所詮、他人事
ここ数年,私の中では大体コロナ前,3年前くらいから現在において,亡くなった方の報道が多く目に入るようになったように思える.
3年前の今の時期,多くのドラマや映画に出ていた笑顔が素敵な男性俳優が亡くなったのを,どれだけの人が今も覚えていて悲しんでいるだろうか.
報道されたその当時は,嵐のようにTwitterや記事が飛び交い,様々な憶測や主張,悲しみの声,も上がっていた.ただ現在はどうだろうか…
あの時悲しい,どうして,と書いた全ての人のうち半数は言われれば,流れてくる投稿を見れば,思い出す程度で今も尚あの時のような気持ちではいないだろう…
勿論,多くの人は悲しく無かった訳では無く,いつまでも引きずっては自らが生きていけないから,なんらかの支障を自分にきたすから,その事柄をいつまでも"噛まずに飲み込む"と言うことを行う.
先日も,ある芸能人が亡くなった.自分はあまりこまめに携帯を見ない為母親から聞かされたのだが,
「〇〇さんが亡くなったって…!」
勿論驚愕した.なんでだろう?なんで亡くなったんだろう.
スマホを片手にTwitterを開いていた.
ある程度の内容は理解したが,Twitterにはただただその死を悲しむもの,その死を利用するもの,自己主張するもの,その死の善悪を問う者,多くの文字の塊が凄いスピードで流れていく.
あっちからこっちへ,こっちからあっちへ様々な方向への矢印がみえたような感覚だった.
なんでその人の死に他人が勝手に意味を持たせるんだろう.
何様だよ.そう思った.その人の選択なのに.
亡くなった親族の方などが悲しみ,その死について話すのは理解できる.
血を分けた分身であるなら.
多くの手続きやしなければならない事,なんでこんな事になってしまったんだろうと悩まされるのだろう.
だがその他が,この社会を法を変える力も変える気も無い私達がガヤガヤして自己を主張した所で,自分勝手に意味を持たせたところで,あっちこっち矢印を向け言葉の塊を投げたところで,数ヶ月後には数年後には何食わぬ顔で日々を生きているだろうに.
所詮,他人事だろうに
そう思いながら今朝は,ニュースを見ながら昨日買ったフランスパンに齧り付いて牛乳でまた飲み込んだ.
柔らかいメロンパンにすれば良かった.