行。ツアーに申し込んだので何人かの日本人と一緒になって移動した。どうしてネパールなんですか?とやっぱりみんなが聞き合う。そりゃそうだ、ふつうこんなところ来ない。

わたしは・・・独身女、年越し、ネパール、この3連単の組み合わせがなんか面白そうだったからかな。旅の理由なんてそんなもんでいい。

朝晩は気温5℃ぐらいで激寒マンモス

国内線の手荷物検査はあってないようなもので、たぶん何も見てない。でも普通に銃持った軍人さんいるし、空軍の戦闘機があって写真を撮るとスパイとして逮捕されるらしくそれなりに緊張感がある。

ちゃんとおっきいやつ!

CAさん曰く、今日は最高の飛行日和だそう。全員が窓側に座れるようになっていて、わたしは運よく最前席で羽に邪魔されないところだ。(あとで聞いたが、この機体の形状は窓の下に羽が付いているのでどこに座ってもダイジョブらしい。たしかに写真を見ればそうなっている)。1つ後ろには、ツアーが同じになった日本人のおじいさんとその娘さんと思われる若干ファンキーなお姉さんが座っていた。

チラっ

窓ガラスに顔をこすりつけるようにしてのぞき込む。実物を見てるのに、地理の教科書に出てくる地図を見ているみたいだと思った。美味しすぎるマグロを食べて「肉みたい!」と言うのに似ている。適当な表現を失っていた。




キ、キターーーーーー!!!
真ん中がエベレスト
今が最も宇宙に近い
行き着いて旋回
搭乗記念




航路は左手にヒマラヤ山脈を見ながら飛び立ち、最も近づくと180°旋回し、今度は右手に見えるようになる。遊覧飛行では平等に、左席の人が前半、右席の人が後半にエベレストが楽しめる。わたしは左席だったので後半は余韻に浸りながら反対方向の山々を見下ろした。朝の光がミルクのように谷底に流れ込む幻想的な風景だった。

雲海
よく見ると居住地がある

朝8時の便で一斉に飛び立つため着陸は順番待ちになっており、場合によってカトマンズ付近を1時間ほど旋回する。しかも、靄がすごいので結構な確率で別の空港に着くことがあるそうだ。CAさん全然教えてくれないし、ちゃんと帰れるか心配だった。

席を見渡すと、全員放心状態だった。後ろのじいさんは逝ってしまったように目を瞑っていた(不適切な表現ですみません)。娘さんが横から嬉しそうにその顔を見ていた。二人の親密さが伺えた。



「姉ちゃん、ひとりか?」

じいさんが突然目を覚まして話しかけてきた。はいと答えると、そうかそうかと言って着陸まで30分ほど娘さんと一緒に会話を楽しんだ。旅先での偶然の会話は大好きだ。

「その歳でこんなもん見てもうて、もう他に見るもんないやろ?笑。わしはネパールに20年前に1回来とるんやけど、そん時は天候が悪うて見れなくてなあ。どうしても生きているうちに見ておきたかったんや。いやあ、ほんまによかったわ。なあ?ははっ、これでもう死んでもええな笑。」


本気で言ってると思った。


70歳には到底見えない若々しさを持ち、これからまだいくらでも絶景を見るチャンスがある(そうあってほしい)と思った。年齢的な心配もあって今回は娘さんが同行しているそうなのだが、二人は四国住まいで香港を経由しなければならないらしく、その香港で1泊してさらに道中の観光をするという鬼畜な旅プランとなっており、娘さんはじいさまの体力を基本的に無視していた。

道中のモンスターマンションで撮った写真をじいさまに見せてもらった。「これのなにがすごいん?」と言われ、娘さんと二人で爆笑してしまった。インスタですごい人気なんですよと教えてあげると「んなもん、わしにはわからんやろ笑」と言っていた。ごもっともだ。いよいよ着陸態勢に入る。


「これからもっと色んな所へ行けるなあ。」


じいさまの他愛のないボヤキが体に響いた。その言葉はわたしにかけてくれたのか、それともご自身に対してだったのかは少し曖昧な気がした。ここで話している3人が地上8000m地点で共有している言葉だった。

着陸後、別れ際はあっさり。
じゃあなと、一言だけだった。


一生忘れられない景色を見たいと願って人は旅をし、絶景を見て感動する。それが思い出に残るためには写真だけでなく、そこに結び付いた「題名」のような、記憶を定着させる言葉が必要ではないだろうか。


「もっと色んな所へ行ける」


地球で最も高い位置の景色を見下ろしたときの一言。さっきよりも断然深く、ヒマラヤの雪景色が胸の内に刻み込まれる気がした。





つづく、

途中でごめんなさい!

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