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高校サッカーから育成年代特有のオリジナリティを考える
今年もまた全国高校サッカー選手権大会の季節がきた。唯一の栄冠を目指し、負ければ終わりのトーナメントで熱い戦いが切り広げられている。
そんななか、高知のロングスローや高川学園のトルメンタなど、印象的なプレーが注目を集めた。(ロングスローは30秒、トルメンタは2分35秒あたりからどうぞ)
どちらも素晴らしいプレーだが、SNS上の意見は賛否両論といった感じだ。
更に、ベスト8に勝ち進んだ静岡学園ですら、そのテクニカルなスタイルに対して様々な意見を見かける。
しかし、忘れてはいけない点がある。それは、彼らが育成年代だということ。
例えば、高校(あるいは個人)によって目的の優先順位は実に様々だ。インターハイや選手権で勝つことに全てを捧げるチームがあれば、技術の向上や記憶に残るプレーに全てを捧げるチームもある。
中には、その目的のために一般的なセオリーを捨て、武器とするプレーを尖鋭化させるチームもあるくらいだ。
そういった彼らのオリジナリティに対し、まるで勝利のために戦うプロチームの戦術を批評あるいは批判するような厳しい言葉が投げかけられているが、必要なものは最先端の知識ではなく、選手達の意思の尊重だと思う。
「日本が強くなるために」「サッカーの質の向上のために」彼らに語られる言葉がどんなに正しくても、選手たちの意思や意図を汲み取らない言葉は、ただのノイズでしかない。
二度と無い高校での時間を、第三者の戯れ言で穢すことのないよう願うばかりだ。