ターン右!
県庁所在地にありながら、十分も歩いた先には田んぼが広がる、中途半端な街。
忙しなく人々が行きかう街ではないけれど、それなりに人の流れはあり、コンビニや飲食店も選べる程度に建ち並んでいる。
そんな町並みの一角に、少々話題のバラエティショップがある。
地下鉄の終点駅から歩いて二分の場所にある、三階建てのビルの最上階。
…私の職場である。
やや広々とした店内には、少々おかしな商品が並んでいる。
社長、店長が全国各地から見つけてきた、愉快で目を引く商品がこれでもかというレベルで煽られたPOPと共に陳列されているのである。
「おはよーございまーす!」
「おはよう。」
「おはよ。」
本日の出勤は、店長代理と同僚。
頼れる店長のいない日は、少々不安を覚えてしまう。
やけにこだわりが強い割に気遣いの足りない店長代理は、いつも事務所に篭ってパソコン作業に没頭しがちだ。
やけに可愛くてモテモテの同僚は、ずいぶんはっきりとものを言うわりに仕事に対する責任感を簡単に手放しがちだ。
「じゃ、私モップかけてきますね。」
「私はレジ開け準備しよ。」
「俺POS入力作業するからよろしく!」
私は大きなモップとホコリ落としを手に、店内を回る。
同僚は掃除は自分の仕事じゃないと明言しているから、モップを持つことはない。売り場横にあるイベントスペースで小さな子がお漏らしをしたとき、お昼休みで抜けていた私を呼びつけて掃除を依頼したくらい、彼女の掃除を絶対にしないぞという姿勢は貫かれている。いわく、私は掃除をするためにこの仕事に就いたんじゃない、だそうだ。
モップをかけつつ、店内の様子をチェックする。
昨日私はお休みを頂いてたから、色々と変化を見ておかないといけないのだ。
…昨日は人気タイトルのCD発売日だったから、店内が汚れているな。
…あ、19800円の木像がなくなってる、売れたのか?
…POPに落書されてる、またペンの試し書きに使われたな。
手早く掃除をしながら、やるべきことをメモしてカウンターに向かう。
「私は今日POP描かないといけないんだけど、島村さんは何する?」
「私はレジやりながら伝票整頓しようかな。」
カウンター周りにダスターをかけていると、本日のお客さん第一号がやってきた。
「〇;☆AK$%AT@L+C#O~'♪7<F-」
どうやら外国籍のお客様らしい。
レジにはふた月に一度海外旅行に行く同僚がいるから…大丈夫だよね。
英会話ができない私を散々飲み会で毎回コケにしているのだ、華麗に対応してくれるに違いない。
「ちょっと!!岩本さん!!来て!!」
「……はい?」
店内後方のPOP作成専用デスクに向かおうとする私を、同僚が呼び止める。
「この人の対応お願い。私伝票忙しいから。」
「え、私英語話せないよ、島村さん英会話得意なんでしょ、対応してほしいな。」
私は明日までに書かなきゃいけないPOPが24枚あるんだよ。
伝票整理には、明日までの期限はないんだから、優先度は低いはずだ。
「私のは訛りがきつすぎてさ、ビジネス英語には程遠いっていうか!頼んだ!!」
「え、ちょっと!!て、店長代理、代理!」
私のあわてる声に、レジからほど近い事務スペースから店長代理が顔を出した。同僚は店長代理と入れ替わりで、さらりとレジ奥に引っ込んでしまった。
「僕ね、英語知らないんだわ、だって赤点しかとったことないもん。任せた!!」
「そんな!!私だって成績よくなかったですよ?!」
「♤ ◢ 〶 ◀ ≧✹ ✿ ↨ ☆〒???」
なかなか対応してもらえないお客様が、困惑した顔でこちらを見ている。
「え、ええとー、は、ハロ、ハウ、ドゥ、ユー違うな、ファットアーユールッキング?」
「OH・・・ぺら、ぺらぺーら!!」
何言ってんだかさっぱり解らない、私はヒアリングってのに明るくなくてですね、テストも文章の丸暗記で乗り切ったレベルでしてね?!
せめて文字で書いてもらえれば、読み取れるかもしれない、そう思った私は紙とペンを差し出す・・・げえ!達筆すぎて読めない!!
「だ、だめだ、ええと、絵で欲しいものを…ドローイング、ピクチャーOK??」
「OK」
お客様は、このあたりの地図っぽいものを紙に書いた。
……うーん、どこかに行きたいのかな?買い物目的でこの店に来たわけではなさそうだ。
「??★☆アパレル○※△・・・?」
今、アパレルって言ったような??
私は地図に、このあたりの店を書き込んでいく。絵を描くのは得意なのだ、服の絵、車の絵、本の絵にビデオの絵、牛丼の絵に、映画館、駅各種にバス停・・・。
路地裏の床屋さんを描いた時、お客様が反応した。どうやら、ここに行きたいらしい。
ううむ、この場所はちょっと行きにくいんだよね。道順を書いて差し上げる。
「в¥@∑◎〆!!」
順路を矢印で書き込むものの、どうやら遠回りになるのでは?といぶかしんでいる様だ。左からの道は、階段が入り組んでいて、所見殺しで有名な道なんですよって、伝えにくいな…私は階段の絵を描いて、右に曲がるよう書き込んだ。
「ええと、この道は、右に曲がらないと難しくてですね、ええー、ディフィカルト!!ノーノー、ディスイズ、ええと、ターン…。」
えっとえっと、右ってライトだっけ、レフトだっけ?!私はあせると思考回路がまぜ麺レベルでぐっちゃぐちゃになってしまうのですよ?!
「た、ターン右!!お箸持つほう!!ちょっと待って、この人左利き!!ええとーええトー!!」
「Please turn right、OK??」
レジ奥で伝票を整頓している同僚が、笑いながら助け舟を出してくれた。
「OH!!サンキュー、※**???<`@%、アナタ、コワイネ!」
お客さん…もとい、迷い人は左手を上げて、私の地図を片手に、店を出て行った。
……ねえ、なんで私こんなに一生懸命対応したのに…怖いって言われちゃってんの?どうやって優しくしてあげたらよかったの?
日本語ちょっとでも知ってるならさ、もう少し出してくれたって良かったんじゃないの?必死過ぎた私は、ずいぶん…悪印象を与えてしまったようだ。
「ターン右!!ターンみぎって!!はは、あははははは!!!!」
同僚がめちゃくちゃウケている。そこに店長代理が出てきた。
「終わった?もっとスマートに対応してくれないとさあ、外国人の口コミサイトに悪口かかれちゃうじゃん!」
「なんで?!何で私が対応しなくちゃいけないんですか?!店長代理が対応するべきだったんじゃないんですか?!英会話ができる人が対応するべきだったんじゃないんですか?!」
「まあまあ、丸く収まったんだからいいでしょ、お礼言ってたよ、あの外人。」
英語を話せる人が対応せずに、英語に自信のない人が対応するこの店っていったい。
「英会話できるなら対応してよ!!最後フォローしてくれたのはありがたかったけど、初めから島村さんが対応してくれてたら良かったんだよ?!」
「だって話せるとわかったらここぞとばかりにナンパしてくる厄介な人多いんだもん。あの人はちょっと範疇外だったし。」
英語が得意な人は、得意な人なりに…色々とめんどくさいことになるらしい。でもさあ、せめて一緒に、横に立ってほしかったよ…。
「「ま、これをいい機会としてさ、英会話、習ったら!」」
スキルを持つ人も、スキルを持たない人も…声をそろえて、私のスキル不足を指摘している。私は、学ばねばならないらしい。
…だが、学んだところで。
おそらく私はこの先、ず――――――――っと言われ続けるのだ、「ターン右の人」ってね。
こんな面白い出来事、会社中の、企業中に広めないはずが無いんだよ、この同僚はさ、この店長代理はさ。
今週末も、別店舗の従業員が集まって飲み会があるんだ、絶対に言う。
この同僚は、店長代理は、絶対に言う。
…どうせ笑われるんだ、せめて笑われた後で、言い訳ぐらいしたい。
おかしな英会話をしてしまい反省したので、学ぶことにしたんです、今スキルアップ中なんです、成長するまで見守ってくださいねってさ。
私は、その日の就業後…英会話教室の扉を叩いたのだった。
時は流れ、ずいぶん便利な世の中になった。
スマホのアプリを開けば、翻訳などいとも簡単にできてしまう。そもそも、スマホがあれば道行く人に聞かずとも大抵の事は困らないんだから、文明ってのは本当にすごい。
街中で困っている海外の人に声をかけられたことなんて…いつが最後だ?ずいぶん記憶が遠い。
あの時私が恥をかいた職場はすでになく、代わりにタワーマンションが立っている。
あの時私が通った英会話教室はすでに無く、代わりに大きな公園ができている。
「おかあさん!!なんかこの公園、グローバル化がすごい!!」
「ああ、インターナショナルスクールが近くにあるからかな?」
「あの子、何言ってるのかわからない。」
たまたま県庁所在地に用事のあった私は、久しぶりにこの地を訪れたのだ。
……あまりの変わり様に正直びっくりだよ!!
あんなに田舎がすぐ横にあった場所なのに、きらきらピカピカ、明らかに都会の空気が流れている。ねえ、私この空気吸っていいんですかね、吸っちゃいますよ、ああ、吸ってるよ!!
田舎者の肺に都会の空気が染み渡るー!
都会のオサレな空間に広がる近代的な公園には、ちょっと楽しい遊具があるというので子供達も連れてきたんだけど。
……なるほどねえ、グローバルだわ、確かに。
日本人のみならず、いろんな国の人たちが休日を思い思いに楽しんでいる。娘と息子も、いろんな国のお子さん方と一緒になって…やけに長い滑り台に夢中になっているではありませんか。
「お母さん、なんかこの子が。」
「え、なにどうした。」
ぼんやりベンチでマッタリしていると、息子がなにやらお友達を連れてこちらに向かってきた。無口なくせにやけにフレンドリーな息子は、同じ年頃の子供と仲良くなったらしい。
言葉など通じなくても、初見でも、仲良くなれるのだな、うーんすばらしい。
息子と同じくらいの背丈の男の子が、なにやら袋から取り出してこちらに差し出している、プレッツェルかな?くれるみたいだ。
「Get it…OK?」
「I'll give it …he played!!」
「お、お母さんがなんか話してる!!」
「すごい。」
いつの間にやら娘も戻ってきていたようだ。
「なんか遊んでくれたからくれるって。このお菓子一緒に食べなよ…Thank you for playing…Let's eat my favorite sweets together☆」
小さい子だし、まあ多少違ってても大丈夫だろ、たぶん。私はさっき買ったばかりのでっかいマシュマロを差し出した。
「Yay,Thank you! Woohoo!!!」
息子とどこかのちびっ子はニコニコしながらとなりのベンチでおやつを食べ始めた。…すごい勢いで食べてるぞ、好きなのかな?
「何、知らなかった、お母さん英語はなせるの!!!」
「話せるほどではない、たぶん。」
自慢できるような英会話スキルは持ってないからね。
……あくまでも、ターン右レベルを脱しただけというかね。
「あんたね、ターン右とか言い出す前に、多少の英会話は身につけとかないと駄目だよ!ホント!!マジで!!」
「ターン右って!!いくらなんでもそれは無いわ!!でもさあ、アプリあるし、何とかなるよね!」
アプリのない時代を生きた私の苦労…。
「たーんみぎ?」
「学校の勉強をがんばれってことだよ!!!」
空になったお菓子の袋を持って、息子がニコニコしながらやってきた…後ろには、ブロンドヘアのオサレな奥さんが!!!
「ひ!!ふぇっ!ええと、はろう、こんにちは、お菓子テイクしたけどだめだった?」
「わたし、にほんごはなせますよ!おかし、ありがとー!あそんでくれて、ありがとー!」
グローバルな町の住民は、日本語特化がすばらしかった。
目を白黒させながら慌てふためきへらへらとおかしな笑みを浮かべる私を見たオサレな親子は、にこやかに穏やかに手を振りながら…去っていった。
黄金色の髪をしたちびっ子が振り向いて、手を振りながら息子に声をかけた。
「let's play again!!」
「またね。」
言葉を知らない息子ではあるが、ニコニコしながら手をふり返した。
…普通に会話しているぞ、なんだこれは、すごいな。
「お菓子テイクって何!!ウケる!!」
「ああもう!!うるさいな!!もう帰るよ!!!」
……アプリが進化したところで、落ち着いて使いこなせなければ駄目なのですよ。
……簡単な英会話ができたところで、目の前の人物に圧倒されてテンパるようじゃ駄目なのですよ。
私に必要なのは、落ち着きなのですよ!!
…おかしいな、ずいぶん長年生きているけれど、一向に身につかないぞ、どうしたことだ。
「^_\+○%"{(_'+>_(;$&!!!☆△??!^」
ベンチから立ち上がって歩き出したら、親子連れのファミリーによく分からない言語で話しかけられた。
…これは何語だ、さっぱりわからん!!!
「は、はわわ、ええと、ぷ、プリーズええとアプリ、アプリいい!!!」
「ちょ!お母さん!翻訳アプリ使うから!!」
テンパる私を尻目に、娘が落ち着いてスマホアプリを起動させた。
「忘れ物があります、だって、あ、ベンチに紙袋忘れてるじゃん!…ありがとう…「Obrigado」」」
私は文明の利器が発達してもなお…コミュニケーション能力に乏しいらしい。
…おそらく私はずっとこんな感じなんだ、うんきっとそうだ、ターン右の呪いがきっちりとかかっているのだ、間違いない。
この場所はキケンだ、いつ呪いが発動するかわからない、一刻も早く立ち去ろう!!
「ひいーひどい目にあったよ、もうこういうのは次世代に任せるわ…よろ、おつ…。」
「その逃げ腰がダメなんじゃん!!」
「勉強頑張る…。」
よたよたと歩く私の目の前に、公園出口が見えた。
よし、間もなく危険地帯を…抜ける!!足取りは…軽くなった!
「Turn right on this road and you will find my car…OK?!」
「ターン右でいいじゃん!!」
「たーんみぎ。」
グぬぬ…なんでいい顔して笑ってんだ!!失敬な奴らだな!!
私はずっかずっかと足を踏み鳴らしながら、公園出口を勢いよく右に曲がり!
坂の上の駐車場へと、向かったのであった!!!