水樹奈々よ、あまり「夢は叶う」と歌わないでくれ、頼む。
勘弁してくれ。
僕は不真面目な人間だ。
オタクのみなさんは、「夢」があるだろうか?
「夢なんてふぬけたことより老後が心配だ」というおじさんファンのみなさん、気持ちはわかる。
ならば、思い出してほしい。自分にかつて夢があったかどうかを。
夢は叶わない。
絶対に、とはいわないが、ほぼほぼ叶わない。そういうものなのだ。
僕にも夢がある。そして、僕は二十代半ばである。
「あった」と書かないのは、年齢的に僕の夢はまだ叶えられる可能性があるからだ。
子どもの空想みたいな青くさい夢なので、内容は明かさない。
けれど、僕の夢は叶わないだろう。
表現は正確のほうがいい。僕は夢を叶えられない。
はじめは「叶えられないと思う」と書いたがいい切ってしまおう。
僕は夢を叶えられない。
夢を叶えるためには、才能とか、運とか、いろんな要素が必要だ。
けれど、いちばん大切なのは努力だ。
そして、僕は努力ができない。
「夢」という彼方にあって、はっきりとした形が見えないものに向かって、愚直に努力をする。やるべきことをコツコツとやる。
そういう根気が僕にはない。
だいたいのことにすぐ飽きる。三日坊主の神。坊主神だ。
そういう人間は多いのではないか?
やるべきことは明らかなのに、やらない理由を探してしまう。
自分と他人に言い訳ばかりしてしまう。人間なんてそんなものだ。
夢を手にできるのは、いったいどんな人間なんだろう。
いちおう、仮説はある。聞いてほしい。
夢を叶えるために、もっとも必要な才能はふたつだ。
①夢のための一定の才能がある
➁やるべき努力を継続できる
びっくりするくらいシンプルだ。
けれど、それを達成することはおそろしくむずかしい。
そのふたつを持たない人間は、果たしてどうすればいいんだろうか?
しかも、厄介なのは①を持っているかどうかは、自分ではわからないことだ。
だから、才能はあると信じて努力をつづけるしかない。
それには、なかなかの精神力が必要だ。
自分に才能がないと思い込むことも、「努力をしない」ための言い訳だからだ。
そう、①と➁は実はほぼおなじ意味だったりする。
より正確にいえば、➁は①のなかに含まれる。
すなわち、「努力ができる」こともまた、立派な才能だからだ。
水樹奈々は①も➁も持ち合わせていたのであろう。
彼女の仕事っぷりを見ていれば、それは一目瞭然である。
素人目にも明らかに過剰な仕事量。
つぎからつぎへと新しい挑戦を打ち出すバイタリティ。
関係者がいちおうに口にする「水樹さんはストイック」という言葉。
もちろん、歌詞やダンスは短いリハで仕上げてくる(歌詞をたまにとちるのはご愛敬)。
もう十分であろう。
誰がどう見ても、水樹奈々は「努力お化け」である。
それゆえに、声がでなくなるほど、がんばりすぎてしまう。
彼女は本気の本気で、夢は叶うと信じているのだ。
頑張れば、かならずやなりたい自分になれると確信している。
だからこそ、水樹奈々の歌には「夢」について歌ったものがおそろしく多い。
いくつか本人作詞の曲をあげてみよう。
「POP MASTER」、こう見ると、すさまじい歌詞だ。
「夢に夢見て」とか字面だけだと狂っているようにしか見えない。
ご丁寧に諦めることの外堀埋めてるし。
水樹奈々節全開だ。
つづけよう。
すごい。「神様が舞い降りて」「虹色の夢」である。
完全に宗教である。夢教の夢神さまだ。
やや怖くなってきたが、分析をつづける。
歌詞サイトはコピペができないので、ほぼ手打ちしているが、
どんどん精神がやられていくことを自覚している。
完全に自己紹介である。
「夢」と「恋」を「二兎」と表現しているが、これは「声優」と「歌手」と解釈するのが正しいだろう。
もし、「恋」だとすると、ライブMCなどを聞くかぎり、もう一兎は逃しているようである。
曲名がすべてを物語っている。
以上である。ディスるつもりが、僕はちょっと感動している。
ほんとすげえな、この人。
いいたいことが1ミリもブレていない。
ウィキペディアさんによると、本人作詞の曲は、2019年1月現在、70曲あるそうだ。
そのうち、ノンタイアップの楽曲にかぎると、ほとんどすべてに「夢」というフレーズがでてくる。
実際はそんなことないかもしれないが、それくらい「夢」についてばかり歌っている。とんでもない情熱だ。夢狂いだ。褒めている。
このテキストを書くために、すべての本人作詞を確認した僕がいうんだから、間違いない。
本人作詞ではない曲でも、夢について歌ったものは多い。
おそらく水樹奈々本人からのオーダーが「夢」とかなんだろう。無茶振りすぎる。
やはり、彼女の夢への執着は、すさまじい。
常軌を逸している、といっても、決していいすぎではない。
先ほど感動したとは書いたが半分本気、半分皮肉である。
夢は叶うと叫び、そのための努力を訴えかける。
彼女の歌は、夢に向かって頑張っている人たちを激励する。
それにより、みごと夢を叶えた人間もいるだろう。
けれど、みんながみんなそうではない。
僕の観測では、多くのオタクたちは真逆だ。
やっとこさで日常をサバイブしている。
仕事に、勉強に、日常に、すり減りつつも、推しのライブやイベントのために、精一杯今日を生きている。
夢のためにがんばる時間も、気力もない。
僕はそんな彼らを、「甘えている」と一刀両断することはできない。
僕も、おなじだからだ。
やるべきことから目をそらし、なんとなく日常を過ごしている。
そんな毎日だ。嫌になる。
だから、ときに水樹奈々のメッセージが重たく聞こえる。
それをありがた迷惑ということは一種のタブーなのかもしれない。
許してくれ。僕はそんなに強くない。
「夢が叶うヤツはいいよね」という皮肉のひとつもいいたくなる。
そんな僕は、情けない男なのかもしれない。
水樹奈々には見合わないオタクだろう。
…………とまあ、そろそろ結論がでそうだ。
そう思った、そこの君。残念だったな。
いままでのナヨナヨしたテキストは、ぜんぶ前置きである。
さて。
ここから僕は強引に結論をひっくり返す。
自分でお膳立てしたちゃぶ台をすべてひっくり返す。
これぞ究極のマッチポンプだ。参ったか。
いや、まあ、ほんとにそう思ってたんですよ。
高校生から、大学生、社会人へとステージが変わっていく中で、水樹奈々式「夢は叶う」メソッドが辛く感じることもあった。
ちなみに僕は大学受験に盛大に失敗している。
しつこくいうように、夢もいまだ叶えられていない。
そんなときに、能天気に夢は叶うとかいわれたら、うるせえぶっ飛ばすぞ、といいたくもなる。
だから、奈々さん夢ネタはマジ勘弁してくれねえかなあ、とも思っていた。
これは真実だ。
けど、水樹奈々はしつこく、しつこく、夢について歌う。
僕たちの背中を押し続ける。
さらに、「LIVE GATE 2018」千秋楽のMCで彼女はこういった。
「みんなの背中を押せる応援歌を歌っていきたい」と。
そのとき、気づいた。
ようやく、気づいてしまった。
あ、俺、背中押されているわ――。
たしかに、僕たちは怠惰な凡人で、夢を叶えるための努力はできていない。
すぐ嫌になってしまい、やるべきタスクを投げ出してしまう。
最悪の三日坊主だ。
けれど。裏を返せば。
三日間はつづいているのである。
僕は、そうやって、歌で、ライブで、MCで、水樹奈々に背中を押されるたびに、少なくとも三日の努力はつづけられた。
何度も、何度も、何度も、三日限定でがんばってきた。
そんなものは無意味かもしれない。
途中で投げ出してしまい、自暴自棄に陥るだけかもしれない。
けれど、やらないよりはずっといい。
僕の夢は「自分の書いたテキストがたくさんの人に読まれること」である。形式は問わない。
ぶっちゃけていえば、いつかは小説を書きたいと思っている。
くそう、なんでこんなところで、己の夢を吐露しているんだ。恥ずかしい。誰か殺してくれ。
けれど、書きたいというわりには、怠惰に任せてキーボードの前にも座ろうとしなかった。
だけど、いまは毎日、このnoteを投稿している。
つぎはなにを書こうかな、と毎日考えている。とても楽しい。
おかげさまで、たくさんの人に読んでもらっている。
「つぎが楽しみです」という声がいくつも届いた。
ほんとうに感謝している。ありがとう。
僕の夢は少しだけ叶ったのだ。
いや、叶いだそうとしている。
そして、noteを本格的に書き始めたのは、
「水樹奈々のライブにいった直後」(LIVE GRACE OPUSⅢ)だ。
そう。水樹奈々に背中を押されつづけて、怠惰な僕はようやく、夢への第一歩を踏み出したのである。
わはは。僕は水樹奈々に励まされてしまっている!
なんてことだ!!
(終わり)
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