あたたかさの持続、それはこだわりが生み出した。
どうぞ、と笑顔で手渡されたのは店の名前のスタンプが押されたカイロ。ありがとうございますと受け取ると、もうすでに温まっていた。待てよこのカイロ、私たちが帰る時間に間に合うように準備されていたのか。
先日自由が丘にあるalso Soup Stockというお店にお邪魔した。もともとSoup Stock Tokyoのファンだった私にとって最高に魅力的な場所だったのだ。もちろんご飯が美味しかったのは言うまでもないのだが、帰り際にいただいたカイロの温かさが私のブランド愛に拍車をかけた。
数年前までの私は「こだわり」と聞くとどこか複雑に絡み合ったような印象をもっていた。独自の価値観やそれにかけた時間、プライドなど多くのものが混在しているからだ。だからなるべくコアな趣味は隠していたし、変わってるねを褒め言葉として受け取ることなんてできなかった。周りに合わせることこそしなかったけれど、出過ぎない杭でいようとどこかで思っていたのだ。
でも今の私が思うのは、こだわりほどシンプルで洗練されたものはないということ。こだわるには自分の中での一旦の消化が必要であるからこそ、本人にとっては整頓されている綺麗なものなのだ。こだわりにはたくさんの何かが詰まっているけれど、複雑に絡み合っているわけではない。お気に入りの本を棚に並べていくと結果的に高い本棚を埋め尽くしてしまった、そんな具合なのである。それは決して複雑なものではない、ただボリュームが少しばかり多いだけで、綺麗に整頓されている。
体をつつみこむあたたかいスープの余韻を長く楽しめるように用意されたカイロ。“せっかく温まった体を帰りに冷やさないように” という誰かの思いが形になったこだわり。そこにはたくさんの思いがつまっているし、客が帰る前にカイロを用意して、店のロゴを押して、帰る頃にはあたたかくしておく。正直、手間である。でもその“なくてもいい”だれかのこだわりと工程が私の気持ちを最高に幸せにしてくれた。
「マニアックは褒め言葉です」なんて言っていた友人をふと思い出しておもしろおかしくなった。今の私の原動力は、おそらく他人には理解されないであろう不思議なこだわりを自分の中では絶対に曲げないことである。そしてそれを「なにそれ」理解できないよ、とポジティブに笑う友人たちの一言が私の様々な原動力である。今の私、「気持ち悪い」が心地いい。
こだわることって、最高だ。あまりにも味の染み込んだブイヤベースのスープを思い出しながら、ふと思ったこと。そういえば店員さんの笑顔がまだあの夜と同じ温度で私の脳裏にいる。カイロのあたたかさは数日たった今でも持続中のようだ。
読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。