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カラが必要な人

こんにちは!

カラって、卵の殻じゃありませんよ笑
自分を守る心の"カラ"みたいなもののお話です。


世の中には芯の強い人、あるいは強そうな人という方々がいて

多分私は後者か、そのどちらでもなくて

個人的には、カラを持って生きている
強さのない人間だと思っています。


強い人は限界がなくてどこまでも進んでいくことができて
なんでもできそうな気がします。

反対にそうでない人は力以上に歩き続けると
途中で尽きて立ち止まってしまうことがあります。


もちろんこれはどちらが良い、悪いの話ではなく
そういう違いが人にはあるのかな、という話です。

そして、強くない私はカラを手放せません。
どこかで上限を決めてそこから先へは向かわない、そんなカラを持っています。

そうするとどうなるか。
カラが自分の軸となってくれます。

ここまではできること。ここからはしないこと。
そう分けることで軸ができます。

強くないからこそ、私は軸がないと歩けません。
先が見えなくて怖いから。杖みたいなものなのかな。

でも自分は強いと思っていた人が自分の弱い部分を見たり
反対に弱いと思っていた人がこんな強い部分があったんだと自分を再発見したり。

そんなこともあると思います。

その時は自分で軸を微調整して
発見とともにカラのサイズを変えていくことが
ありのままの自分でいるためにほしいのかなと。

というより、強くない私にはそれが必要なのかなと
勝手に思いました笑


もちろんカラがなくてもなんとかなってる人もいて
そんな人が羨ましいと感じたこともあります。

そんなスタミナがほしい、弱い自分が嫌だ
私だってできるって思いたい。


でもその思いの先にあったのは
ネガティブなものでした。

この思いの根底には
人との比較があって、

人との比較には
自分の良さを分かりにくくしてしまう作用があって

自分の良さを一番知っていたいのは、自分のはずなのに
それができなくなる。

私はそれが一番嫌でした。

身一つでここに立っているのに
それすらも支えられなくなるような気持ちになるのです。

自分が自分の一番の理解者でありたい。
自分を大切にしてあげたい。

そんな私の考えを
叶えるために必要なのが今回のお話の"カラ"なんだなと

noteを書きながら再確認できました。

なんのこっちゃ、かな笑
おわり。

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