猫と暮らしたいと思った話
生まれた時からずっと「ペット飼育不可」のマンションに住んでいるため、動物と暮らしたことがない。
そもそも動物にあまり興味がなかったので何とも思わなかったのだが、最近は猫と暮らしたいと思うことが増えた。
Twitterを開いては大ファンである横槍メンゴ先生宅にいらっしゃる「るったん」に癒される日々。
家を出てペット可の部屋に住むという手もあるのだが、実行に移そうという気にはなれない。
その理由のひとつが、先に死ぬのも死なれるのも嫌だからだ。
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数年前、たまたま観たドラマで耳にした台詞を、ふと思い出す。
「わたしは新しいペンを買ったその日から、それが書けなくなる日のことを想像してしまう人間です。」
私は当時からネガティブな考え方をする方だったが、これを聞いた時はまるで理解が出来なかった。
そんな、えぇ・・・生きづらそう・・・。
たぶんそんなことを思っていたような気がする。
ドラマの内容は全く知らないしその後も観ることはなかったのだが、その台詞だけはしっかりと頭に残っている。
今の私は理解出来ないどころか、深く共感するような心の持ち主になった。
ペットを飼うのを躊躇う理由も、要するにそういうことだ。
大事なものが増えるということは、失った時に悲しいと思うものが増えるということ。
猫と暮らしてたくさんの時間をともに過ごしても、寿命のことを考えると私は彼/彼女を見送らなければならないのだろう。
万が一私が先に死ぬようなことがあっても、それはそれで今後の生活を思うと心配でならない。
と、飼う前から考えている。
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そんな私の心を揺らがすような台詞が、有川浩さんの「旅猫リポート」という小説の中にある。
タイトル通り猫に関わる物語で、人間と同じように猫の独白が交えられているのがとても面白い。
主人公のサトルは猫のナナからも「猫ばか」と評されるほど大の猫好き人間なのだが、退っ引きならない事情でナナを手放すことになり、その引き取り手を求めて様々な人のもとを訪ねる旅に出る、というのがストーリーの大筋だ。
旅に出る前、手放さなければならない現状を謝罪するサトルに対して、ナナはこんなことを思う。
「僕は何にも失ってない。ナナって名前と、サトルと暮らした五年を得ただけだ。」
私にとって、世界が変わるほどの衝撃だった。
ペンが書けなくなる日が来ることは避けられない。しかしそのペンで「書いたこと」は残るのだ。
猫と暮らすということは、どんな形であれ、いつか別れがやってくる。しかしそれまでともに過ごした時間、思い出を得ることが出来るのだ。
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実際に飼うとなると精神面以外にも考えなければならないことがあるので、すぐには出来ない。
だけどこのナナの思いは、かつて観たドラマの台詞に寄り添うような形で、いつまでも私の中にしまっておきたい。
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