笑われるかもしれないけど #野心日記6
野心日記、なんだか久しぶりな気がします。
およそ3ヶ月ぶりみたい。
一時期は野心日記しか書かなくなって私のnoteのホーム画面がこのほぼ真っ白なサムネで埋め尽くされて殺風景になるんじゃないかと心配しましたが、杞憂でした。
はじめましての方、こんにちは。
この「野心日記」は何の変哲もない主婦が小説を書いて文学賞に応募しよう(願わくば受賞してその賞金で生活を立て直そう)という野心を綴っていくものです。
小説、ずっと書き進めてはいるんですよ一応。
ものすごーく歩みはゆっくりだけれど。
もともと音楽文とかnoteとかアメブロとか……小説以外にも書きたい!って思ったら書いてしまう性分なのであっち行ったりこっち行ったりしています。でも毎日小説のことを考えてもいます。
今回久しぶりに野心日記を書こうと思ったきっかけは、応募しようと思っている文学賞(第3回)の最終候補作の発表があったからで。
なんとなく、そろそろじゃないかなって検索したらほんと1日?2日?前に発表されたようで。
来月には最終選考結果の発表が行われるとのことで……応募していない私までドキドキしてきました。
最終結果が発表されたら、第4回の募集も始まるのかな。どうだろう。
自分で小説を書くようになって、小説を書いている人や様々な文学賞の存在が気になるようになりました。
なんて言うんですっけ、これ。カクテルパーティー効果??
芥川賞とか、直木賞とか、名前は知っているけれど多分今までほとんど興味を持ったことがなかったと思います。
無知と恥を承知で言うと、芥川賞も直木賞も、私が応募しようとしている文学賞のようにそういう公募(コンテスト)があって、それに応募した人の中から選ばれるんだと思っていました。
年に2回も選考があるということも知りませんでした。
これまでだってどこかしらで目に耳にしてきたはずだろうに、全く知らなかったのです。不思議。
今までいかに興味がなかったかがうかがえる……。
そんな人間が小説を書いて文学賞に応募しようなんて、ほんと一笑に付されてもおかしくない。
最近ちょっと思っていたんです。
表現するって、ただでさえ嘲笑の対象になり得るというか、一部の人(特に自分ではあまり表現や創作をしない人)から揶揄われることがあるよなって。
私は子どもの頃、教室の隅でノートに絵を描いたり歌詞を書いたりしてるような生徒だったんですけど、なんとなく居心地のわるさを感じることがあったなって。
私が直接言われたわけじゃないけれど、今だったらSNSでひとたび何か投稿すればマウントと捉えられたり、心の内を語ればポエムと揶揄されたり、絵や文章で自己を表現すれば自己顕示欲が強いとか承認欲求が云々言われたりとか。
そういうのって、自分が直接言われたわけじゃなくても心が萎縮してしまいます。
加えて、表現するってどんなに気をつけてもどこかで誰かを傷つけてしまうものだと思うから、それを考えるとまた躊躇ってしまったり。
私は自分の倫理観に自信があるわけじゃないので、私みたいな人間が何か発信していいんだろうかと定期的に悩みます。
思いもよらぬところで誰かを傷付けたり差別的な発言をしてしまうかもしれないと思うと、文章を書いて公開するのが怖くなってしまったり……。
小説も、どこまで描くか、これは書くべきか書かないべきか…… などなどすごく考えてしまいます。ただでさえ筆が遅いのになかなか進まない。
前回のnoteおよび音楽文にて私はこのようなことを書きました。
私は、自分の言葉や表現で誰かを傷付けるのが怖かった。もっと言うと、そうやって誰かを傷付けた結果人が離れていくかもしれないのが怖かった。
けれど、そもそも「表現する」ということは誰かを傷付けてしまうことだったのだ。odolでさえもそうなのだ。自分は何に悩んでいたんだろう。
傷付けることは避けられない。それは決して、誰かを傷付けることへの免罪符でもなく、傷付けてもしょうがないという開き直りでもない。
表現は人を傷付ける。それでも表現をつづけていくのなら、それなりの覚悟が必要なのだろう。覚悟した上で慎重に言葉や音を選び、形にして、届ける根気と勇気が必要なのだ。
詳しくは、よければこちらをご覧くださいませ。
どんなに気をつけても、「表現する」からには誰かを傷付けてしまう。それでも表現や創作をつづけるのなら、それなりの覚悟が必要だ……と。
けれど、同時に思うんです。
「覚悟しなきゃ」と身構えすぎて何もできなくなっちゃうんじゃ本末転倒だと。
萎縮して、「表現したい」という思いが潰れてしまうのはとても勿体ない。表現はもっと自由なものであってほしい……と。
例えば先程から度々この日記内でも登場しているrockin'onの音楽文。
「音楽について書きたい、読みたい」をキャッチコピーに音楽に関する文章を投稿でき、観覧できるサイトです。
この文章を読んで下さっている方の中にも投稿したことがある方、読んだことのある方がいらっしゃると思いますが、音楽文.comというサイトができたきっかけをご存知の方はどれくらいいるでしょう。
音楽文って、もともとは『音楽文ONGAKU-BUN大賞』という名前でもっと期間限定のコンテスト的に開催されていたのです。今は年中いつでも投稿できるけれど。
その第3回大会の結果発表と同時に告知されたのが、今の音楽文投稿サイト『音楽文.com』のスタートだったのです。
ちょうど1年前、わたしたちが「音楽文 ONGAKU-BUN 大賞」なる文章のコンテストを始めたとき、わたしたちの目の前には、みなさんから送られてきた膨大な数の文章と、そこに込められた音楽への熱い思いがありました。
わたしたちは、その中から最優秀賞・入賞作品を選び、みなさんに発表、公開しました。予想していたよりもはるかに多くの方々が、それを読んでくれました。しかし、わたしたちは、読んでほしい文章はもっとたくさんあることに、もどかしさを感じていました。
というか、もっと正確にいうなら、わたしたちは、送っていただいた文章から発せられている、みなさんの「読んでほしい」という熱量に圧倒されていたのです。文字のひとつひとつにまで込められた、この音楽文を誰かに届けたい、この思いを共有してほしいというエネルギーにこそ、揺さぶられたのです。
わたしたちは、この熱をこのままにしておくのは、とてももったいないことだと思いました。限られた作品だけでなく、ここにあるたくさんの音楽文は読まれるべきだと思いました。そして、事実多くの方が最優秀賞・入賞作品を読んでくれたように、読みたいと思っている読者もたくさんいるはずだと思ったのです。
書きたいという書き手がたくさんいて、読みたいという読者もたくさんいる、その出会いはもっと日常的に、もっと豊かにできないか。そんな思いから、今回始めるのがこの「音楽文.com」なのです。
(上記サイトより一部引用)
私がこのことを知ったのは音楽文.comがスタートして随分と経ってから、私が初めて音楽文に投稿したよりも後の話なのですが、とても嬉しかったんです。
こんなふうに熱い思いを持った人たちが運営している音楽文.comって素敵なサイトだなって。
音楽文.comはプロ、アマチュア問わず誰でも投稿することができます。
文体だって自由だし、1000字に満たないような短い文章も、文字数制限の1万字ギリギリいっぱいの文章も載せてもらえる。
じっくり時間をかけて練り上げられたであろう文章から、勢いで書き殴ったような疾走感あふれる文章まで、本当に多様な文章が寄せられていてそこが音楽文のいいところだと私はずっと思っています。
ただ、一応掲載可否の審査はあります。
私も一度掲載に至らなかった音楽文がありますが、思いも時間もかけて書いただけに掲載に至らないとやはり相当ショックです。
でも、私が思うに掲載不可は決して「文章が(技術的に)拙いから」とか「つまらないから」とか、そういう理由ではないと思っています。
おそらくは、利用規約にも書かれてあるような権利問題面や個人情報、内容がセンシティブだったりした場合にアーティストと投稿者を「守る」目的でワンクッション設けられているんじゃないかと。
一度掲載されると自分の意思では消すことができないですしね。
アーティスト側の事情が絡んでくる場合もあるのかもしれません。
例えば私が掲載不可になったPerfumeの音楽文、Perfumeは公式でアナウンスされるくらいライブのネタバレにシビアです。
ライブから1年が経って、DVD/Blu-rayもリリースされた後なので大丈夫かと思ったのですが、ダメだったのかもしれません。もちろん、全く別の理由で掲載を見送られた可能性もありますが。
これはあくまで私の勝手な、そして都合のいい想像ですけど、音楽文の運営の方々(何人体制なのかも不明ですが)は送られてきた文章の熱い思いに心揺さぶられながらも、やむを得ぬ事情で泣く泣く掲載を見送っているんではないかと。
掲載不可で投稿者がショックを受けることだってきっと分かっているし、好きで掲載不可なんてしないんじゃないかと。……ポジティブすぎますかね。
でも、きっとそんな音楽を愛して止まない心ある方々が運営しているんだろうなって、そんなことを想像してしまうくらいの思いを先に引用した文章から感じたのです。
私はそれを信じているし……、信じていたし……、信じたいし……?
ちょっと今は文末をどう結んだらいいか分からない心境ではありますが……
やっぱり「信じたい」かな。
信じるとか信じないとか大袈裟だよってまた笑われちゃうかもしれないけれど。
とりあえず今書きかけのが1つあるので完成させたいなと思っています。
そうそう、音楽文には月間賞というものがあって掲載された文章の中から毎月「月間賞 入賞」「月間賞 最優秀賞」といった表彰が行われています。
最優秀賞の音楽文は、rockin'on JAPAN本誌に掲載もされます。すごいよね。
今月は2人最優秀賞に選ばれていたけれど、2人とも載るのかな。いや載るよね。
私は、ありがたいことに初めて投稿した音楽文で月間賞の「入賞」に選んでいただいたことがあるんですけど、これもまた単純に「上手い」だけが審査基準だったなら、私が受賞するはずなかろうというもので。
当時はまだ「講評」が付かない時だったのでなぜ選んでいただいたのか詳しいことは分からないままですが、選んでくれた「人」が確実にいるというその事実がとてもうれしかったです。
だって、少なくともその選んでくれた人には私の文章が何かしらの形で届いたということだから。
もちろん人が選んでいるからこそ、選ぶ人か違えば受賞する作品もまた違ってくるはず。
受賞には至らなくとも個人的に大好きな音楽文、たくさんあります。
「音楽について書きたい、読みたい」をコピーに掲げる音楽文。
文章の上手さとか経験に関係なく誰もが「書きたい」「伝えたい」という衝動をぶつけられる場所があることを、自分を表現できる場所があることを、私はとてもありがたいなと思っています。
投稿した文章にうれしい反応をいただいたこともあります。「書いてよかった」って心から思います。
もともと誰かと繋がろうという気持ちで投稿したわけではないものの、音楽文をきっかけに繋がることのできた方も何人かいます。
表現は、人を傷付けてしまう可能性を常に孕んでいます。
でも、表現するってとても楽しいこと。うれしいこと。
そのことも忘れずにいたいと思うのです。
だからこそね、ど素人が文学賞に挑戦してみたっていいんじゃないかなって自分で自分を励ましながら小説書いております。
言いたいこと、言えないこと、言わないと決めたことその他もろもろ。
全部、なるべく柔らかく届くようにして小説に込められたらな。
ずっと、そのつもりで書いてはいるけれど…… いろんなニュースとか見てるとより強くそう思います。
早く完成させたい。
焦って仕上げてしまいたくはないけれど、届けたい人が側にいるうちに、私が生きていられるうちに完成させたいな。
(※毎度のことながら何のフラグでもない。
ただ、人はいつ死んでしまうか分からないもんね)
読んだ人を圧倒させるより、「自分もなにか書いてみたい!」「表現してみたい!」って、そう思えるような形にできたらいいな。
【おまけ】
とある日のひとこま
最近、音楽のサブスクリプションサービスに登録しました!
やっとです。
もう楽しくって仕方ない。いろいろと擦り減る日々だけれど、音楽があるからなんとかやっていけると本気で思ってしまったよ。音楽好きでよかった。
ここ数日、書くのも読むのもあまり気が乗らずフォロワーさんのnoteとかも、あぁ読めてないなってずっと心にひっかかっております。
連休中、少しずつ読みに伺います。
回復と、インプットとアウトプットして過ごせたらいいな。
それにしてもサブスクほんと楽しい。
この曲もずーっと聴きたかった。
見えないところで 傷ついて
ひとりで涙を 流さないで
すべてあなたの 言葉にして
伝えてそのまま ためらわないで
どんなに小さな声でも
きっと いつもきいてるから
(between the word & the heart -言葉と心- /小田和正)
サブスクありがとう。