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ずんたろう日記

「僕が僕であるためのパラダイムシフト」を読んで、自分の鬱の波が来ることを「ずんたろう、が来た」と言うようになった。

https://twicomi.com/manga/e3_noguchi/1029724918571663361

この漫画を薦めてくれたのはパートナーだが、私が鬱で起き上がれなかった日に「ずんたろうきた?」とポップな命名をしてきたのがキッカケだ。

鬱病と診断されたのは先月。https://note.com/nanase_yamaguchi/n/n619a9b374af6

TMS治療をしているが、治ることはなくて、ずんたろうが大きくなったり小さくなったりする。気にならない程度に小さくなってくれれば普通に生活ができる。最近は、おおきめだ。


ずんたろう、は何か私に伝えに来ているという。よく鬱病の本を読むと「本人の捉え方でそうなるんだ」という発言にでくわす。自分が悪い、と思ってしまうので結構傷つくのだが、あながち間違いではないと思う。

上は病院で診断してもらった時の結果だ。QIDSが鬱を図る尺度だが、9を超えると鬱病を疑う。安定時に測って、GAD7(不安障害)の数字が大きかったのと、過去を振り返って躁鬱に思い当たることがいくつかあったので、rTMSの治療を受けることになった。

なにに不安がっているのか。これはずんたろうと話し合って探していくことだ。

私の躁鬱は最近なりました!と言うものではなく、年数をかけて蓄積しているものだ。正直当たり前に思ってたことが、「明日からこう考えてみましょう」と言われても変わるものではなく、鬱病だと自覚したことで、楽になった気持ちもあれば余計に辛くなったこともある。

例えば仕事で、理不尽なことが起きた時、以前なら「いや自分はまだまだ頑張れる、絶対やってやる」と鞭打ってでも解決に頑張れたことが、今は「この負担は今の自分にかけて良いのか?」というブレーキが入ったり、そもそも頭に濃いモヤがかかりパニックを起こしてしまう。

自覚しなかった時のが頑張れたんじゃないか、と悲しくなる一方、鞭を打とうとするとずんたろうが邪魔しにくる。昔はできたことが、できなくなる。

でも安易に無理するな、がメッセージでもない。もっとなんで不安になるのか、何に不安がってるのか、それは本当に不安なるものなのか。答えさがしをしている。

まずは潰せる不安から少しずつ解決してる。周りに言えない、という不安感、仕事の領域がわからない、という不安は周りに協力してもらっている。だから、私の周りの人には本当にご迷惑をおかけしている。本当にごめんなさい。

でも鬱病に甘えるつもりは全くなく、治すと覚悟しているので、少しずつ気長に付き合ってもらえたら嬉しいです。



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