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瑛人の『香水』は、「いわゆるラブソング」だと思っていた


勤め先では、毎日子どもたちの元気な笑い声や歌声が聴こえてくる。
子どもたちは流行に敏感で、子ども伝いに流行りのアニメやキャラクター、歌やダンスに私も触れることがある。

子どもたちはよく歌う。誰かひとりが歌い出すとつられてもう1人、さらにもう1人…と歌い出して、いつの間にか大合唱になっていることも。
ある日、聞き覚えのある曲を子どもたちが大合唱していた。サビの最後まで聴いたところで、あぁ、瑛人の『香水』だと私も気付く。確かに流行っているとはいえ、子どもたちのアンテナの広さに驚くばかり。
親の影響か、紅白歌合戦の影響か。年末に家族で見たのかな。瑛人さん(以下、敬称略)の前の出演者は子どもたちにも大人気のNiziUだったし、その流れで見たとか。
「別に君を求めてないけど」なんて歌詞、意味もよく分からないまま歌っているんだと思うと可笑しくって、微笑ましくって、仕事の合間のちょっとした癒しになっている。
NiziUの『Make you happy』にしても、LiSAの『紅蓮華』にしても、瑛人の『香水』にしても、老若男女問わずたくさんの人に聴かれて歌われるというのは、音楽にとってしあわせなことなのかもしれない。

『香水』のヒットの背景には、SNSで曲のカバー動画が一般人、著名人問わず広がったことや、緊急事態宣言の発令に伴う外出自粛という情勢などがあるらしい。
私はと言うと、サビだけは知っているけどそれ以外はほぼ知らない…という状態だった。
サビのフレーズからなんとなく「いわゆる流行りのラブソング」という勝手なイメージを抱いていたのだ。もともとラブソングの類に感情移入しづらいことや、「香水」というモチーフも私にとってはあまり馴染みがなかったため、街やテレビで流れるのを聴き流すだけで2020年を終えてしまった。

そんな私も2021年になってようやく、初めて『香水』を最初から最後までじっくりと聴く機会を得た。
Aメロまでは、別れた彼女らしき人物から突然連絡があったとか、昔は2人で海に行ってたくさん写真を撮ったねとか、やっぱりラブソングなのかなぁと思いながら聴いていた。そしたらBメロで衝撃を受けた。

でも見てよ 今の僕を クズになった僕を
人を傷つけてまた泣かせても 何も感じとれなくてさ


一体何があったの…?と、戸惑っているうちにあの有名なサビへと突入。そしてそのまま2番も聴いていると、Bメロで再び胸を抉られた。

でも見てよ 今の僕を 空っぽの僕を
人に嘘ついて軽蔑されて 涙ひとつもでなくてさ


私の『香水』に対するイメージは、たった一度最初から最後まで聴いただけでガラリと変わった。そして気付けばBメロを聴きたくて、何度も再生していた。 

MVで見る限り、とても人を騙したり傷つけたりなんてしなさそうな彼が歌うから余計にドキッとする。でも、嘘をついたことがない人も誰かを傷つけたことがない人もいないはずで。
面白いのが、「何も感じとれなくて」「涙ひとつもでなくて」と言いつつも、人を傷付けているということには自覚的であること。
人を傷付けているという自覚さえ持てずに人を傷付けるのと、人を傷付けている自覚はありつつも何も感じとれないのとでは、まるで違う。
おそらく、そこに至るまでにたくさん自分自身も傷付いていて。人を傷付けていると自覚している本人が無傷でいられるわけがない。でも、自分が「傷付いた」なんて口にするのは憚られるからあえて本音に蓋をして、「何も感じとれなく」「涙も出なく」なってしまったのでは…。
そんな経験をしたことがあるのは彼だけではないだろう。だからこそ、多くの人や私にも『香水』は刺さるのだと、そんな気がした。

そもそもラブソングに感情移入しづらい、恋愛感情がよく分からないという私のそれも、何かの代償として心に蓋をしてしまっている結果のかもしれない…なんて思ったり。わからないけど。
もちろんラブソングとして、特に「失恋」の経験と重ねて聴く人も多くいるだろう。10人いれば10通りの受け取り方がある。いずれにしても、共通して響くのは「喪失」や「後悔」といった感情だろうか。
「香り」と「記憶」の結びつきという面でも、例え香水でなくても何かしらの「香り」をきっかけに思い出が甦るという経験をしたことのある人は少なくないだろうし、自分を重ねて共感しやすいのかもしれない。
アコギ一本での弾き語り(※)というスタイルもまた自然と歌詞を聴かせるし、そのシンプルさが逆に新鮮であり懐かしくも感じられる。幅広い年齢層に響くのも納得できる。
『香水』のヒットには先述のような背景もあれど、純粋に楽曲の良さや瑛人の歌声の良さなども大いに関係あるのだろう。

出会うべき音楽には、出会うべきタイミングで出会えるものだと思っている。そんなタイミングは本当に突然訪れるもので、またある日、私は瑛人の別の曲に触れる機会があった。
『ハッピーになれよ』という曲だ。
元日にリリースされた1stアルバム『すっからかん』にも収録されているらしい。何気なく再生してみたこの曲に、再び私は胸を撃ち抜かれた。

酒グセの悪い父ちゃん
酒に溺れて暴れがち
叩き起こされた母ちゃん
キレて喧嘩になりがち

呆れる兄貴2人と
吹っ飛ばされる小さな俺と
壁にあいた拳の穴
でこぼこになった冷蔵庫


…この後、母と3人の子どもたちは家を出る。すっからかんになった部屋に残された父一人。
歌詞だけ見るとなかなかに殺伐としている。だいぶ具体的な描写がされているけれど、実話なのか、フィクションなのか… 気になって調べてみると、瑛人の実体験に基づいて書かれた曲らしい。
「両親の離婚」という、人によってはセンシティブな内容を歌っているにもかかわらず、この曲から私が感じたのは「あたたかさ」だった。

レゲエ調の陽気なリズムに加えて、素朴で心に沁みるような歌声、そして瑛人の天性とも思える人の良さそうな笑顔でニコニコ歌われると、不思議とこっちまでハッピーになってくる。
極め付けはサビの最後にくる「もういいべ」というフレーズ。「もういいよ」や「もういいぜ」でなく「もういいべ」という方言を使っているのがまたノスタルジックな温かみを感じさせる。

MVでは瑛人が1人5役で父、母、2人の兄、「俺」を演じている。「俺」は野球のユニフォームを着ていて、その姿は元野球部の私の実弟を思い出させた。なんでだろう…。どことなく、雰囲気が似ている…。
そんな個人的な事情を抜きにしても、彼には独特の「親しみやすさ」のようなものがあると思う。それがまた楽曲や瑛人というアーティストにいい味を添えているのだ。

『ハッピーになれよ』を聴くと、どうしても自分の家族のことを思わずにはいられない。
私の両親は、私が高校3年生のときに離婚している。
雲行きが怪しくなり始めたのは私が中学2年生の頃だったか。最初は両成敗の言い争いのようだった夫婦喧嘩は、次第に父が母に暴力をふるうようになっていった。
それは私や弟の目に見えない場所で行われたけれど、いつも音で分かってしまう。扉の向こうから怒声と大きな音が聞こえるたびに私はもしもの時は止めに入る覚悟で扉を睨みつけ、弟は無言で自室の壁を「ドン!」と叩いて抗議した。

「お父さんと離婚しようと思っちょるんよ」と母に告げられたとき、「やっとか!」と私は内心喜んだ。薄情な娘である。でも、母が苦しんでいるのを見ていて耐えられなかったから、はやく離婚したらいいのにとずっと思っていた。
対して、2つ年下の弟はというと。両親の離婚が決まったとき、肩を震わせ声を殺して泣いていた。
その背中に私は手を伸ばしかけたけれど、躊躇ってやめた。両親が離婚することを願っていた自分には、泣いている弟を抱きしめる資格などないような気がしたから。

いつだったか、両親が朝から言い争いをした際に弟が「どうせなんもいいことない!」と吐き捨てて外へ飛び出したこともあった。
「バタン!」という乱暴な音が玄関に響いた。閉じた無言のドアの向こうから、弟の怒りやそれよりもっと濃い悲しみが滲んで伝わってくるようだった。あのときも私はドアを見つめたまま、何もできずに立ち尽くすことしかできなかった。
「どうせなんもいいことない!」
そう吐き捨てさせてしまうほどの弟の心中を思うと胸が痛かった。

しかしその弟も、数年前に結婚している。
結婚の連絡をもらったとき、とても嬉しかったのを覚えている。両親を見ていたら結婚に希望なんて抱けなくてもおかしくないけれど、弟は両親に囚われず自分で自分の未来を選択したのだ。

「どうせなんもいいことない!」と言っていた弟は、「親がどうかなんて関係ない。自分の幸せは自分で切り開くもんやろ」とまで言えるようになっていた。
もちろん、結婚することだけが幸せの象徴とは限らないけれど。それでも、弟の選択に心からの祝福を贈りたかった。
弟の結婚式のため、私は実に7年ぶりに地元へ帰省した。結婚式はとても素晴らしかった。ただひとつ、父の頑なな主張によって母が参列できなかったことを除いては。

それでも式の翌日に弟の提案で開かれた食事会では、久しぶりに家族が揃った。弟が予約してくれたお店に父、母、弟、私(と、当時0歳の娘)が集まり乾杯。見た目も美しい料理の数々に舌鼓を鳴らしながらたわいのない会話をした。
父に普通に話しかける母と、母に話しかけられる度に中学生のような反応をする父。それを見て笑いを堪える私と、久しぶりに家族そろって嬉しそうな弟。
傍から見ればきっと「普通の」、「和やかな家族」の風景だったに違いない。
お祝いに行ったはずが、逆にたくさんの粋なプレゼントを受け取ったような気持ちだった。いまだにあの日のことを思い出すたびにしあわせな気持ちになる。

あれから3年とちょっとが経った。
母以外とは頻繁に連絡を取り合うこともないけれど、弟夫婦は2人の子どもに恵まれ賑やかそうだ。たまには姪っ子や甥っ子の写真を送ってくれてもいいんだよ…なんて思ったけど、そういえば弟夫婦から届いた年賀状の返事を結局出していないままなのを今思い出した。こんな姉でごめん。
こんなだけど、いつでもあなたたちの幸せを願っているよ。 

母は離婚後新しいパートナーに出会って、今はその人と、数匹の猫たちとともに暮らしている。
新しいパートナーがいるってことを私に打ち明けてくれたのはもう何年前だっけ。あの時母は不安そうに「どう思う?」と私に訊いてきた。
「すごく嬉しいよ!だってまた好きだと思える人に出会えたってことでしょ?」と私が言うと母はとてもホッとしていた。
本心からの言葉だった。だってあんな目に遭って、もう人を信じられなくなったりしてもおかしくないのに。それを一緒に越えられるような人に出会えたってことでしょ?自分の幸せを諦めなかったんでしょう?それってすごいことだと、私は思ったから。
「まだ、弟には言えてないんよ」とあのとき母は言った。
弟より先に私に話した母の気持ち、なんとなく分かる。あれから、弟にも話せたかな。

母も、弟も、既に自分の手で人生を切り拓いている。それが私はとてもうれしい。
最初に母が出て行って、私も高校卒業と同時に進学のため家を出て、そして弟も巣立った今、実家であるアパートには父だけが住んでいる…はず。

お父さん、どんな今を生きていますか。浜田省吾さんの歌は今も好きですか。今の生き甲斐は何ですか。
私は中学生の頃大好きだったBUMP OF CHICKENを今でもずっと聴いています。BUMPをきっかけにいろんな人や音楽に出会って、BUMP以外にも好きなアーティストが増えたんだよ。最近だと、瑛人さんもいいなーって。お父さんも聴いたことあるかな。
…こんな話ももう10年以上していないね。
しんどいこともたくさんあったしこれからもあるだろうけど、好きなものに囲まれて心は豊かに生きられていると思うよ。

お父さん、お味噌汁事件を覚えていますか。ある日の夕食時、私がお味噌汁のお椀を「ん」って言いながら手でお父さんの方へ寄せたら、急に激昂しましたよね。私はただ、お父さんの方へお碗を寄せただけだった。でも、お父さんは自分のお碗を「邪魔」扱いされたと思ったようですね。
当時はびっくりしたのと、訳がわからないのとでお父さんの気持ちに寄り添うことができなかった。
でも、あのときお父さんはもしかしたら不安だったのではないですか。寂しかったのではないですか。
お椀に自分を重ねて、まるで自分自身が邪険に扱われたような悲しい気持ちを味わったのではないですか。
職場で、もしくは家庭で、自分がどう思われているのか自信がなくて。暴力や、虚勢を張ることでしか、自分の威厳を保てなくなってしまって。自分でもどうにかしたいのに、できなくて…。
してきたことは酷いし許されることじゃないかもしれないけど、あの時もっとお父さんの気持ちに気付ける誰かがいたら、もしかしたら何か変わっていたのでしょうか。


子どもの頃、父親というのはなんだか絶対的な存在だったように思う。あんまり、泣いた姿も見たことがない気がする。
でも、父親だって私と同じく感情のある人間なのだ。悔しかったり、嬉しかったり、音楽を聴いて涙を流したりするのだ。
父がどのような人生を歩んできたのか、私はそのうちのほんの僅かしか知らないけれど。
相変わらずろくに連絡もよこさない娘なので、誤解を与えているかもしれません。でも、少なくとも私は今でもお父さんの娘でいるつもりですし、嫌うこともありません。だからどうか、幸せであってほしい。

瑛人にとっての父親という存在も、おそらくそんな感じじゃないだろうか。
〈家を出るんだと母ちゃんが決めて俺はワクワクした〉と言いつつも時々会いに行ったりしているあたり、決して父親のことを嫌っているわけではないのだろうと伝わってくる。
望むのはただ、それぞれの幸せ。いろいろあったけど、「もういいべ」と。父にも、母にも、2人の兄にも、そして自分自身にも歌っているように聴こえる。


今ならもっと家族とうまくやれるのかなって思ったりすることもある。けど、一緒に暮らせばきっとまたぶつかり合いが起こって、家族でいられることの有り難みを忘れてしまう。
私たちが家族でいられるためには、このくらいの距離感がちょうどいいのかもしれない。
「会いたくても会えない」、そんなご時世にこんなこと言うのは不謹慎かもしれないけれど。
会いたくないわけじゃないし、もちろん会いたいけれど、会ってどうしようとも思ってしまう。

『ハッピーになれよ』の中で瑛人はこう歌っている。

会いたくなってそれから
会いたくなくなってもいいから
ハッピーになれよ もういいべ


会いたい気持ちも、会いたくなくなる気持ちも、両方あっていいのだと、揺れ動いていいのだと肯定してもらえたような気持ちになる。
会えなくても、とりあえず今は元気でハッピーでいてくれたらそれで充分。私たちみんな離れて暮らしててバラバラな家族だけど、それぞれの場所でハッピーでいようねと願う。


「ハッピーになれよ」という言い回しには、「こっちはこっちで元気にやるから、そっちも元気でやれよ。しらんけど」みたいなニュアンスが感じられるというか、ある意味突き放したような印象も受ける。でもそれは、相手を信頼しているからこそとも捉えられる。
悲しみや痛みを知っているあなたなら、ハッピーになれるから。自分次第でハッピーになれるから。そう信じているから。
そういう意味が込められているかは分からないけれど、私にはそんなふうに聴こえた。

私にとって「両親の離婚」は、私にくっついている記号のようなもので。名前や、性別や、年齢みたいに普段は特に気にも留めていなくて。だけど、不意に自分を縛り付けることがある。
「両親の離婚」は私にとって「可哀想」でも「不幸の象徴」でもないけれど、人に話すと心配されたり腫れ物を扱うような雰囲気になりがちなので、言いづらかったりする。
それに、「両親の離婚」について触れてほしくない当事者も当然いるだろうから、やっぱり私自身も取り扱いは慎重になってしまいがち。

そんな中、こんなふうに離婚を明るく歌にしてくれる瑛人のような存在はある意味希望で、救われる人もいると思う。なんて言ったらやっぱり非難されるかもしれないけど…
受け入れられない人がいてもしょうがない。でもきっと、彼のようなアーティストはこの世に必要で、ほんの少し前までほとんど無名だった彼が世間に見つかったことは、いろんな意味でこれからの音楽シーンに明るい光をもたらしてくれるんじゃないかと私は思っている。


『香水』も『ハッピーになれよ』も、瑛人の1stアルバム『すっからかん』に収録されている。『すっからかん』って、いいタイトルだなぁ。

『香水』の〈空っぽの僕を〉や、『ハッピーになれよ』の〈すっからかんの部屋を〉のように、それぞれの歌詞にもタイトルの片鱗が散りばめられているけれど、実際のところアルバム名の『すっからかん』には「今言えるすべてを出し尽くした」というポジティブな意味が込められているらしい。
ファーストにしてラストアルバムとも言えるような、自分がおじいちゃんになって死ぬ間際に手に取って聴いても悔いがないような、そんなアルバムに仕上がっているとの本人談。
ここで挙げた2曲以外にも、きっと誰かの「空っぽ」に寄り添えるような曲が詰まったあたたかいアルバムになっているのだろう。

持ち曲すべてを出し切って文字通り「すっからかん」、ゼロからの再スタートとなった瑛人。
一度すべてを出し切って「すっからかん」になった彼が、これから自身に何を注ぎ満たし、次なる活動へと繋げていくのか楽しみでならない。
(…その前に1stアルバムちゃんと買って全曲聴きます)




【追記】

文中で『香水』は「アコギ一本での弾き語り」と書きましたが、「アコギ一本と歌のみ」という表現の方が正しかったかもしれません。
MVでは「弾き語って」はいないですもんね。でも、瑛人さんもギターを弾けるし弾きながら歌えるようなので、弾き語り…でもいいのかな?


私の家族については、以前こちらのnoteでも触れています。


瑛人さんにとって音楽のルーツは、お兄さんの影響で聴いた清水翔太さんの『HOME』という曲だそう(以下参照)

清水翔太さんといえば私は『アイシテル』くらいしか知らなくて(音楽の専門学校に通っていた頃、男の子の課題曲だったことがある)、『HOME』は今回を機にはじめて聴いてみたのですが、めちゃくちゃいい曲で。

一部だけ引用とかできないくらい、歌詞のひとこと一言が刺さりまくる。
清水翔太さんの胸が締めつけられるような、でも温かく包みこむような歌声も相まってとても素敵。「好きな曲」がまたひとつ増えました。

音楽から音楽、人から人を通じて出会いは繋がっていくんだなぁ。
素敵な出会いをありがとう。


【追記】

3月2日、rockin'on.comの音楽文にてこちらの文章を掲載していただきました。
Perfumeのは残念ながら掲載に至らずだったので、今回は無事に掲載されてよかったです…。ありがとうございます。

改めて、瑛人さんの歌の温かさがたくさんの人の心に届きますように。

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