【追記絶対読んで!!!!】「跳ばないこと」を誓った日/水樹奈々「LIVE PARADE」福島初日
2023年7月22日。僕は推しである水樹奈々夏のライブツアー「LIVE PARADE」福島公演に参加していた。
会場であるいわき芸術文化交流館アリオス大ホールは、どうやら普段は主にクラシックコンサートなどで使用されるハコのようで、大変落ち着いた雰囲気の素晴らしい会場だった。
僕はその最上階である4階席で、「おいホール公演は水樹奈々との距離が近いって言ってたやつ誰だ、大嘘じゃねえか!」などと文句を垂れつつも、開演をいまかいまかと心待ちにしていた。
さて。
突然シモの話で恐縮だが、僕は大変にトイレが近い。
それゆえ”絶対に中座したくない”水樹奈々のライブにおいては、客席への入場がはじまった瞬間(いわゆる開場時間)に会場入りし、速攻でトイレに駆け込むというのを、自分のなかのライブルーティンにしていた。
そういうわけで僕はほかのオタクとくらべて、かなり早い段階で会場入りする。そして本を読みながらじわじわと埋まっていく客席を眺めることが、ライブがはじまるまでの自分なりの儀式になっていた。
今回もおなじような時間を過ごした。そして、開演まで残り5分くらいだろうか。ふと右隣を見ると、通路までの2席ぶんがいまだにあいている。まあギリギリに入場してくるのだろう、と思っていたら、4階席への入り口の扉が開いて、気になるふたり組が入ってきた。
彼女たち──そう、女性ふたり組だった。
70代以上とおぼしきご婦人と、その娘さんと思える女性。
もちろん確定的なことは言えないが、本稿ではそれぞれ仮に「ご婦人」と「娘さん」と呼ばせていただく。
ご婦人と娘さんはゆっくりゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。ご婦人は歩くのもしんどいようで、娘さんが手を取るように付き添っている。エレベーターがあるとはいえ(利用できるかは未確認)、4階まで昇ってくるのもなかなか大変だろうな、と思った。
そして、もしかして、と思った。
僕はある種の”覚悟”を決めざるをえなかった。
予想は的中し、ふたりは僕の右隣の指さして、「あそこだあそこだ」と確認するように歩いてくる。
僕がいる席は4階エリアの真ん中を貫く通路から上のエリアに位置している。ご婦人はその通路から自席へのわずかな階段を昇るも辛そうで、途中で階段に座り込んで休憩していた。
娘さんは「焦らなくていいよ」と優しく声をかけていた。頑強なだけが取り柄の僕とは違って、決して万全とはいえないコンディションで、それでも水樹奈々を応援するために足を伸ばす。地元公演だったのだろうか。あの様子では都内のライブに赴くことも難しいかもしれない。いろんな想像が駆け巡った。
けっきょくご婦人は僕の隣に、娘さんは通路側の席に腰をおろした。
10年以上ひとりでライブに通っていると、水樹奈々のファン層の広さを象徴するようにほんとうにいろんな人たちと隣り合わせになる。老若男女問わず、オタクっぽい人も、パチンコきっかけで水樹奈々を知ったという兄ちゃんも。若い人も、かつて若かった人も、気分だけは若い人も。
それでもこれほどのお年寄り──言ってしまえば、「おばあちゃん」に該当する人をお隣に迎えることは、水樹奈々のライブにかぎらず、あらゆるライブ・コンサートにおいて生まれてはじめての経験だった。
正直、めちゃくちゃに気を遣った。
なぜなら、僕は身長が180センチ以上ある──まあまあの大男だからだ。
おまけにここ3、4年はジムでパーソナルトレーニングに励んでいることもあって、身体自体がどんどんゴツくなっている始末だ。
そんな人間が足腰も怪しいご婦人の横で大暴れして、まかりまちがってぶつかればどうなるか──想像するだけでゾッとする。
これはとくに体格に恵まれた男性諸君にわかっておいてほしいのだが、「デカい男」というのは存在するだけでけっこうな"暴力性"を帯びている。平たくいえば、「いるだけで怖い」のだ。ライブで盛り上がりすぎて万が一ぶつかってしまえば、小柄な女性などは吹き飛ぶし下手すりゃ怪我をさせる。オールスタンディングのライブなんて、ほんとうに気を遣う。
だから僕は水樹奈々ライブで隣の席が女性だった場合、正直「マジか」と思う。跳んだり跳ねたりをかなり控えめにする。それはなんというか、デカい人間が当然持つべき他者への配慮だと思うからだ。
そんななかで「おばあちゃん」である。
これはもう、僕が隣にいること自体がなんらかの加害性を帯びかねないと思った。
考えすぎとお笑いかもしれない。しかし、考えすぎくらいでちょうどいいと僕は思っている。
水樹奈々オタクのなかには「規約違反じゃなければライブはなにをしてもいい」と主張する人もいる。おおむね賛成である。とはいえ状況に応じて、周囲の人たちにある程度の配慮をすること。そういうある種の「公共心」とでも呼ぶべき感情を持っていたいと思うのだ。なお、隣が男オタクの場合はなーんにも気にしません。
とはいえ、そのご婦人は福島限定のライブTシャツにバッチリ身に包んでいたし、今ツアー仕様のライブタオルをしっかりと首に巻いている。おまけに今回のライブツアーグッズとして販売された屈指の珍アイテム、ポップコーンボックスまで肩からかけている。さながら、水樹奈々重武装である。
「自分らしいベストな格好で推しに会いたい&ほかとは違う自分でいたい」というキモい理由で、ライブTシャツをライブで着ない主義を勝手に貫き、あろうことかマフラータオルすら自宅に忘れた挙げ句、現地の無印良品で急遽購入した短いタオルを使っている僕なんかより、ご婦人はよっぽどか気合いが入っている。
尊敬したいと思った。
同時に、遥か上の世代である同性をも魅力する推しを誇らしく思った。
そんなことを考えているうちに客電が落ちた。オタクたちはペンライトを点灯させ、どんどん立ち上がっていく。夜行虫のようだ。
しかし、ご婦人と娘さんは座ったまま。僕は少し悩んだあとに、「隣で立ち上がっても大丈夫ですか?」と声をかけた。「どうぞどうぞ」と気のいい返事が帰ってきた。ふたりの前の席のオタクも「立ち上がっても大丈夫ですか?」と声をかけていた。視界をさえぎってしまうことを懸念したのだろう。ふたりは「どうぞどうぞ」と返していた。優しい現場だと思った。
ライブがはじまった。
1曲目は「Red Breeze」。明滅するレーザー照明と激しいサウンドが否が応にも、こちらのテンションをぶち上げる楽曲である。
気になって、ちらりと右隣を見た。ふたりは座ったままである。なるほど、と思った。
ふだんの僕ならば、もうこの時点でテンションマックスで跳びまくり身体揺らしまくりの大暴れだ。しかし、僕はご婦人が隣に座った段階で「今日は跳ばないでおこう」と決めていた。ふだんから体幹込みで身体は鍛えているので、ふらつくことはほぼないはずだ。ただ、万が一、ということもある。そうなったときに「責任」がとれないし、申し訳が立たない。
そうなると、「跳ぶのは諦めてペンライトを振ろう」となるのかもしれない。ふつうならば。
しかし、僕としては、この状況を”我慢”だとは捉えたくなかった。跳べない踊れない──だから代わりにペンライトを振る。それはなんだか違う気がした。
ライブを楽しむことを”妥協”しているように思えた。それは単純におもしろくない。新たなアイデアとはいつだって”制限”から生まれるものである──どこかで聞いたそんな格言を信じたくなった。
しばらく思案した。
そして、ひとつ決心をした。
僕は1曲目が終わったところで、ペンライトの電源を切り、カバンに放り込んだ──。
そもそもが普段のライブからペンライトを光らせるだけ光らせてまともに振ってないことがほとんだ。いつだって僕は、ビートに身体を揺らすことを優先してきた。だから、こんなときにだけペンライトに頼るのは、むしろペンライトに失礼だと思った。
思い切ろう。覚悟を決めよう。よし。
そうして僕は手ぶらで腕を組んで水樹奈々を、ステージ全体をじっと見つめることをはじめた。踊らず振らず揺れず歌わず叫ばず、ただただ”観た”。集中して観た。観るのだ、水樹奈々を。
いわゆる”地蔵スタイル”の完成である。
僕はすぐに踊らされてしまうので、こんなときでもないとゆっくりと音楽を楽しむことができない。「トリップしてたら久々に聴けた超好きな曲がいつの間にか終わってました」なんてことは日常茶飯事だ。だからこそ、期せずして訪れた"跳べない状況"を、一音一音に注目できる「いい機会」だと捉えることにしたのだ。
中途半端は嫌なので、もういっそのこと曲中の声出し以外も、たとえMCでの水樹奈々からの煽りにも、反応しないことにした。
地蔵の端っこまで行くと、見えてくることがあるかもしれない。いっそのこと、俺がいちばん「動かない地蔵」になってやろうと決意した。何事もやり切ることが大切だ、と、たぶん水樹奈々も言ってくれる。
"地蔵"をやってみて、なにか新しい発見があったかといえば、「まだわからない」というのが正直なところだ。
それは追々、こうしてオタク長文を書くときに効果を発揮するのかもしれない。しないかもしれない。わからない。
とはいえわかりやすいところでいえば、よりディープに「音楽に淫することができた」という感覚が残っている。そもそも音がいいホール公演ということもあるが、一音一音がダイレクトかつ、きめ細やかに鼓膜に飛び込んできた。それぞれの楽器パートがおそろしく粒だって聞こえた。「身体全体」ではなく、「耳」に注力したおかげなのかもしれない。
そんなこんなで、こういう楽しみ方も新鮮でありかも──とそれなりに満足しながらライブが進行していき、5曲目の「Love Fight!」を迎えたときだ。驚くべき事態が発生した。隣のご婦人が立ち上がったのだ。ゆっくりと。娘の手を借りる形で。
もう僕は泣きそうになった。
というか、ふつうに涙ぐんでいた。
水樹奈々そっちのけで。
ステージをもっと近くで見たかったのかもしれない。
好きな曲だったのかもしれない。「Love Fight!」とはまた渋い好みだ。
詳しい理由はわからない。詮索する気もない。
しかし、「水樹奈々をしっかり観たい」「ステージを近くで感じたい」という極めて純粋な感情の発露を見せられたようで、もう僕はダメだった。
だって階段を昇るのもしんどいのだ。椅子があるんだから座りたいに決まっているだろ?
でもご婦人は立って、少しでも水樹奈々をその眼で捉えたいと願ったのだ。
こんなに美しいことがあるだろうか──?
だから僕はぜんぜん泣くような曲じゃない「Love Fight!」でおんおん泣いてしまい、端から見ると完全に異常者だったと思う。
その後もご婦人はちょこちょこと立っては座ってをくり返して、自分のペースと体調と相談しながらライブを全力で楽しんでいた。
ちなみに、「Love Fight!」の後に立ち上がったのは、「POWER GATE」ラストのオタクみんなで叫ぶところだ。なんだかその理由もわかるような気がした。
知らない人に説明しておくと、「POWER GATE」は水樹奈々初期の楽曲で、いまでもライブで超高確率で披露されるアンセムのなかのアンセムだ。
そういうわけで、たとえいつもどおりハジけられなかったとしても、僕としては大変に得がたい経験をしたという実感がある。だから、あのとき抱いた感情の切れ端を少しでも形にするために、こうして誰に頼まれるでもなくテキストを綴っている。
いまこれをタイプしてるのはライブが終わった直後だ。なんなら明日もおなじ場所でライブだ。
ほんとは俺だって、いまごろほかのオタクたちとおなじように、いわきの夜の街で楽しく酒と肴を味わっていたはずなのだ。2daysライブの合間の夜の酒が世界でいちばん美味いのだ。
なのになぜか、ビジネスホテルの狭い部屋でコンビニ弁当と缶ビール片手にせこせこと文章をこさえている。ちょっと寂しいけど、僕にとってはこれが己の選んだ道なのだ。ご婦人がご高齢になられても休み休み自分のペースでライブを楽しんだように、僕は僕のやり方で水樹奈々を応援する。
書きながら、ふと、今日いちにち身につけていたTシャツを触ってみた。ほとんど汗を吸っていなかった。普段であれば、僕はライブが終わった直後にTシャツを着替える。代謝もいいわよく動くわで、びっくりするくらいびしょびしょになるからだ。ライブ中は汗拭きシートを湯水のごとく使ってのデオドラントケアは欠かせない(みんなもやろう)。
だからライブが2日連続であった場合、家から着ていくぶんも合わせて、初日、初日着替え、2日目、2日目着替えと、合計で4枚のTシャツを持っていくハメになる。荷物が嵩張ってしかたがない。
しかし、今回は初日の着替えの出番がなかった。ホテルに着いて荷物から出したオーバーサイズのTシャツが、少し寂しそうにしている気がした。「俺たちの夏はまだつづく。今度こそはたっぷりと汗を食わせてやるなら怒るな」とTシャツを宥めた。
とにかく、ふつうでは決行しないライブの楽しみ方を体感させてもらえた気がした。その意味でお隣の二人組には心からの感謝を贈りたい。ありがとうございました。
そして、なにより。
オタクとしての生き様を見せてもらった気がした。
それも、とびきりカッコいい生き様を。
たまに「僕は何歳までオタクでいられるだろうか」と考えることがある。不安になると言ってもいいかもしれない。10代のときに水樹奈々と出会い、20代を丸々彼女に捧げて、ついに先日30代になった。
水樹奈々のライブでは年齢別のコールがあるのだが、10代、20代と来てついに3つめの十の位に突入した。
しかし、僕も加齢するにつれてブレーカーが落ちるように、いつか推しへの炎が突如ぱったりと鎮火してしまうかもしれないと思っていた。
そんなものは杞憂である、と見ず知らずのオタクに励まされた気がした。それも、とびっきりカッコいいオタクに。
この結末部分を書いてるときに日付けは変わり、今日は福島2日目のライブである。
あのご婦人にリスペクトを捧げて、今日くらいはライブTシャツで参加してもいいかもしれない。
ほんの少しだけ、そう思った。
(終わり)
(めちゃくちゃ大事な追記。というか、これが本体。絶対読んで!)
本記事は主にツイッター上でたくさんの温かい反応をいただいた。
この場を借りて深く御礼申し上げる。
そしてたくさん拡散された結果、驚くべき事態が発生した。
本文中の「娘さん」から直接ご連絡をいただいたのだ。
本noteを公開するときに、ひとつだけ大きな懸念があった。本文中で言及したおふたりに事前に確認をとることができなかったことだ。
僕はこれまでのnoteでは、ツイートひとつ引用するときでもかならず事前に当人に確認をとってきた(公式アカウントの場合は例外)。もし確認がとれない場合は、やむなく引用を見送ってきた。
だからこそほんとをいえば、おふたりに許可をいただくべきだったのだ。しかし、現場ではわずかな会話を交わしただけで、当然、連絡先は知らない。
だから悩んだ結果やむなく、当人の個人情報を極力伏せる形で書かせていただいた。テキストもあくまで、「僕がご婦人からどう影響を受けたか」に力点を絞ったつもりだ。
そうしたなかで、まさかのご本人からの連絡。
僕はインターネットの力におののいた。
同時に、テキストが持つ無限の可能性に震えあがった。
そして、今度こそご本人から許可をいただけたので、以下に実際の経緯を書かせていただく。
まず、「ご婦人(実際にお母さまだそうです)」が水樹奈々ライブに参戦した経緯は、息子さん──つまり、「娘さん」の年の離れた弟さんが水樹奈々のファンだったそうだ。
で、地元でのライブ開催ということもあり、お母さまが水樹奈々ライブに「いちど行ってみたい!」とおっしゃり、娘さんが付き添う形で晴れて参加と相成ったそうである。
ちなみに参加してみてのお母さまの感想は、「夢中になるのがわかるわ」とのこと。楽しんでもらえたようでほんとうによかった。
もうね、僕は書いてて泣きそうです。
大変お恥ずかしいことであるが、僕は水樹奈々の2023年の夏ツアー「LIVE PARADE」に全公演参加する予定でいる。
しかしツアーとは本来、「なかなか直接観る機会のないスターが地元にやってくるから遊びに行くもの」である。
だから、推しのケツを追いかけ回して、全国を行脚するのは本来は「恥ずかしいこと」であるという自意識を持っている。
そういう意味で、"地元でしか参加できない人"がライブに参加できて、ほんとうによかったと思う。そして、それに隣り合うことができた僕はどれほどの果報者なのだろうか、と強く強く噛み締めている。
ということで、最後に娘さんからいただいた言葉を紹介して、この追記を締めたいと思う。
俺はお前らオタクが今日ばかりは誇らしいよ。
ふだんは腐してばかりでごめんな。