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日常とセーター。
「いつも、なんだって早いんだから」
大好きなグレーのセーターに顔を少し埋めながら彼は言った。そんなことないよ、って彼の手を握ろうとしたけどやめてしまった。
ご飯を食べたあとの片付けも、やるよと言われてもお願いできない私を笑って許して近くに座っていてくれた。
「もう終わったの」
あなたの手を煩わせたくなくて、でも私だって一緒にいる時間を大事にしたくて、なんて素直に言えない私は、へへへといつものように誤魔化した。
全部自分でやっちゃうんだから、と言い残して彼は生活を後にした。一週間、私は日常に戻れなかった。
会話なんてなかった。だから一人になって寂しかった。言い合いしながら喧嘩をした思い出があればよかった。一人で家にいる静けさは、二人で分かち合っていた無音とほとんど変わらなくて、違うことと言えば私の右側がいつもより寒いということだけだった。
日常が思い出だということは、静かで優しい刃だ。特別なものはなにもいらない、本音だったけどそんなこと言うんじゃなかった。特別があれば、それがない現実を受け入れられたかもしれない。
彼はいつでも正しかった。でも、ひとつだけ間違っていることがある。私はいつも早くない。だって、この恋を忘れるために要する時間は、彼よりかかりそうだから。
強がりを言うとするならば、彼はあまりに普通だった。普通の愛をくれて、普通の日常を分かち合ってくれた。でも、だから好きだった。
もう夜は寒い、衣替えをしてグレーのセーターを取り出す季節が来てしまった。私の日常に彼はいない。でも思い出す要因が日常のあちこちにいて、どうにもできない。季節とあなたの気持ちの方が、過ぎていくのが早いんだから。
ps.自分の体験やら、誰かの話でインスピレーションが湧いて書いてみました、フィクションです。
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