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自分の弱みに挑んだ夏 #モノコン2022


もの書きとしての、私の弱み。
それは「恋愛ストーリー」が書けないこと。
書けないというか筆が進まないというか、あんまり書きたい気持ちにならないというか……。

弱みと言っても普段はそんなに気にしていないです。
物語は恋愛ものだけじゃないし、恋愛ものも、そうじゃないのも、書きたい人、書ける人が書けばいいと思っているから。それぞれに、読みたい人もいると思うから。私も、私が書きたいことを書いていけたらそれでしあわせです。

私が恋愛ストーリーを書けない原因はおそらく、私の人生において恋愛というものがあまり重要ではないから。
恋愛感情としての「好き」というものが昔からよく分からなくて、周りが流行りの恋愛ドラマの話や好きな人の話で盛り上がっているときも、全然別のことにばかりのめり込んでいるような子どもでした。
たまに、こんな私のことを好いてくれる人もいたけれど…… 私じゃ相手の思いに応えられそうにないし、どうしたらいいのか分からなくて向けられる好意から逃げつづけていました。

そんな私は不思議なことに既婚者なんですけど、これにはいろいろな経緯があって……(なるべく簡潔に話す)

夫は、一度や二度の「ごめんなさい」では諦めなかった人で。さすがに折れたというか、自分の頑なさを疑ってみたというか。
生まれつきそういう(恋愛に興味ない)性格なんだと思っていたけれど、もしかしたら何か原因があるのかもって。
生い立ち(両親が不仲で離婚しているとか、幼い頃のトラウマとか)も含めて、自分を疑ってみたんです。
好きになれるか分からないし、それで結局傷つけてしまうんじゃないかって不安もあったけれど、一度お付き合いしてみたら何か分かるかもしれない って思って(夫も「それでもいい」と了承の上です)

そこからは、いろいろ急展開すぎて。
人生何が起こるか分からないとは言うけれど、そんなこんなでいろいろあって今に至るというか。
ちなみに、今でも夫のことを恋愛感情として好きになれているのか分からないままです(問題発言なのはわかっています……)

でも、それなりに(11年?12年?)苦楽を乗り越えてきたので情はあります。しんどいこともたくさんあるけれど、私にはそれだけで充分、一緒にいる理由になっているのです。



前置きが、長くなってしまいました。
そんな私が今回、自分の苦手分野である「恋愛ストーリー」に挑んでみたわけです。

monogatary.comさん主催のもの書きコンテスト、通称『モノコン』にて。


モノコン2022を知ったのは、好きでフォローしているバンド、リーガルリリーの公式ツイートがきっかけでした。

↓それを受けての自分のツイート


興味をもちつつ、でも募集テーマが「恋愛ストーリー」ということで尻込みしてしまいました。応募したい。けど書けないよなぁ……と。

もっと大きな意味での「愛」なら描けるかもしれない(たとえば家族愛とか、友愛とか)けれど、「恋」は私にとってとても難しいお題。
もっと言うともうひとつのテーマ?でもある「戦争」もとてもむずかしい。

そんなわけでリーガルリリー賞は泣く泣くあきらめることに……。
モノコンは他にも多種多様なおもしろいテーマを掲げていたため、最初はVTuver・蟹さんの“空想料理賞”に応募しようと書きはじめました。料理好きなので。
あと、その少し前に蟹さんの動画(エフェクター寿司)をMO MOMAの志水美日さんのリツイートから拝見していたので。イメージも湧きやすかったのです。

でも、リーガルリリー賞のお題曲である『明日戦争がおきるなら』を何度も聴くうちに、だんだんと書きたい気持ちがふくらんできて。書けるかも、という気がしてきて。

いつの間にか、リーガルリリーが空想レシピを追い越していったのでした。

もともと、コンテスト発表から締め切りまで1ヶ月ほどしかなく。さらにリーガルリリーに焦点をしぼってからは2週間ほどの制作期間だったので、普段から筆のおそい私にはなかなか過酷でした。

途中、何度も「やっぱりムリかも」「間に合わない」って心折れそうになったけれど、なんとか締め切りに間に合うことができました。ほっ。
(なんかこの感じ、初めて音楽文に投稿したときのことを思い出す。音楽文は締め切りとかなかったけれど)

ただ、完成はしたものの、正直これを「恋愛ストーリー」と言っていいのかどうか、よく分からないままです。
でも、公開したからには物語は私だけのものではなくなるので。受けとった誰かが、ひとりでもそういう要素を感じたならそれでいいかなと思うし。
「青春ストーリー」や「友情物語」だと感じる人がいるなら、それはそれでその人の感性ですし。
だから、ジャンルは特に設定せず「その他」にしてあります。


こちらがその応募作です(約5000字)
感じるままに読んでいただけたら、幸いです。



そしてここからは、物語の補足的なお話というか。制作裏ばなしみたいな感じです。
こういうのを書くのは野暮かもしれないけれど、自分自身のためにも残しておきたくて。

「へぇ〜、そうだったんだ!」とか、一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。


【物語にちりばめられているキーワードたち】


・消波ブロック

消波ブロック
画像はすべてフリー画像サイトPixabayより


いわゆる「テトラポッド」
テトラポッドは最大手メーカー不動テトラの四脚ブロック製品の登録商標なので、物語では正式名称の「消波ブロック」を用いました。

ちなみに、aikoさんの『ボーイフレンド』の歌詞では「テトラポット」と表記することでその辺をうまく回避していたり。

津波や高潮から町を守るために海岸に設置された、主にコンクリート製のブロック。
ブロック同士の間には大きな隙間があり、波を吸収する効果があります。
第二次世界大戦後の1949年にフランスで使われ始め、日本では1958年にはじめて作られました。


・消波ブロックの上を歩く危険性

物語では、幼少期のふたりが消波ブロックの上を歩いているところを大人に見つかり叱られています。
消波ブロックは見た目以上にすべりやすく、濡れていればさらにその危険性は高いのです。隙間もたくさんありますし……
その隙間に砂が積もっていたりして、一見平坦に見えるからと歩いていると、砂が崩れてズボッと穴にはまってしまったり。
さいあく、そのまま奥まで落下して自力では出られなくなる・助けられなくなる可能性も。
穴の中は海流が複雑になっていたり、フジツボやカキなどがくっついていてその鋭い殻で傷を負うかもしれなかったり……
いろいろと危険なので、消波ブロックの上では遊ばないように気をつけてくださいね。


「僕」は大人になっても「君」との別れをずっと引きずっています。
そして、おそらく何度も海を訪れては「言葉になれなかった思いの、成れの果て」を吐き捨てるのです。
「消波ブロックの隙間に飲み込まれて、跡形もなく消えてしまえ」と。
危険なはずの消波ブロックに望みを託すほど「僕」は憔悴しきっていること、「僕」にとっての「君」という存在の大きさ…… が描けていたらいいな。


・シーグラス

浜辺に落ちているガラス片。割れた瓶などが波に揉まれて、角がとれて、曇りガラス状になったもの。いろんな色があってきれい。子どもの頃よく拾ったなぁ……って言っても海、数えるほどしか行ったことないけれど。

「ラベンダー色のシーグラス」は、物語中に4回出てきます。

1.幼少期の浜辺
2.高校生になった「僕」の回想
3.戦地へ赴く「君」を見送る朝
4.大人になった「僕」がテレビ越しに「君」を見つけたとき

物語はほぼ「僕」側の独白で「君」の気持ちは語られていません。
でも、2人にとっての「宝もの」であるラベンダー色のシーグラスを「君」は戦地に赴くときも、その後大人になってからもずっと大切に持っている(おそらくネックレスにして身につけている)ことから、「君」も「僕」のことをずっと思っている…… ということが表現できていたらいいなぁ。

もらったものや思い出の品を大切にとっておくこと自体は、友人関係や家族関係などにおいてもあると思うのだけど。
恋愛感情の表れとしても成立するということを最近とある記事を読んで知ったので、「なるほど」と思って取り入れてみました。


・流星雨 ※9/8追記

「ああ、やけに、空が、明るいな」


雨のように降り注ぐ流星(流れ星)
広い意味では「流星群」と同じ意味で使われるものの、流星群よりも星の数が多い場合のことを指すらしい。

「流星雨のごとくミサイル流るる」(応募作本文より)
……想像しただけで絶望的な光景です。

この場面を書いていたとき、私の頭の中ではシナリオアートの『ラブマゲドン』が流れていました。

流星雨 僕らの頭上に
尾を引いて 舞い降りる
始まった 世界の終末
君と過ごそう ねえ
ラブマゲドン/シナリオアート

でも、あとからamazarashiの『クリスマス』もそうだなって、ふと気付いて。

どこか遠くミサイルが飛んで
流星と見間違えた少女
願いを一つ唱えたところ
今日は美しいクリスマス
クリスマス/amazarashi

amazarashiは私にとってとても大切なアーティストのひとりですが、実はいまだに聴いたことのない曲もちらほらあります。なかなか過去のCDまで買い集められなかったりで……(去年、音楽サブスクをようやく始めたおかげで聴ける曲も増えたけれど)

『クリスマス』もちゃんと聴いたことはなかったのですが、ミサイルのフレーズはどこかで見て記憶に残っていて。
今回の件で初めてちゃんと聴いて、なんて美しい曲だろうと感動しています。
ミサイルの他にも、物語と重なるようなフレーズがいくつかあって驚いたり。
こうやって音楽と音楽が引き寄せ合って新たな発見や感動に出会えるから、音楽って際限なくて大好き。

リーガルリリーもそうだけど、シナリオアートとamazarashiも戦争を連想させる歌詞が多いなと感じます。


・紫色の花(奇跡の花)

一面の、紫色の花

物語中で特に明記はされていないけれど、シーグラスや夕焼けの色からおおよそ予想がつく通り「ラベンダー」のことです。
薬や料理、アロマなど幅広く親しまれているポピュラーなハーブのひとつ。開花時期は6〜7月。

ラベンダーの香りには、精神安定(リラックス)効果や、安眠効果が。
(私は、子どもの頃はちょっと苦手な香りでした……)
精油には抗菌作用があります。

フランスの軍医、ジャン・バルネ博士ははじめてアロマテラピーを医療に活用した人物。
第二次世界大戦とインドシナ戦争において、ラベンダーの精油を負傷兵の火傷の手当てや消毒、鎮痛、鎮静剤として使用し、貢献したという話があります。

【ラベンダーの花言葉】

沈黙、あなたを待っています
私に応えてください、幸せがくる
その他、献身的な愛、許し合う愛、期待、清潔、優美、疑い、不信 など。


【リーガルリリーとの出会い】


私がリーガルリリーを知ったのは、約5年前。
ASIAN KUNG-FU GENERATION(アジカン)のトリビュートアルバムがきっかけでした。
さまざまなアーティストがアジカンの曲を自分たちなりにアレンジしたものが収録されていて、リーガルリリーがトリビュートした『ムスタング』およびボーカルのたかはしほのかさんの歌声に衝撃を受けました。
そこからリーガルリリーのオリジナル曲も聴いてみたところ、『1997』という曲があまりに良くて。それからじわじわと好きになっていった感じ。

長らく、大好きな数曲だけを繰り返し聴く…… という距離感の「好き」だったため、正直まだまだ聴いたことのない曲もたくさんあります。
それでも、いつかライブに行ってみたい!と思うくらいには私の中で大きな存在でした。

同じくアジカントリビュートをきっかけに知ったamazarashiというバンドも大好きなのですが、まだほとんど曲を知らない状態でライブビューイングへ行って自分の「好き」を確信したという前例もあるため、リーガルリリーも自分のペースやタイミングを大事に、ゆっくり「好き」を育ててきたという感じです。

6月にリリースされた『蛍狩り』を聴いてまた好きが増して、その後リリースされた『ノーワー』、『明日戦争がおきるなら』を含むデジタルEP(4曲入りミニミニアルバム)もとても良くて…… 
その勢いから今回のモノコンへと思いがつながっていきました。


【書くに至ったきっかけ】


先述のEP『恋と戦争』を何度も聴くうちにイメージがふくらんだのもあるけれど、同時期に各メディアで公開されたリーガルリリーのインタビュー記事の影響も大きかったです。たとえばこちらの記事。

たかはしほのか(Vo.Gt)

本当に心の器からあふれ出てしまうほどに自分の感情を占めているのがこのふたつ(恋と戦争)で……
記事より一部引用


この言葉に、感銘を受けたんです。
私にとってはそこまで重要でない「恋」が、誰かにとっては「戦争」と肩を並べるくらいに心を大きく占めてしまう出来事なんだ…… って。
心の器からあふれ出るほどの感情ってすごいな、それって私の場合なんだろな?「音楽がすき」って気持ちとかかな?って。
「恋」という感情に尊さみたいなものを感じました。

また、こちらの記事。
「戦争」というテーマも私にはむずかしかったのだけれど


リーガルリリーの曲にはもともと、戦争を連想させる歌詞が多いということをライターさんが書かれていて。
それで、この記事に挙げられている曲をすべてダウンロードして聴いて、そこからさらにイメージをふくらませていきました。

そこへさらに、疫病だったり芸能人や好きなアーティストの炎上、衝撃的なニュース…… といった日々SNSなどで目にする人々の対立や分断、それらに対する個人的なやりきれない思いなどを重ねながら書いていきました。
(以前書いたnote、『言葉と音楽と、可惜夜』あたりが大きなベースになっています)

たかはしほのかさんも、『ノーワー』リリース時にこのようなコメントをしています。


創作や表現における悩みや葛藤、「それでも」という勇気に敬意を抱いて、私も私なりの勇気を出してみようと、自分の「弱み」に挑んでみようという気持ちになりました。


大賞作品はたかはしほのかさんによる「朗読」という形になるとのことなので、小説というよりは詩に近いリズムで。会話も控えめに、「僕」の独白のようなイメージで書こうと思いました。
たかはしほのかさんが朗読しているところをイメージしながら、言葉も選んでみたり……。
まだまだリーガルリリーについて知らないことも多い私だけれど、今の私がとらえている「たかはしほのかさん像」「リーガルリリー像」からあんまり離れすぎないように。
文字数も、特に制限はなかったのだけどそれだとつい長くなっちゃうから、5000字以内に収まるよう努めてみたり。

途中、何度も「まとまらないんじゃないか?」と焦ったけれど、5000字すらまとめ上げられなかったらいつかの長編小説なんて夢のまた夢だぞ、と己を鼓舞して向き合いつづけました。


【物語に散りばめられた音楽たち】


書いているとき、お題の『明日戦争がおきるなら』はもちろん、他にもたくさんの楽曲が頭の中で流れていました。
物語を通して、曲が今までとはまた違う響き方で聴こえたり。とても面白い体験でした。


特にBUMPの『グッドラック』や『Gravity』は聴くたびに「僕」と「君」の唄に聴こえるようになってしまって……
自分が書いたのに、自分が書いたんじゃないみたいで。とても不思議な感覚でした。

あと、これは余談で、今までにもあちこちで語ってるんですけど…… 
『グッドラック』の〈真っ直ぐな眼差し〉のあとの歌詞のない部分〈……〉が好きです。
真っ直ぐ見つめられているような、空白。


物語のテーマとして音楽が直に絡んでいるわけではないけれど、今までに出会ったたくさんの音楽が灯台となって出来上がった物語だと思っています。音楽への感謝があふれる……


【タイトル『沈黙と花言葉』について】


今回の物語を書く中で、新たに出会ってしまったアーティストおよび曲があります。
スムルースさんの『体感幸福論』、そして『沈黙の花言葉』

タイトルを決めるとき、いくつか候補となるキーワードがありました。
「沈黙」はそのひとつで、これは楽曲自体にこのキーワードが散りばめられていることが大きく影響しています。

沈黙は口を閉じて出た言葉。
世界一大きなメロディ。
明日戦争がおきるなら/リーガルリリー
沈黙は口を閉じて出た居場所。
それぞれ離れたハーモニー。
明日戦争がおきるなら/リーガルリリー


それでふと、「沈黙」を花言葉にもつ花を調べてみようと思って。「沈黙 花言葉」で検索。
そしたらいちばん最初に出てきたのが、スムルースさんの曲『沈黙の花言葉』だったのでした。

聴いてみようとサブスクで検索したものの、残念ながら見つからず。
代わりに目にとまった『体感幸福論』という曲を聴いてみたらとても良くて。
しかも、歌詞にも「沈黙」って出てくるの。

なんだかいろいろと繋がっていく気がして。
「花」を物語のキーワードに入れよう、とここで初めて思ったのでした(その時点で締め切り4日前くらい)

「君」は最初、世界中を旅してその土地の風景や人物を写真に収めるのが夢、という設定で。
戦場へ赴くのも、戦場カメラマン・ジャーナリストになるというイメージで書いていたのを、「花」に合わせて改変していきました。

「花」が重要なモチーフになったことで、先に書いてあった「流星雨のごとくミサイル流るる。……あれが全部、花の種だったなら」という部分の説得力も増す感じになりました。

「花」をキーワードに、バラバラだったピースがつながっていく感覚。そっか、足りないのは「花」だったんだぁ…… って。

夕焼けやシーグラスを「ラベンダー色」で統一していったのも、この頃。
紫色のシーグラスは多分めずらしい(私はあんまり見たことない)けれど、存在しないわけではないので。
めずらしい分、見つけた2人にとってもより特別で大切な「宝もの」になったんじゃないかなぁ。なんて思ったり。

2人が見た夕焼けはどんなだったのかなぁ。


ちょっとずれるけど、僕と君のまちを「町」にするか「街」にするかは最後の方まで迷ったな。
(場所のイメージと意味合い的には「町」なんだけど、個人的には「街」の詩的な見た目が好き)

最終的にタイトルを『沈黙と花言葉』にしたのはインスピレーション的な部分が大きいかな。
「沈黙」は言葉にならないけど、そこにはきっと何かしらの思いがあって。
「花言葉」も、花自体は何か語るわけじゃないけれど、その姿に人間が意味を見出したりメッセージみたいなものを受けとっていたりして。なんとなく似てるなって。
そんな、似たもの同士?をならべてみました(半分くらい後付けの理由だけれど……)


【結局、これは「恋愛ストーリー」なのか?】


モノコン2022のリーガルリリー賞においては、

本賞では本日8/1リリースの楽曲「明日戦争がおきるなら」の前日譚、つまり「僕」と「君」の恋愛ストーリーを募集します。

とハッキリ書かれてあります。


だから私は怯んでしまったし、一度はあきらめて他の賞に応募しようとしていました。
でも、ずっとどこかに「抜け道」?のようなものを探している自分がいて。
「自分には参加資格がないかも」だなんて、自分で決めつけてしまわなくていいんじゃないかって。
物語は、創作はもっと自由に書いたらいいんじゃないかって。

“明日戦争が起きるなら、こんなことで別れたりしなかった”

ここの解釈も難しかったです。でも、これもそんなに難しく考えることないんじゃないかって。

「別れ」は付き合っている二人にだけ訪れるものではないと思うから。
このお話の二人は、おそらく恋人同士の関係ではないです。でもお互いをとても大切に思っている。そんなイメージ。だけど離ればなれになってしまう。
戦争が起きなければ、いつか一緒になる未来もあったのかもしれない。そう思わせる二人…… なのかな。
お互いに「好き」とも言わないし、「愛してる」って言葉も「君」じゃなくて「世界」に対して言ってる。

結局のところ、誰もが一度は経験するようなありふれた別れや喪失、信頼関係みたいなものを描いたことになるのかな(つまり通常営業?)
それを「恋」とするかどうかは、読み手の主観によるのかも。

例えば音楽も、作った本人はラブソングのつもりじゃなくても受けとった側がラブソングだと思えばラブソングだし、ラブソングとして歌われた歌をぜんぜん別の解釈したっていいわけで。

物語を公開したあと、最初は心臓ひっくりかえるんじゃないかってくらい不安で、怖くて。
どう受け取られるだろう?どう見えるだろう?
戦争のことも世の中のことも恋愛のことも、なんも解っちゃいねぇな!とか思われたらどうしよう…… など。
普段から自分の世間知らずさにコンプレックスを抱いているゆえ、いろいろと未知すぎて、怖くて怖くてたまりませんでした。
でも、今は少しずつ、落ちついて自分の作品と向き合えるようになってきました。
というか、先にも書いたように「自分が書いたのに、自分が書いたんじゃない」みたいな不思議な感覚でいます。
「自分がどう見えるか」という恐怖よりも、「どんなふうに受けとってもらえるかな」っていう、読み手にゆだねる安心感みたいなものに変わっていってるような気がしています。
またすぐ揺らいじゃうかもしれないけれど。

いろいろと勉強不足だったり、矛盾点などもあるかもしれませんが、それらも含めて今の自分にできるだけのことはやれたと、胸を張れるようになってきました。

これで結果がついてきてくれたら、尚うれしい。
でも、何にもならなかったとしても、この挑戦はきっと今後の私のもの書き人生を支え続けてくれると思っています。
あきらめないで、やってみて本当によかった。
ぐっじょぶ!おつかれさま自分!

そして、物語を読んでくださったり感想を伝えてくださった皆さま。
一人ひとりの反応が、不安で怖くてたまらなかった私の心にあったかいものを灯してくれました。
どうしたら私の今の気持ちを伝えられるか分からないけれど。ありがとうじゃ足りないほど、感謝しています。

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