おかえり、ジェットコースターチョコレート
Calamansi:カラマンシー。柑橘の爽やかな酸味 / フィリピンを代表するシトラス
からまる、マンシー、まんそー、Manceau。もらったチョコレートの名前をながめながら、言葉あそびをする。大好きなManceauのLife Traffic Jamなどをサントラに、ひとくち。しっとりと固い。そして次に歯に当たるのは果実のちいさなかけら。心地よいカカオと柑橘のパレード。口の中から消えても余韻が長いこのチョコレートをくれたひとは、どうしてこれをわたしにくれたのだろう。そんなことを考えながら、甘い大海に溺れる。ああ、おいしいものって素敵。
──────
隣のテーブルの女性が飲み物をこぼす。あわてていっしょに片付ける。「すみません、ありがとうございます」「いえいえ、大丈夫ですか」何気ないやりとり。こぼれてなくなってしまったドリンク。あたらしいものをと店員さんが隣に運んできた。なんていいお店なんだろう、そんな微笑ましいやり取り。
「これ、手伝っていただいたので、もしよかったら」
すこしいびつなクッキーのかけらが、いくつも入った紙コップをわたしたちのテーブルに置く店員さん。おどろくわたしたちにそっと微笑んで、彼女は去った。
それは、つくられた不揃いだった。どうみても入り口に並んでいるあの商品が、ちいさくされて紙コップに入っていた。
──────
そんな物語の交差点があったコーヒーショップに、わたしはいまでも通いつづけている。あれはもう、7年は前のこと。ここで飲むコーヒーよりおいしいものや貴重なものにもたくさん出会った。それでもここに帰ってきてしまうのだ。わたしはあの日の体験への感謝を買い続けているのかもしれない。
物語って自分勝手にはじめてもいいんだと思う。素材がどうとか、ショコラティエはどうとか、全部無視。このチョコレートの場合、自分たち勝手、なのだけど。今のあなたをフレーバーにしたら、こんな感じって舌が教えてくれたの。
カラマンシーのチョコレートをくれた友人は、そんなことを言った。付け足して、このチョコレートを「ジェットコースターのよう」なんて言った。
これをつくったひとは別に、“ジェットコースタのよう”なんて考えてないだろうし、ましてやわたしが“カラマンシー”という言葉から勝手に連想して音楽をながしたり、コーヒーショップと繋げたりすることなんて思ってもいないだろう。
ああ、ジェットコースターのようにスリルを求めていろんなところへ回転したり、ひねってみたり、寄り道ばかりのミーハー。でも結局スピードを落として帰ってくる。いろんなコーヒーを求めて外へ行くのに、結局ここにたどり着いてしまうように。
きっかけはいつだってひょんなこと。でもだからこそ、そのひとのそばであたたかさを保ったまま、ずっとちかくにあるんだと思う。習慣にしようとせず馴染んだからこそ、心地よくそばにある。
そのコーヒーショップで買った豆から挽いたコーヒーと、カラマンシー。どこかで勝手にはじまった物語たちが重なって綺麗に環をなす瞬間なんて、突然だ。コポコポコポ、甘い大海に溺れていく音とともに、またあたらしい物語がはじまる予感がしている。ジェットコースター、発進。