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(はじめてのnote)緊張する気持ちよさを、思い出す。‐信越五岳110kを走る意味-

出来ることを、出来る時にやる。

きょう無理するより明日を楽しもう。これ以上は怪我しそうだからやめよう。幸せに安全に楽しく生きよう。
確かに「命あってのものだね」だから正しいのだろうが、本当にそうなのか?本当にそういう場面だったのか?
もしかして私は都合のいいように解釈をして、単に言い訳につかっているだけではないか。そんな思いが払拭できないpost-covidの世界に、私はどう進んでいこうか。世界は変わったのだ。

決めたこと、「自分から絶対にやめない」。

言い訳を探す自分が嫌になった。だから今回はこう決めた。
「自分から絶対にやめない」
「過去の自分を悔やまない」

思い返してみると、制限時間というものに引っかかったことがない。
それは多分、target timeに到達できないのがわかると、自らレースをやめていることも大きな理由だと思う。
そして言い訳を探すことばかりに頭が行く。
腰痛・足痛がひどくなるのでこれ以上負担かけないほうがいい、とか。
脱水症状で倒れたら皆に迷惑をかける、今日も明日以降も、とか。
帰りのバスに間に合わない、とか、人を待たせてしまう、とか。

本当に酷い言い訳だ。

痛みが酷くなったことがあっただろうか。脱水症状まで追い込んだことがあったのか?バスに乗れないと人生何が困る?人待たせるのとゴールとどっちが大切?言い訳に使われている人に失礼だよ、それは。

確かに、止めたほうがいいこともある。他のことに時間を使って、豊かになれるかもしれない。一方で「何か」を得られる機会を失っている。でもね、得たことがないから「何を」失ったのかに気がつかないのだよ。だから今回は「何か」を得るのだ。これからどんどん年を取っていって、出来ることが少なくなってきたときに悔やんでも仕方がない。今しか得られない「何か」を得るのだ。それが私が走る理由。

準備

3週間前。外食を、アルコールを、控える。

病気や検査の時以外、自由奔放に飲み食いしている私。でもあの憧れだった信越五岳の出走権利を得たのだから、きちんと体を作らないと。でも厳格すぎるのは(プロじゃないんだから)楽しくないので、チートタイムは作る。あれ?まだ言い訳を作っていたか?でもいいのだ。決めたのは「自分から絶対にやめない」こと。3週間で体重を3キロ落とし、身軽になった。

荷物の、準備。

  • ジェル補給類はスタート時から背負っていくもの、笹ヶ峰(60K)のデポザックに入れるものを分けた。笹ヶ峰に行くのがやっとだと思う。でも知人の過去ブログを参考に、後悔しないために用意をしておこう。これに加えて必携品を背負う。pagowaorks11Rがある程度いっぱいだ。

  • デポザックには、ジェルなど補給類のほかに夜対策。着替えのシャツ(半袖と七分袖)・パンツ(短パンとロングパンツ)・靴下、替えシューズとシューズそのままの場合インソール交換、キャップ(日中は暑さ対策のバケツハット)、メガネ(日中は度入りサングラス)、モバイルバッテリー。

シミュレーションと、サポートお願い。

ネットで経験者談を調べまくった。最も参考にしたのRun boys! Run girls!ブログ。完走タイムテーブルは最強の道しるべ。本当にありがとうございました。

心の友・河童さんは土曜日夜が仕事の為、日曜日朝イチの新幹線+タクシーで斑尾高原まで来てくれるとのこと。感謝しかない。スタート会場にレンタカーを置き受け渡しをすることにした。つまり鍵をどこかに隠す。そしてトランクにはサポート用袋を用意し、携帯椅子・保冷ボトル(空)・バーナー(お湯作り用)・ゼリー・シャインマスカット・水ペットボトル・サポート参考記事やタイムテーブル地図のプリントを入れた。レンタカーは見つけやすいように、ケロロ軍曹の目印を置いておこう。

さぁ受付へ、移動だ。

パッキングは完璧。それでも何度も出し入れしてチェックしてしまう朝。
自宅マンションを出る時の、あの緊張感を忘れない。何をしても胸がドキドキする。まるで大学受験や、就職試験、とにかく「試練」を乗り越えていく日の朝の気持ちが一気によみがえってきた。いつ以来だろうか、この感じ。これだけでもエントリーした価値がある。

  • 新幹線長野駅からレンタカー

  • 宿(妙高高原)にチェックインしてから受付会場へ(斑尾高原)

  • ウェルカムパーティーと100マイルスタート観戦

  • 宿に戻る途中で温泉立ち寄り(関川共同浴場・大湯)

110K は地区宿泊が必須でお夕食はパーティーで。クーラーを必要としない会場が、年々の温暖化でサウナ状態。それでも地元の心のこもったおもてなしや、知り合いの方々に会えてとても嬉しかった。
そして100マイルスタート。花火が打ちあがり、戦士が笑顔で走っていく。明日の朝は私のあの中にいるのか…。映画を見ているようで全然実感がわかない。

いよいよ私の戦いが、始まる。オープニングはTyla"Water"

宿では緊張がマックス過ぎて、全然眠れない。起床は午前3時予定だが目が覚めて焦る。焦って眠れないの悪循環が続く…。午前1時半。もうあきらめて眠るのではなく横たわって3時まで休もうと切り替えた。あとは気分の問題なので、宿でゆっくりコーヒー淹れて、バナナなどを口にして、ストレッチ。予定通り3時半すぎに車でスタート会場へ移動した。ラジオから流れてきたのはTyla"Water"。「Can you blow my mind? Set off my whole body」さぁ心地よく、進もう。駐車する際は河童さんが車を見つけられるように、ケロロ軍曹のタオルを置いて。軍曹、行ってくるね。

ケロロ軍曹を目印に(前日撮影)

スタート~バンフエイド(19K)

闇が溶け赤い光が稜線に差し始める頃、ドキドキしながらカウントダウン。ここまできたらじたばたしても仕方がない。そうおもうと気分がおちついた。とにかくゆっくり。心拍数をみながら140ぐらいを維持してゆっくり行こう。斑尾山では左手に野尻湖と飯縄・黒姫、右手に日本海が見える絶景が。そこからゲレンデをくだっていくと、河童さんが待っていてくれた。本当に心強い。まだ19Kなのに、顔見たら泣きそうになった。ここまでは予定通り。行けると思う。

朝焼けのなかスタート。この色、天気荒れるかもね。

バンフエイド(19K)~熊坂エイド(36K)

太陽が昇り始める袴岳登り。暑くなってきたけど、登りはとにかく辛抱して、ペースを刻む。問題はその後の兼俣林道下り。私は林道下りが本当に苦手、去年ITJこがね橋(26K)までの林道下りで腰をやられてリタイアの苦い思い出がよみがえる。林道で雨も降ってきて、暑いよりうれしい恵みの雨のはずが、腰と膝にくる林道の嫌な記憶しか残っていない。袴岳までは予定通りだったのに、熊坂エイドでは30分ビハインド。本当に苦手なんだな。

日本海まで見渡せるいい道

熊坂エイド(36K)~黒姫エイド(47K)

熊坂エイドを出ると、長い長い関川沿いのダラダラ登り。毎年暑くて辛いリポートがあるが、今年は雨。河童さんに「行ってらっしゃい」と背中を押されてヘロヘロ進む。このあたりに来ると選手もまばらになってしまい、気を紛らわす会話もできなくて、進むスピードが遅くなってしまってくる。途中、「宴会隊」私設エイドで紫蘇ジュースを飲みながら、「これは黒姫でやめるのかなぁ」と考えていた。一緒にいた2人組も「ゆっくり飲もう」なんて。私設エイドに別れをつげ歩き始めると、頑張っている男性に追い付く。「行きましょう!」と言われ、そうだ自分からやめないって決めたんだと思いなおして黒姫まで登っていく。なんとしても黒姫の関門を越えなければ。

黒姫エイド(47K)~笹ヶ峰エイド(59K)

到着したのは関門15分前。待っていてくれた河童さんに「進んだほうがいい?止めたほうがいい?」と何回も聞くが河童さんは答えてくれない。そう、答えは自分で出さなければいけないんだから。横を男性が「笹ヶ峰むかいますよー!」と自らを鼓舞するかのように私に声をかける。そうだ、また忘れている。自分からやめない。笹ヶ峰の関門は間に合わないけれども、黒姫を出ていく権利はもらったんだ。進まなければ。
出口手前の救護テントに、福田六花さんの姿をみつけると「おお!来られたんだね、行ってらっしゃい!」と声で背中を押してくれた。そして河童さんも。ありがとう。

黒姫エイドからは長い林道登り。時計を見ながら、ぼーっとした頭で計算する。これはもしかしたら笹ヶ峰関門間に合うのか?とにかく振り絞ろう。と頑張っていたら、この集団ではありえない走りの方々が…。そう100マイルのスイーパーだった。この方々と行かないと間に合わないが、あの走りはできないや。でもいい。泥だらけでも滑っても、とにかく前に行こう。

そして迎えた制限時間、11時間30分。周りにいた方も時計を確認する。あとはつり橋を渡って登るだけ。私のレースはまだ終わらない。

タイムアップ。でもまだ戦いは終わっていない。

そして戦いは終わった。やり切れたのか?

最後は酷い雨。つるつる登り。それでも少しでも速く、前へ、まだ終わっていない。もう暗くなりかけの世界に、笹ヶ峰関門の灯りがぽつんと見えてきた。雨が降って寒いのに温かい灯り。

つり橋を渡りあとは登るだけ。戦いの旅の友と。

湧き上がった感情は、悔しいというよりも、人生で初めて関門に引っかかった妙な満足感、最後一緒のペースだった人たちとのお互いをやり切ったと褒める感じ。ああ、これが私のレースだったんだな、ここが私のゴールなんだな。こんな感情は初めてだった。

この妙な満足感は、なんだ?

もう一回チャレンジしたいか?と問われるとよくわからない。いままでのDNFは「悔しいからもう一回」、完走した時は「楽しかったからもう一回」。そういった感情は湧かなかった。私はやり切った、DNFだけど自分を誇らしく思った。そうしたら、ちょっと違う世界が見えたかも。

ゴールが戸隠に変更になるほどの酷い雨になった2024信越五岳。また私が走る日はくるのだろうか。なんか閉まらないnoteになったが初めて綴ったのでご愛敬ということで。やはり時間がたつと感情が変わるね、直後に書ききらないといけないね。


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