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「足りない」からの卒業
「結局さ、出会えてないのに出会った気になってるだけなんだよ」
彼は口角を上げたまま絶望を言葉にし、たばこの煙を愛しく吐き出す。じゃあ出会いってなに?定義を教えて。難しいなあ。だって、認識のすり合わせしなきゃ。
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ずっと、何が足りてないかを考えていた。なにかができるようになっても、じゃあ次、じゃあ次、って。自分にとって現状維持は停滞だから。変化し続けることこそ邁進、まだまだやれる、だって好きだから。手を動かすことが好きだ、頭を動かすことも、例えば仕事をすることも。プロジェクトの確認をする時に、抜け漏れがないようになにが足りないかを確認する。その癖をプライベートにまで持ち出して、とにかく進み続ける……なんてことをずっと続けてきた。“物足りない、でも、だからクセになる。きみは何かが足りてない。でも、だから好きなんだ” なんてことを、昔のひとにも言われたし。でも、それって幸せなのかな?って思った。だって、自分に足りているものがなにかを認識する作業が抜け落ちている。「おいしくないトッピングを乗せても意味ないでしょ。なんでもかんでも乗せればいいってわけじゃないのよ、おいしくないと意味ないの」なんて、恋愛話をしているときに友人がピザに例えていたことを思い出す。
最近わたしは、足りないと思うことを自然にやめていて、ただそれは自分らしくないかもしれない……でも、とても幸せなのはどうしてだろう、なんてことをずっと考えていた。住む場所を変えて、いろんな決断をして、たくさん捨てた。わたしにはおいしいものがある、コーヒーが足りてる。服が足りていて、おいしい空気も足りている。写真も足りていて、大好きなひとたちも足りてる。大好きな場所もひとつあって、足りてる。
停滞ではない。だって、今でも足りないものを追い続ける癖は変わらない。そのおかげで、いろんなことができるようになったのも事実だ。でもずっと知らなかった。足りているものを認識するという作業が必要だったということを。
足りているものを認識することは、社会との接続のいちばん外側の輪郭にピントを合わせること。やっと、クリアな世界。
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「きみは笑顔が足りてる。だから大丈夫なんじゃない?ま、知らんけど。」
彼はいつまでもタバコを手に持って笑っている。定義の答えはでた?まさか、出てないよ。でも大丈夫だよ、出会ってないことを僕たちは今認識したから。なにそれ、変なの。
タバコの煙に見とれてしまう癖は、いつまでたっても変わらない。でも、魔法にかかることはなくなった。だってわたしには、思い出が足りてる。
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