私の人生って成功しているのかな
私の人生が成功か失敗かは、もちろん私が決めることなのだけど、いつ成功か失敗か決めようかな。今かな。常に今を考えるのがいいかな。
お金の面で見てみると、私は結構稼いでいる方だと思う。
年収も1年目で670万(めっちゃ残業したから基本給はそこまで高くない。)、その後710万、750万、820万、860万、900万、1150万と結構な割合で増えている。一般的なサラリーマンの大台である1000万はあっという間に超えた。ちなみに増え幅が大きい年は転職したタイミング。
年収だけで測れば、今の年齢から見れば結構もらってる方だし、成功なのかな。
でも、人生って当たり前だけど年収だけじゃないし、年収以外でもちゃんと成功したいな。
10代の頃は人生が成功とか失敗とか、何も考えずにただ毎日を生きていた気がする。動物的な生き方だった。衝動的だった。後先考えていなかった。
子どもの特徴は先が見えていないことだと思う。
ボールを追いかけて道路に飛び出す子どもは、1秒先が見えていないから。
10代で避妊せずにセックスするのは10ヶ月先が見えていないから。
20代で飲みすぎて潰れるのは1日先が見えていないから。
今思えば何も見えていなかった。いや、今も何も見えていないのかもしれない。
経験人数は20を超えたあたりから数えるのをやめた。実際のところ今30なのか50なのかよくわからない。50は超えているような気がするけど。
こういう貞操観念になってしまったこと、それを特にマイナスだとも思えなくなってしまったことは、もしかしたら私の人生の失敗の一部なのかもしれない。
でも、マイナスに見られるということは理解しているので常にサバを読むしかない。嘘を付くのはあまり好きではないので、自分の中で嘘を付かずに経験人数を減らすロジックがほしいけど、まだ組めていない。
20代前半はずっと絶望していた。自分の人生は失敗だって。毎日毎日考えていた。
自分の人生が失敗だと気がついたのは、ちゃんとした人たちと日常的に触れ合う機会が生まれたからだった。
ちゃんとした人たちと日常的に触れ合うことで、自分がちゃんとしていない人だということが自分の中で浮き彫りになった。
それからというものの、もっと勉強しておけばよかった、もっとちゃんと考えて進路を選ぶべきだったと後悔の渦に巻き込まれながら、そしてそれを親や周りの人のせいにして生きてきた。だって、自分のせいにしたら潰れてしまいそうだったから。
その絶望から這い上がれたのは、結果的にちゃんとした人たちと同じ職場で働けるようになったから。10代、20代前半はちゃんとした人たちとは全く違う、ちゃんとしていない道を通って来てしまった。致命傷にはならない程度の大抵の過ちは犯してしまっていた。
それが、ちゃんとしていない私を、ちゃんとした人たちが認めてくれたのが嬉しかったのかもしれない。絶望はしなくなった。
それでも、ちゃんとした人とちゃんとしていない人が同じ職場にいると、昔の大きな爪痕というか差を感じることがよくある。それは学習能力、事務処理能力、語学力、読解力等々、随所に現れる。
それをコミュニケーション力とか、よくわからないふわっとしたもので隠しながら、いつもニコニコしてなんとか切り抜けている気がする。切り抜けられているのかな。もしかしたら、切り抜けられていると思っているのは私だけなのかな。よくわからない。
こういう気持ち悪い自分語りをしてしまうのはなんでだろう。承認欲求が満たされていないのかな。
ちゃんとしていない道を通って来てしまったことはもうどうしようもないので今からその過去を変えられないかを考えても無駄だからしないけど、後遺症っていうか、ちゃんとしていなかったことの歪がいつしか溢れ出さないかっていう若干の不安を抱えながら生きていくよ。