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普通なんてクソ、異常なんてクソ

日常で目にする世界は普通であり真実であるが、普通でも真実でもないなとか考える人です。
しおさんの兄は色弱という色がはっきり判断できないものを持っていてしおさんと違う世界を見て生きている。

今回はそんなお話。

私の兄は生まれつき色弱で、色を正しく見ることができない。
兄の見ている世界は、私が見ている世界とは全く違うだろう。

兄は昔からキャラが濃い。本当に濃い。良くしおさんはキャラが濃いとか言われるが、しおさんが薄味になるレベルで兄は濃い。
赤ん坊の頃には青汁の粉を離乳食にかけて食べたり、保育園では肉よりもパセリやセロリを好んだり、小学生の頃にはペンギンをうすだいだい色で塗ったりしていた。
いつもキャラが濃いから色を指定の色で塗れてなくても私たち家族はあまり気になってなかった。

しかし、兄が中学生になったとき、私が誕生日プレゼントとしてマーカーペンを贈った際に、兄が一言「しお~これ半分ぐらい同じ色じゃね?何用につかえばいいの?」と言った瞬間、私たちは彼の色の見え方に気づきその後、検査を受けた結果、兄が色弱であることが判明した。

兄は小学校高学年の頃から違和感を感じていたものの、周囲の反応を恐れて言い出せなかったそうで今まで私たちから見て違和感なかったのは、兄が友達や家族の会話の中で色の名前を暗記して色の区別がつかなくとも、リンゴは赤、夏の木は緑と茶色、秋の木は赤や黄色、冬の木は枯れ葉が薄茶色、と覚えていたらしい…

いや、覚え方が完全に力技すぎるだろ…!!!!

この話を聞いて、私は自分の見ている世界も、実は他の人とは違うのではないかと、私が「赤」と認識している色が、他の誰かにとっては「オレンジ」に見えるかもしれない。人それぞれの見え方や感じ方が異なるからこそ、意見や好みも違ってくるのだと思うんですよね。

「普通」とは何でしょうか?それは本当に必要なものなのでしょうか?自然界の色ですら、私たちが見ているものは一人一人異なるかもしれないのに。見ている世界、感じ方が違うのだから意見が合わないのは当然のことなのに。意見が合う人も、見ている世界は違うけれど感じ方が同じだっただけかもしれませんのにね。

異常も普通も、見えている世界もすべてが一つの色であるけど感じ方が、受け取り方が違うだけで正しいも正しくないもないんじゃないかな。
他人から見たら嫌な色かもしれないけど、自分の色を、好きな色をどれだけ胸を張って愛せるか。他人にどう思われようと、自分自身を生きれるのは自分だけ。

この世界には、いろんな人間がいて、それぞれの見え方や感じ方がある。それなのに攻撃しなくていい相手まで攻撃し始める、そんな「クソみたいな世界」をどれだけ彩れるかが重要なのではないでしょうか。
普通も異常も、私のことも、嫌いな奴のことも、好きな奴のことも、すべて、私の人生見えている世界も見えてない世界もまるごと

愛してる。

異常とか普通とかそんなもん全部クソくらえ